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二十五

おひさです。

 「……また、どうしてこんな所で作業を?」


 真希が訊ねた。

 

 作業が休憩になる頃を見計らい作業所から身近なベンチに腰掛け、持参していた布を公共の水道で濡らし、グリアに渡した。軽く謝辞しながらそれを受け取り顔の泥やら汚物を拭き取った。



 「うん、それが……まあ、なんというか気が向いたからだ」


 ニィ、と口角を釣り上げ笑う。曖昧な表情で頷く真希に苦笑いしながら、説明した。



 「あーつまり。俺は生まれてこの方、まともに労働らしい労働ってやつをしてこなかった訳さ。いや、無論、砦で共同生活の時は最低限の協力はしていた。まぁ、俺ができるのはなにより剣を持って殺す位だからたかが知れてる。」



 グリアはからだを拭き終わった布を返そうとしたが、真希は首を左右に振って「どうぞ」と譲渡する意思を示した。肩を竦め、ハハ、と乾いた表情を浮かべる。金色の縮れた毛が靡く。



 「俺は今まで、黒馬の民の族長の末裔として育てられてきた。でもな――ここで、この自由商業連合バザールで生活してわかったんだ。俺たちがこうして普通に生きていられるのは、さ。つまるところ、誰かが仕事をしてくれてその恩恵をよ、間接的にも直接的にも受けてきたんだ。」


 

 「それじゃあ、なんでまた下水の工事の手伝いを?」



 真希は持ってきた水筒の杯に水を注ぎ、彼に差し出す。



 「ん? ああ、すまない。」うまそうに、グビグビと咽をならして、飲み干した。再び、太陽が強烈な光線を照射する。逞しいグリアの銅色に灼けた皮膚に汗が輝いた。その汗の一筋を眺めながら、真希はアーノの紐を解き、胸元で抱き抱える。よく眠っていた。



 「ああ、それでどうして下水の手伝いだって?」



 「はい」



 暫く考えたあと、グリアは意外に明るさを潜めた真剣な口調で続けた。



 「――俺はこの世界の全てを知らねばならんと思う。」


 「全て?」



 「ああ。だが、無論人間は生きている時間に限りがある。才能の問題も当然ある。だがな……だからといって、知らなくていい、という法はないはずだ。俺は、あの戦いで自分の守れる者の限界を知った。」



 「……。」


 真希は鎮痛に眉を歪め、サッ、とグリアと反対の地面に頭を振った。


 それを、知ってか知らずか、更に続ける。



 「それでなぁ。思ったんだ。俺が虐げられる人間を守ろうとしていた。だけどさ、そんなに俺が虐げられたと思った人々は弱いのかって。それで俺は街を歩いた。歩いて、歩き尽くした。そして、わかった」



 「わかった?」真希は、耳元の乱れた髪を整え恐る恐るグリアに視線を戻す。



 「ああ、つまりさ。こうやって労働している人間だとか、商売する人々だとか安寧無事を支える人々ってのはよ。戦火なんか何度も揉まれてるハズなのにたくましく生き抜いてるんだ。それに、一番大切なことに気がついたんだ。わかるか?」



 真希は怪訝に首をわずかに傾げる。



 満面の笑みで、グリアは答える。



 「……つまり、労働でも一番すごく大切な連中は、よ。ライフライン(生活生命線)を守る連中でさ、それも人が率先してやりたい、と思わない仕事で、決して誰からも尊敬もされなくてよ。んでも、仕事は毎日人の生活を守る仕事でよ。失敗すれば叱責されるのに、成功して当たり前、こんな報われない生き方してる連中が、よ。本来、俺に足りない部分だったんだ。きっと、砦にいてお山の大将やってたら一生気がつかない観点だったんだ。」



 「だから、下水の工事に?」



 「ああ、それだけじゃない。農業や、土地の開拓、商船の修理、ありとあらゆる所で今、俺は学んでる。」



 「すごい……ですね。」


 思わず、真希は口にだしていう。




 その言葉に、苦笑いでグリアは応じる。



 「どうだろうな。今、こうして学んで楽しい反面、それまでに失った同胞の血が……俺を時々、責める気がする。『お前がひとり幸せになることは許されない。』ってな。……ハハ。」



 「それは、違いますっ!!」


 キツイ口調で、その笑いを断ち切る。


 急な自体で目を瞠り、驚くグリアをよそに、真希は抱いている手を少し強めた。


「……きっと、あの、えっとあの娘…………あの、えっと、えっと」


 そして真希は誰かの《名前》を言おうとした。だが、頭が空白になり、言葉が、舌が縺れ息が苦しくなる。



 グリアは何かを察したように、手を差し出して、言葉を出すのをやめさせた。



 「いや、いい。俺にはちょうどいい。地獄の業火の予行練習さ。それに、これのこれからの人生も幸せであっていいハズがないことは言われるまでもない。」


 「そんなっ……貴方が、グリアが悪いわけじゃ……」



 グリアはベンチから腰をあげた。杯を持ったまま、真希に礼を言おうとした。



 「絶対、グリアさんは……少なくとも、あの時、責めた私を……なにも言わずに助けてくれた。それだけは、本当に感謝してます!!」


 自分でも思った以上に大きい声で、真希も驚く。だが、相手も同じらしい。が、尚も言葉を続ける。



 「だから、そのおかげでこうやってアーノと一緒に暮らして……」



 グリアの表情は真希からは太陽の逆光で姿が翳り見えない。



 彼は大きな作業用の手袋をはずして、手を残りのすくない水で流し、渡された布で拭う。そして、大きな人一倍大きな掌で真希の頭を撫でる。



 「……ありがとうな。」



 「……。」




 真希は、どうしてか、その言葉の裏にとてつもないほどの寂しさの溝が横たわっているように思われた。

グジュグジュと鼻水をすする。


 「アッ、あーっあぅあーぅううう」


 アーノの頬に鼻水が一滴垂れた。それで、目を覚ましたらしい。



 「あっ、ごめんね。ごめん」



 急いであやしはじめる真希に、その様子を傍で伺っていたグリアは、



 「アハハハハハ。すまない。いや」



 笑いで涙を浮かべ、何度も頷く。



 永久に安寧の日々がすぎれば良い、もう決して失いたくない。グリアはあの時の咆哮が今、再び自らの胸郭に飛来するのを感じた。











 「おい、どうする?」


 大柄の、まるで熊と見まごうほどけむくじゃらの、丸太のような腕をぶら下げた男が5メートル後ろの建物の隅から顔をのぞかせ、すぐ傍の人間に問いかける。


 「どうするって、今出ていける雰囲気じゃねーだろ、ザル」

 

 問われた男は小さな鼻と、変に長い鼻梁をヒクヒクさせる。



 「んだと? モグラの分際でッ、テメェ舐めやがって」



 肩を怒らせ、振り返るザル。宥めるように、両手で「まぁ、まぁ」と言いながら、真面目な顔になっていう。



 「もうしばらくしたら俺らの大将に伝える。」




 その意図を察したように黙って頷き、再び、元の方に視線をやる。




 慌てた小娘と、その胸元の赤子。そして、それを笑いながら見守る長身の汚れた《英雄》へ。




 歴史は常に回転する――決して、その濁流を留めることはできない。ことに、群雄割拠となった大陸歴1300年代半ば、既に均衡もなにもない。あるのは、己の運と才覚だけであった。

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