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「それが、今のおかみさんたちが住んでいるここなんですか?」
真希が疑問を口にする。
「いや、違うよ。私たちはそこに住むことをやめて自治区のすぐそばに村をまたつくったのさ。だからほら、この辺は水が手に入りにくくてね。」
おかみは空になった杯を片付けようと台所に向かった。
すかさずその背中に壮一は、
「では、その逃走劇は一体いつからなんですか? やはり四五年前とか?」言葉をかける。すると、壮一たちの方に向き直り、豪快に笑う。
「はっはは、まさか。つい七十年年前のことだよ。しかし、あんたたち、言葉うまいね。どこで覚えてきたのさ?」真希と壮一は顔を見合わせた。ふたりの手には石ころが握られている。この石ころをみるだけで、二人はあの悪夢のような出立を思い出してしまった。
家を出て丁度三時間半を回っただろうか。真希と壮一は首都に近いK県の高速インターを過ぎた。
「……その異世界って、どうやっていくの?」
助手席の窓に肘をつき、夕方に沈む架橋より彼女は眺めた。
「ん? さぁ、どうやるんだろうな。オレもなんにも知らされてない。まあ、荷物もなにも持たずにこい、って言うんだから簡単に教えてくれないでしょ。」 「……。」
《ようこそ浜村商店街へ!》
と色褪せた看板が出迎える寂れた商店街まできた。丁度、T県と首都の境にある部分だ。
「ねぇ、ホントにここなの? 絶対違うと思うんだけど。」
長時間の座より解放され、ドアを開けると指を組んで彼女は背伸びする。 「んーどうかな。この用紙にもそう書いてあるんだけどねぇ。」
壮一は車を停めると、用紙を睨みつつ首を捻る。
「……まあいいや。とりあえず、その目的の場所までいこ。なんか寒いし。」 「それもそうだな。」
商店街のアーケード通りの「喫茶バロン」という店が目的地であるらしい。 二人は黙々と歩く。
シャッター通りが延々と続く。そこに張り紙が点々と貼られ、スプレーの落書きが目立つ。時折吹く風に載って埃とガスの匂いがする。「ここか。」
壮一が火のない煙草を噛みつつ、地下に続く扉を見下ろす。
非常に幅の狭い赤煉瓦の階段を降り、重い木戸を引くと妖しい光と煙が漂った。 「なにここ?」
真希が一歩、足を引く。
さあ、と気楽に応じた壮一が肩で風を切り入店した。
数秒躊躇った後、真希も眼鏡を直してあとに連なる。
結論からいうと、異世界には行ける――それもごくごく単純に。
壮一と真希が入ると、店内には多くの人々が詰められるようにして待っている。 喫茶店の奥行が異常に長く、永遠に続く廊下のように底が闇に滲んで見えない。その廊下の途中に空港などで見る検査のような機械類と検査員が門番のようにいた。
まず、持ち物検査に検査官が男女別々で体を隅々まで触って確かめ、更にレントゲンのようなポイントを通る。
しかし、全て、足場はベルトコンベアーのようになっており、歩かずに無限の闇に消えて行ける。
待っている人々は検査を待つため、元喫茶の古びた椅子などに腰掛けたり、壁に寄りかかったりして時間を潰している。
子供から老人までいるが、しかし、その二者の数は少ない。
一番多いのは、三〇から四〇代の男の研究者然とした人が多い。こっそりと壮一は真希の耳元で「あいつらも、オレみたいに国に選ばれた奴らだ。しかし不思議だな。みんな賢そうだ。」と呟いた。
「……誰でも良かったんじゃない。それにみんな貧乏くじ引いた顔もしてるし。」
そうか、と意外と嬉しそうな顔をして壮一はライターを手の中で弄りはじめた。 それを横目に見つつ、真希は検問の辺りを注意深く見据える。
検査官の足元には大量のスーツケースが用意されて、検閲をパスした人々に一人一人に渡していく。
さらに、いくつかの注意を口頭で伝え「良い旅を」と人々を送り出す。
……ここまできて大丈夫だろうか? 不安よりも先に、早くもなにかに挫けた。