最悪な場面を見てしまいました
ここから続きです。
髪を緩く巻いて、新しい制服を身に付ける。多少の化粧を施して鏡の前に立てば、女子高生の出来上がりだ。
天宮 美鶴17歳。
今やトップ企業と言っても過言ではない会社の代表取締役であるお父様を持ち、その跡取りであり日本でトップの大学にかよっている彰お兄様を持つお嬢様だ。そんな私はこの夏にアメリカの大学で経済学を修め卒業まで至った。
そんなちょっと超人じみたことができたのは、私が前世の記憶をもつ言わば転生者だったからだ。
しかし大学卒業の資格を持っていながら、この度両親の要望により桜ノ宮学園の高等部に通うことになった。断りたかったのだが、アメリカに留学すると気にも結構強引に説得していたし、両親の悲しむ顔が見たくなかったので、結局大学を卒業しているのに高校生をするはめになってしまったのだ。
「おはよう美鶴。もう準備ができているのなら今日は一緒に家を出ようか。」
「おはようございます、彰お兄様。ええ、もう出れますよ」
およそ2年ぶりに日本に帰ってきてしばらく会っていなかったのだが、彰お兄様は随分な涼やかな容姿に成長した。街中ですれ違った女性が10人中10人は振り向く程の麗しさだ。それに、大学では成績もトップだし、もうすでにお父様の経営の手伝いもしているらしい。お父様も、彰は自分以上にカリスマな経営者になるぞ、とこぼしていた。
車に乗ってお兄様も私の隣に座ると、運転手が車を走らせた。
「そういえば美鶴、最近西園寺君とはどんな感じなの?」
「……どんな感じと言われても、アメリカで会ったきりまだこっちでお会いしてませんから、なんとも」
私は苦笑いをしながらそう答えた。
西園寺 翔也18歳。昔から日本でトップの企業の西園寺グループの跡取りであり、2年前に強引に私の婚約者となった男だ。
婚約者のことなのにそんなにあっさりしていて良いのか?とか思われるかもしれないが、私はどうしてもこの婚約者から逃れたい気持ちでいっぱいなのだ。
なぜなら、彼は私が前世でバイブルとしていた少女漫画のヒーローであり、そのヒロインと彼の仲を裂こうとして結構えげつないことをして、結果世間的に殺されてしまうのが私、天宮美鶴の役だから。
そんな未来を回避しようとして留学までしたのに、物語の強制力なのか結局再び桜ノ宮学園にもどってくることになってしまった。それに。
物語の美鶴はプライドが高く、幼い頃から憧れで自慢の婚約者を奪われることを嫌った。だから、私は西園寺翔也に執着を持たないようにと意図的に離れていたのに、強引に婚約を取り付けられるは、アメリカに頻繁に訪れるはで、結局私は彼を愛してしまっていた。……そんなことには気がつきたくなかったけれど。
だが、まだ物語は終わっていない。こんな感情を持ったまま西園寺翔也と接触し続けるのは危険だ、と頭では解っている。強引に日本に連れ帰り、桜ノ宮学園に通わせようとしている両親への抵抗だってもっと考えればできたはずなのに、それでも学園に戻ってきてしまったのは私の中で彼への未練が残っているからかもしれない。もしかしたら、なんて。
これは、ここに戻ってくることになってから何度も何度も巡った思考だった。このことを考えるだけで、心が締め付けられどっしりと重くなる。
「美鶴?大丈夫かい?」
俯いた私を心配してくれたのか、お兄様は頭を撫でながらそう尋ねてきた。
「……ええ。少し学園が久しぶりで緊張しているのです。問題ありませんわ。」
そう取り作った笑顔を見せると、お兄様は釈然としない様子だったけれど何も言わなかった。
「おい、誰だよあの美人」
「あれ、あの天宮さんらしいわ」
「ええ!?中等部にいたときはあんなに存在感なかったのに」
そんな学園の生徒たちの会話を聞きながら、私は職員室へと向かう。うん、中等部にいた頃はいろいろあって地味な格好しかしてなかったからね、驚かれるのは当たり前だと思うんだ。
職員室に着くと、中等部にいた時に担任だった教師は感激して泣いていた。えっと……何だか反応にこまるなぁ。
それから教室に連れていかれ、授業を受ける。久々の受身の授業で少し退屈に感じながら過ごしていると、昼休みになった。さあ、どこで昼食を食べようかなぁなんて考えながらお母様に持たされたお弁当を持って教室を出た。
夏休み明けだと入ってもまだ残暑で、日の下にいるのは耐え難かったので、木陰で座れそうな場所を見つけて腰を下ろした。
あまりに印象が変わりすぎていたのか、中等部の時の私のことを知っている人たちがわらわらと休み時間に集まって来たのには少し疲れたな、と考えながらお弁当をもぐもぐと食べていると、近くで男女の声がした。……この、声は。
「すまん、待ったか?」
「ううん!大丈夫だよ」
声のした方を見ると、西園寺翔也がいた。その隣にいるのは。
「それで、宮野。相談ってなんだ?」
宮野絵里。疑いようもない、彼女は物語のヒロインだ。
私は彼らに見つからないように隠れながら様子を伺った。少し遠くだったので聞こえたのは最初の会話だけで、何を話しているのかまでは聞き取れなかった。けれど、二人の様子は和やかで、まるで一緒にいるのが当たり前であるかのような光景で。……のぞき見はダメだろう、と思いながらも私は目を離すことができなかった。
何やっているんだ自分は、と思い直して漸く目を離し、お弁当を片付けてその場を去ろうとする。それからもう一度だけ、と思ってそちらを見て私は後悔をした。
ーーーヒーローとヒロインが抱き合っていたのだ。
「……っ!」
それからどうやって教室まで戻ったのか覚えていない。午後の授業だって、先生が何を話していたのかなんてまるで頭に入ってこなかった。
やっぱり、物語は漫画の通りに進んでいるのだ。もしかしたら、なんて甘い考えは捨てよう。今までのことがあるし、このまま私が学園に居れば物語のように私はあの二人の仲を裂こうとして、それがバレて学園を追放され、大事な家族にまで迷惑がかかるかもしれない。……そんなの、耐えられない。
そんなことを考えているうちにHRが終わって、クラスメートたちは帰る準備をしていた。それに気がついて私も準備をしていると、教室の入口から声をかけられた。
「天宮、一緒に帰るぞ」
……今まさに会いたくないと思っていた、西園寺翔也だった。私は顔が見られなくて思わず顔を背けてしまった。
そんな私の様子を知ってか知らずか、西園寺翔也は私の荷物と自分の荷物を片手で持ち、空いた方の手で私の手を絡め取った。そのまま彼の家の迎えの車が停まっているだろう学園の門まで連れて行かれ、私は周囲の目に居た堪れなくなり俯いていると、彼は迎えの車の運転手に荷物を預けた後に私に声をかけた。
「どうしたんだ?お前らしくもない、随分しおらしいな」
「……いえ、何もございませんわ」
そう答えながら、やっぱり彼の顔を見ることができなくて俯いていると、西園寺翔也はあろう事か跪いて私を見上げる体制を取った。
「!?」
「本当に、どうした?何か不安なことでもあったのか?」
「……いえ、本当に何も」
そう答えると、西園寺翔也は立ち上がって、私を車のシートへと促した。見事なエスコートだ。
「……そうか。なら、これからカフェに寄る。お前も付き合え」
彼の家の車に乗せられている私にはそれを断る権限はない。そのままカフェへ連れて行かれると、ショーケースの中にある綺麗なスウィーツに私は目を奪われた。
「このモンブラン、とても美味しそうですね。他のケーキも綺麗で食べるのが勿体無いわ」
「そうか。さ、早く選べ」
そう言われて迷っていた私は無難にショートケーキと紅茶を選んで、席に着く。この店はショーケースに入っているものを実際に見せてから注文をとり、席まで飲み物と一緒にサーブするスタイルのようだ。
運ばれてきたものを口にして、私は感嘆の声をもらす。
「これは本当に美味しいです!ほかのケーキも全部食べてみたい」
「そう言うと思って、他のものを持ち帰りで包んでもらっている。後で渡すから持っていけ」
なんと手回しの早い。ありがとうございます、と感謝の言葉をかけても何食わぬ顔をしてコーヒーを啜っている。
それから言われた通りにケーキを渡され、無事に天宮の家まで送り届けられて部屋に戻ってハッと気がついた。……不安がのしかかっていた事と考えなければならないことから見事に気をそらされていた事に。
してやられた、と私は思った。彼は今日会った時に私の様子がおかしい事にすぐに気がついた。私は彼の顔を見ることができなかったが何でもないように取り繕ったのに、強引にカフェに連れて行くことで一時的にも私の心に重くのしかかっているものを忘れさせたのだ。
どうして西園寺翔也は私に何か変化があるとすぐに察するのだろう。それは、私がアメリカに行って彼が私の元を訪れるようになった時もそうだった。頻繁に訪れる彼に対して、強引に婚約者にされたことと最悪の未来回避の為に私はそっけない態度ばかりとっていたが、私が不安に思っていたり落ち込んでいるとすぐにそれを読み取って話を聞いてきたり、気が紛れるようにどこかに連れ出してくれたり、時には助言をしてくれたりもしていた。
態度は俺様でその行動が強引だっただけで、その本質は優しいものだというのにはとっくに気付いていた。だからこそ、私は西園寺翔也に惹かれていたのだ。
最悪を知っているが為にその心を必死に隠して、彼の悪い所だけを挙げてはそれを理由に嫌おうとして。けれどそれは強引に押し切られればすぐに貫かれてしまう盾でしかなかった。
隠しきれなくなったこの心が昼休みに見た光景を思い出すと、悲しみと共にドス黒い感情を生み出す。ーーーこれは、嫉妬、だ。
私が何よりも怖いもの、だ。
この世界の物語の中での’私’はヒーローとヒロインの仲を裂こうとし、それが公にされえげつない方法だったために社会的に批判されて天宮家は没落へ向かってしまう。そんなことになれば今まで大切に育ててくれた両親や優しい彰お兄様に相当な迷惑がかかってしまう。その元凶だから、……なんて言い訳をしているが、実際は私が自分の醜い心を見たくないのだ。
物語のように、嫉妬に狂ってヒロインを殺人未遂の被害という窮地まで追いやる、なんて。流石にそこまではできないが、似たような事をしてしまいそうだった。そこまで、私は西園寺翔也のことを想ってしまっていた事に気がついてしまった。
「美鶴?帰ってるかい?」
部屋の外で彰お兄様の声がして、私は答えてドアを開ける。
「お兄様?どういたしました?」
首を傾げて尋ねると、お兄様は真剣な顔で話を切り出した。
「美鶴、君の様子が帰国してからおかしい事に僕が気づいていないとでも思ったのかい?その原因が君の婚約者だって事も解っているよ。」
「お兄様……」
その言葉は衝撃だった。お父様やお母様が喜んでいた縁談だったし、家族には西園寺翔也との関係は良好なふりをしていたのだ。上手くいっていると思っていたのに、どういうことだろう。
「話してくれるかい?僕は美鶴が笑顔でいることを望んでるんだ。力になれることがきっとできるはずだよ」
お兄様の表情はどこまでも真剣で、戸惑う。話しても良いんだろうか。でも、自分で現状を変える方法が思いつかない。一番良いのは婚約解消ができることだ。けれどそれはお父様達が悲しんでしまうのではないだろうか、と思うと言い出すことができない。
ずっとこの転生した世界が少女漫画の世界だと気づいてから自分だけで最悪を回避しようとしてきたが、もう限界なのかもしれない。
そこまで考えた私はお兄様にかいつまんで西園寺翔也とのあれこれを全て話すことにした。アメリカでの出来事も今日学園で見た事もだ。もちろん、前世の記憶持ちなんてことは言わなかったが。
すると、お兄様はふう、と溜息を吐いたあとに頭を抱えた。
「そこまで、あの男は……はぁぁあ」
本当に、盛大に溜息を吐いている。その後も何だかブツブツと言っているが、私の耳には届いてこない。首を傾げていると、お兄様はこちらを向いて微笑んだ。
「美鶴は西園寺君との婚約を解消したい、ということで良いんだよね?」
「……それが一番良いかと。いくら婚約者だといっても、あちらに好いている方が他にいらっしゃるならそちらの方と幸せになった方がお互いに幸せだと思いますし。」
私の本心を抜きにして、西園寺翔也はヒロインと結ばれて幸せになるだろうし、私も学園を追放されずに家を没落させずに済む。
胸にちくりと走った痛みを無視して、私はお兄様に笑顔を見せる。……苦笑いになってないだろうか。
そんな様子の私を見てお兄様は少し眉を潜めたが、すぐに微笑んで提案をしてきた。
「美鶴は西園寺君の居ないところに行けば、後は時間が解決してくれると思うんだ」
「それは……」
そうなのだけれど。私も一度は考えたことだ。だが、お父様やお母様は私がアメリカから帰ってきてとても喜んでいたし、西園寺翔也との婚約が上手くいくようにと再び私を強引に学園に戻したようだったから、躊躇ってしまう。
「……父や母の事を考えているのなら、それは心配ない。僕が説得してみせるよ。だから、美鶴、君は好きなようにしていいんだよ」
私の考えを読んだお兄様はそう言ってからこれからどうしていこうか、と計画を立て始めた。その手際は鮮やかなもので、さすがの私も呆気にとられる程だった。
私は今度はアメリカではなくドイツに行くことになった。そこに経済学の研究所があり、そこに入る手続きをお兄様はいつの間にかしていたのだ。そして、お兄様はお父様やお母様に私と西園寺翔也の婚約の件について反対だということを申し立てるらしい。そもそも私を婚約者にした方法が強引であったし、私が見た彼と宮野絵里とのことも告げるけどいいよね?と私に確認してきた。
その計画を詰められる所まで詰めて、もうそろそろ行動に移してもいい頃だろうという所まできた時に、私はふとお兄様に尋ねた。
「お兄様は私が婚約を解消しようとすることにどうして反対しないのですか?」
天宮の会社にとって西園寺との婚約はこれ以上ない程の縁なのに。そう言外に含ませると、お兄様はきまってるじゃないか、と不敵な笑顔を見せる。
「だって、僕の可愛い美鶴を傷つけたんだよ?」
そんな男のところに渡すわけがないじゃない、美鶴の居場所だって絶対に隠蔽するよ、と言ったお兄様の後ろに何か黒いものが見えたのは気のせいだと信じたい。
とにかく、私はお兄様のおかげで両親に婚約を見直していただけるように話をつけ、西園寺の方とも話をつけてくれる事になり、一月後にはドイツの研究所へと旅立ったのだ。
彰お兄様は美鶴ちゃん大好きですから笑