表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

散歩道とぬりかべ

作者: 大江戸
掲載日:2014/05/07

 五、六分ほど前から雲に隠れていた月が顔を出して、辺りはぱぁっと白く明るくなった。この奇麗な月に誘われて散歩に出たのだ。満月かどうかはわからないが、九月になっても鬱陶しく残る暑さの中をたまに吹く秋風と共に涼やかに輝いている。

 じんわりと額に滲んできた汗を拭って、途中で買ったペットボトルを口へと運ぶが、喉を潤すのに充分なほど残っていなかった。かれこれ三、四十分は歩いただろうか。時計なんて持って来なかったからよくわからないが、随分遠くまで来た気がする。長い夜に倦んで家から出たのが午前二時を回った頃だったから、もうすっかり夜も更けたはずだ。

 ぼやぼやと歩いていると、そのうち住宅街を抜けて山辺の静かな道に差し掛かった。いい加減に歩き疲れたという気がして、何となく道端に腰を下ろす。何か飲み物でも欲しいところだが、あいにく手に持っているのは空のペットボトルだ。何となくラベルを見てみるが、手持ち無沙汰になってコンコンとアスファルトを叩いてみる。隅に少し傷が入った。

 家からそう遠くはないのだろうが、この辺りに来るのは初めてだ。これはなんという山なのだろうか。別に何か名所という話も聞いたことがないし、きっと遠くからなら眺めたこともあるのだろうが特段目を引いたこともないような山だ。今後ロープウェイが通るということもないだろう。しかし、どんなにつまらない山でも地図で見てみれば名前もついていて、多少は歴史もあったりするものだろう。大昔の古墳でもあるかもしれないし、戦国時代には山城でもあって多くの武士がここで戦ったのかもしれない。そう思うと平凡な山でもいくらか面白いような気がした。

 そんなことをつらつらと考えている内に、再び月は雲の中に隠れた。


 「帰ろう」なんとなく口に出して言ってみた。人の気配のない道に一人で誰に言う訳でもないが、誰に聞かれるということもないだろう。寝付けなくて家を出たが、もう大分経っただろう。多少眠くもなってきた。これ以上遠くまで行く気にはなれない。せっかくだから山に登ってみようかとも思ったが、ちゃんとした道があるのかわからないし、この暗い中登るのも億劫だ。夜も相当に遅いとはいえ朝日が見えるまでにはさすがにまだ時間がかかる。

 立ち上がって、左右を見回してみた。来た道を帰れば簡単に帰れるが、せっかくの散歩に面白みがない。初めて歩く道だから土地勘がどれほどあてになるかわからないが、多分反対に行ってもそうかわらない時間で家まで戻れる気がする。

 ならば考える余地はないだろうと、そのまま道の先へと行くことを決めた。たとえ多少迷ったとしても、まぁそれもいいだろう。この際十分や二十分家に帰るのが遅れたところで問題ではない。空のペットボトルを小気味好く振りながら歩き始めた。

 しばらく歩いてから気がついたが、来た道に比べてさっきから随分坂が多い。もうTシャツ一枚では肌寒く感じるくらいにすっかり涼しくなったいうのに再び額には汗が滲んだ。立派とはいえないまでも一応は舗装された道を歩いていたからきっと山との境目の道だと思っていたけれども、実際は多少山の中を通っているのかもしれない。

 ちゃんとした道があるからまだ山ではないとは、思えば勝手な考えだ。登山用のいかにもな山道でなくても、山に道が通っていることはあるし、なんなら山の随分奥まで民家が建ち並んでいることはある。そもそも、そこが山か山でないかどうやって決めるのだろうか。

 息を切らしながら坂を越えると、ようやく道が平坦になって、住宅街が見えてきた。思ったより随分疲れた気がするがそれでも少しずつは家に近づいて来たようだ。

 家を出る時には東の空に高々と輝いていた月は少し西に傾いている。


 住宅街に入るとすぐに、自販機を見つけた。いい加減に邪魔になった左手のペットボトルをゴミ箱に捨てて、ポケットから小銭を取り出して新しい飲み物を買った。乾いた喉が潤うとまた歩こうという元気が出てきた。

 道があるからといってそこが山ではないとは限らないことについさっき気付かされたが、住宅街に入ると道は見事に家と家とを分けている。どこまでが自分の家で、どこからが自分の家ではないか。隣の家とは壁や塀あるいは垣根なんかで区切られている。そして、向いの家とは道で区切られている。恐らくこれに例外はないだろう。だから、山かどうかも道で区切られているような気になったのだ。

 壁や塀は、誰もそこを通れないから家と家とを区切ることが出来る。もちろん泥棒が無理をすれば越えることは不可能ではないが、普通の人は越えようと思わないからその意味があるのだろう。反対に、道は誰でも通ることが出来る。しかし、だからこそ家と家とを区切ることが出来る。正確に言えば、どこかの役所が所有していて管理しているのだろうが、本来天下の往来であって誰の物でもないからこそ誰かの家の境になるのだ。そんなことを考えるとなかなか面白いような気がした。

 今こうやって人知れず顔も見たことがない人の家の間を私が歩いていることによって、この家々は区切られるといっても過言ではないはずだ。退屈に倦んで始めたこの散歩もそう思うとなかなか有意義なものだ。足取りにも力が入ってくる。

 もう大分家に近づいたはずだ。何年も住んでいる土地なのに知らない道が意外とあるものだ。もう十分も歩けば着くと思うのだが、自分の居場所が何となくしかわからない。かといってここまで新しく面白そうな店を見つけたということもないのは住宅街の悲しいところだろう。完全に寝静まった閑静な住宅街にさほど目に留まるほど面白いこともなく淡々と歩を進めた。

 だんだんと眠気も重たくなって来た。散歩もたまにはなかなか面白いものだと思っていたが、こうなってくると早く帰りたくてしかたがない。そう思ってイライラし始めた頃にようやく見覚えのある道に辿り着いた。

 月のことはもうどうでもよくなって家路を急いだ。


 この道はこんなに狭かっただろうか。普段通る道から出発してぐるっと回って帰って来た訳だから、最後にいつ通ったのかも覚えていないような道ではあるが、記憶ではもう少し広かったような気がする。記憶違いだろうか。この辺りに住んで四、五年だから子供の頃は広かった道が狭く感じるという訳でもないのだが。まぁ、しかし、そう思ったところで道が広くなりはしないし、別に歩いて通るのに多少狭かったところでなにか差し障りがあるということもない。

 先程から、足が重い。眠気もなかなかのものだが、随分歩いた疲れも出て来たのだろう。普通家に帰って一息ついてから感じそうなものだが、それだけ体力不足なのだろう。何かに行く手を阻まれているような気分だ。ただでさえ思っていたより狭かった道は角を曲がる度に更に少しずつ狭くなって、いよいよ随分記憶と食い違って来た。しかし、左右の家々とその壁には見覚えがあるからきっと昔からそうだったのだろう。

 眠い目をこすりながら、足に痛みを感じながら歩いていると、行き止まりになった。これは流石におかしい。目の前に建っている家にも見覚えがないし、どこかで道を間違えたのか。そもそも、これが知っている道だというのが間違っていたのか。もう歩きたくないとため息をつくが、とにかく行き止まりで進めない以上引き返さないことには家には帰れない。肩を落としながら反対を向いて来た道を引き返した。

 ちゃんと来た道をその通りに歩いたつもりなのだが、道はさらに狭まって来た。人が一人通るのに別段困るということはないが、何人かで並んで歩いているとすれ違うのも難しいほどだ。眠くて意識が朦朧としてきたのだろうか。それでも、ただ道を引き返すのを間違えるとなるとよっぽどだ。一刻も早く帰って眠りたい。

 また、行き止まりになった。これまで自分をさほど方向音痴だとは思っていなかったが実は相当の方向音痴なのかもしれない。いい加減腹もたってきたが結局迷う自分が悪いので怒る訳にもいかない。こういうときほど余計に腹立たしいものである。

 再び振り向いて来た道を戻って角を曲がろうとすると、行き止まりだった。来た道が無かった。曲がり角がなかった。一体どういうことだろう。訳がわからず、もうここで寝てしまいたいくらいだ。曲がらずに五歩十歩と歩くと、行き止まりだった。道は少し窮屈に感じるくらいに狭くなっている。物にあたっても何も解決しないとは思うが、いい加減にしろという思いで、行き止まりの壁を蹴った。

 靴が、足の先が、壁へとめり込んだ。驚いて落としたまだ半分入っているペットボトルが地面に一度バウンドして壁へと吸い込まれた。あっけにとられて壁についた手が肘まで入って行った。左右の壁が窮屈なぐらいに近づいて来ている。もはや道はなくなっていた。壁の中に全てが吸い込まれて行った。道が山を区切れないように、家と家、壁と壁とも道によって区切られてはいなかった。そう思うと眠気に負けて私は深い眠りへと落ちた。

 月が大分西の空に傾いたころ、朝日が昇ってその夜の美しさはすっかり消えていった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ