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春空カノン  作者: 兎乃井メライ
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【第五楽章】 さくら

 電車から駅のホームに降り立った時、ブレザーのポケットがぶるぶると震えた。

 三回でバイブが切れたから、メールだ。二つ折りの携帯を引っ張り出して開く。美香からのメールだった。


『並木公園にいるょ』


 並木公園は、駅から家に帰る途中にあるグラウンドと体育館併設の大きな公園だ。春には満開の桜並木を見に、花見客がたくさん来る。

 でもなんでそんなところに?

 美香の家は、あたしの家とは逆方向だ。学校を軸にすれば、あたしは下り線に乗り美香は上り線に乗る。

 現在時刻は三時四十五分。学校さぼって何してたんだか、と思いながらあたしは「今から行くよ」と返信した。


 駅を出て、商店街の通りをあたしはいつも通り家の方向に向かって歩き出す。

 今日は部活がなかった。週に一回、水曜日だけは練習がないのだ。

 お昼までは晴れていたのに、夕方になるにつれて空はだんだんと曇ってきた。

 何かに急かされるように日差しをさらって雲が流れていく。

 今朝見た天気予報ではそんなこと言ってなかった気がするけど、雨になるのかな。

 そうなら、暗くなる前にさっさと帰ろう。


 並木公園には、平日なのにたくさんの人が来ていた。

 いつもは寂しそうに点々と置かれたベンチも、見たところ全部埋まっている。

 子供連れのお母さんが多いけど、中にはスーツを着たおじさんたちもいる。手に青いシートやスーパーの袋を提げているから、お花見に来たんだろう。

 入り口から奥のグラウンドまで続く満開の桜のアーチの下を、あたしは上を見上げながら歩き出した。

夜になるとここは提灯の明りでライトアップされて、幻想的な風景になる。両側に広がる広場では、花見客たちがシートを広げていそいそと宴会の準備を始めていた。


――きれい……。


 薄桃色で染め上げられた天井から、花びらが零れ落ちてくる。

 桜って本当に、はらりはらりと音がするように散るんだ。一枚、一枚、ゆっくりと絶え間なく。

 その儚い光景を見上げていると、わけもなくせつない気持ちが込み上げてくる。

 咲いて散る、花にとっては当たり前のことなのに、それが何だか悲しい。舞い散る花が、涙のように見えるからだろうか。

 そんな風に少し感傷的な気持ちに浸っていると、手に持っていた携帯がまた震えた。


『ついたあ? まだ?』


 通話ボタンを押すと、甘えたようにしゃべる美香の声が電話口から聞こえた。

「着いたけど、どこにいるの?」

 携帯を耳に当てて、あたしは辺りを見回した。

『えっとねえ〜、真ん中へんのベンチにいる。あ、見えた! ここ、ここ!』

 すると少し先のベンチから、美香らしき女の子が大きく手を振っているのが見えた。携帯を切ってポケットに入れると、あたしはベンチに駆け寄った。

「おっつかれえ〜」

 チアリーデングの掛け声並みの元気のよさで、美香があたしを迎えた。

 

 美香は私服だった。

 黒のスキニージーンズに、白のエナメルパンプス、ベージュのショートトレンチに若草色の春マフラー。きついスパイラルパーマをかけた髪は、今日は頭のてっぺんで大きなおだんごにしている。

 私服だと、美香は大学生くらいに見える。

「どうしたの、こんなとこで。学校サボって、まさかずっとここにいたの?」

 ううん、と首を振って美香はベンチに座った。あたしもカバンを抱えて隣に座る。

「おねえちゃんのアパートに行ってたんだぁ。ここから三十分くらいのところなの。でもおねえちゃん仕事で午後出かけちゃったから、暇だなーと思って散歩してたらここ見つけて。そういえば透子んちが近かったなって思い出して、メールしてみた」

 そっか。そういえば美香のお姉ちゃんはこの辺の会社に勤めてるんだっけ。

「よく覚えてたね。美香、一回うちに来たことがあるだけなのに」

「フフーン。あたくし、記憶力はいいの。水曜は合唱部の練習がないことも、ちゃんと頭に入ってたよん」

 にっときれいに並んだ歯を覗かせて笑うと、美香は脇に置いたコンビニの袋の中からウーロン茶のペットボトルを取り出してあたしに差し出した。

「ありがと」

 受け取ると、美香は自分の飲みかけのレモンティーのボトルを開けて口元へ傾けた。

 ――こういう瞬間、あたしはちょっとうれしい。

 友達が自分の好みを覚えていてくれる。

 美香とあたしの付き合いはたった一年だけど、あたしだって美香の好き嫌いはちゃんと覚えてる。ただ単に一緒にいたわけじゃなくて、あたしたちはちゃんとお互いを知りながら過ごしてきたんだと、こういうささいな出来事は実感させてくれる。

「ねえ、大丈夫なの?」

 ウーロン茶のキャップを回しながら、あたしは横の美香を見た。

「なにがあ?」

「学校だよ。美香、一年の時も結構遅刻欠席したでしょ。あんまりテキトーにやってると、卒業できなくなるよ」

 呑気に訊き返す美香に呆れながら、あたしは一口お茶を飲んだ。

「わかってるよお。でも、日本人なら春には桜を見なきゃ」

 頭上を仰いで、美香は桜を受け止めようとするように両手を広げた。

 本気で心配してるのに軽く流されて、あたしはちょっとむっとする。

「ちょっと、マジメに聞いてよ。テストだって毎回追試じゃまずいんだからね」

 少し本気で声を尖らせると、美香はまあまあとあたしの肩を叩いた。

「だあいじょうぶだよ、今度はちゃんとやるって。透子先生がついてるんだし」

「――あたし頭よくないよ」

「いつも三十番以内に入ってるじゃん。あたしから見たら天才の領域だよ」

 それはこの高校のレベルでの話。あたしの偏差値なんてたいしたことない。

「まったくもう。美香といい田崎くんといい、どうしてあたしの友達はいい加減なのよ」

 溜め息が深くなる。

 何を根拠にそうノー天気でいられるんだろう。

 美香や田崎くんの性格や好みは知っていても、頭の中まではわからない。

 ……一生のナゾかも。


「あ、コアラちゃん元気? 春休み中メールは何度かしたけど、まだ会ってないんだよね」

 よいしょ、と美香はベンチの上に足を上げてあぐらをかいた。

「今日はチャイム前に来てたけど、授業はほとんど寝てた。相変わらずだよ」

「あははっ、せっかくジャマ者が抜けて大チャンスなのにダメなやつー」

「チャンスって?」

 聞き返すと美香はあたしを見、何か企んでいるようににやっと笑った。

「気付いてないんだあ、やっぱ。コアラちゃん、あんたのこと好きなんだよ」

「はっ!?」


 思わずあたしは腰が浮きそうになった。


 田崎くんがあたしを好き??


「……そんな素振り全然ないけど」

 一瞬どきっとしちゃったけど、思い当たるふしがまったくない。頭に浮かぶ田崎くんはいつも、机に突っ伏して寝ているか眠そうに顔を上げた姿だ。いつものほほんスローな彼の視界に、あたしがそんな大そうな存在に映ってるとは思えない。

 首を傾げたあたしを美香が笑う。

「だろうねー。知ってる? TVで見たんだけど、コアラって脳ミソがすっごい小っちゃいんだって。だから難しいことは覚えられなくて、行動パターンが同じになっちゃうらしい。いつも眠そうにしてるのはユーカリを食べてるせいなんだけど、それにも気づけないんだってさ。あいつも似てるよねぇ。このままじゃ一生気付いてもらえないよって言ってやったんだけど」

「田崎くん本人から聞いたの?」

「ううん、そんな感じがしたから忠告しただけ」

 なにそれ、美香の単なる憶測じゃない。ちょっぴり構えてしまったあたしは損をした気分になった。

 それにしても、脳みその大きさをコアラと比較するなんて、美香にとって田崎くんはどんな存在なんだか。

「なーんだ、美香の先走りか」

「違うよぉ、絶対そうだって! 見てるとなんとなくわかるの。でもさ、もし好きだって言われたら、透子どうする? 付き合う?」

 美香が調子に乗って肘で突付いてくる。

 

 田崎くんとあたしが?

 

 もちろん田崎くんのことは好きだし、無理をしなくていいから一緒にいて楽だ。

 だけど、恋愛対象として意識したことなかった。三人でいるのが楽しかったから。

「うーん、考えたことない……わかんないな。でも今は恋愛ってあんまり興味ないかも」

「それ去年も聞いたよ〜、透子ほんとにカレシいらないの? いくらでも紹介するよ?」

 美香が得意げに胸を張る。

 美香は他校に友達が多い。彼氏と別れても男の子の存在が絶えない。今は付き合っている人はいないみたいだけど、チアの応援で知り合った人と結構合コンとかもしているみたい。時々誘われるけど、あたしはそういうのが苦手で断っている。

「んーまだいい。今は部活に集中したいんだよね」

「マジメだなぁ、透子は。髪も染めないし、スカートも膝上五センチで規則通りでしょ。義理のお母さんとも仲良くやってるし、偉いよ、ほんと。あたしなんて実の母親ともぶつかるのにさぁ」


 偉い?


 膝の上で両手で挟んでいるウーロン茶のボトルをあたしは見下ろした。


 違うよ。

 聞き分けがいいんだよ、あたしは。

 本当は……て言い出したらきりがないから、欲求をおさえて静かにしているだけ。

 だって、何事も平和なほうがいいじゃない。面倒なことはないほうが。

 衝突すれば壊れるかもしれない、それは怖い。


「そんなことないよ。言いたいこと言い合えたほうがいいじゃない」


 だから、全部弾いて消していくの。

 感情が高ぶりそうになったら、一つ。

 我慢するために、一つ。

 リズムが狂わないように。


「そうかな〜? 時々ほんとすごいよ、取っ組み合いになるもん。ガマンしなきゃいけないのはわかってるんだけど、あたしもお母さんも気が強いんだぁ」

 レモンティーを飲み干して空のボトルをコンビニの袋に入れると、美香はベンチに乗せていた足を地面に下ろした。あたしは小さく笑う。

「……でもうらやましいよ。なんかシンプルでいいじゃん」


 シンプルになれたら。

 あるがまま、いられたら。

 ジュースやコーヒーになる前の、透明な水みたいに。


「何かあったぁ? 透子」

 ベンチから立ち上がった美香が、覗き込んでくる。下がり気味になった気分を払いのけて、あたしは首を横に振った。

「くだらないことでも、なんでも相談するんだぞー。つきあいは短いけど、透子はあたしの大事な親友なんだからサ。美香さん、テキトーだけど、意外と頼りになるよ?」

 口が伸びていきそうなほどにこーっと美香が笑う。


 ――ほわん、と胸の中で何かが弾けた。


「……うん」

 あたしは小さく頷いた。ちょっと上手く笑えなくて俯いた。

 その間に美香はぱっと走り出す。

 

「ねえ知ってる?」


 桜の下で、美香が両腕を広げた。


「舞い散る桜の花びらをつかめたら、幸せになれるんだってさ」

 そう言って、ひらりと目の前を過ぎる花びらに手をのばす。

「なにそれ」子供みたいにえい、えい、とジャンプしている美香を見てあたしは笑った。

「これから散ろうとしてるのに?」

「夢がないなぁ。いいウワサは信じとくもんだよっ。とぉっ!」

 掛け声を上げながら、花びらをつかまえようと美香が何度も飛び上がる。でもすばしっこい花びらは、宙を舞って逃げていく。

「けっこうムズいよ、これー。透子もやんなよ!」

 美香に促されてあたしはカバンを置いて立ち上がる。

 暗さを含み始めた空をあたしは見上げた。はらはら、はらはら、花びらが零れ落ちてくる。

 辺りは暗くなっていくのに、小さな欠片は蛍みたいに淡く輝いて。幻のように、夢のように。


「えいっ」


 あたしも飛び上がって、腕を一振りした。

 拳を作った手の中にかすかな感触。


 開いてみると手の平の真ん中に、ほんのりピンクの花びらが一枚、ちょこんと座っていた。


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