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春空カノン  作者: 兎乃井メライ
12/16

【第十一楽章】 衝突

あけましておめでとうございます!

どうぞ今年も『春空カノン』を宜しくお願いいたします。

 聞こえたのはいつもあたしが昼休みに使っている準備室からだった。


――カノンだ。


 とっさにお弁当箱をその場に置いて、あたしはベンチから立ち上がった。

「待ってよ、透子」

 美香が慌てて追ってくる。

 振り返ることも忘れてあたしは裏校舎の入り口に走った。中に入り階段を三階まで上がっていく。


――もしかして。


 三階の廊下についた途端、ピアノの音が止んだ。

「ちょっとぉ」と下から呼びかける美香の方を一瞥して「待ってて」と言い、あたしは一番奥の準備室へと向かう。そして少し歪んだ扉を開いた。

「あ、咲ちゃん」

 窓の方を向いて立っていた結理先輩が振り返った。

 そしてその向こう、ピアノの前に――聡太が座っていた。


……なんで?


「咲ちゃん、ちょうどよかったー。いい人材を見つけたんだよ〜」

 駆け寄って来た結理先輩があたしの腕を引っ張った。

 棒立ちになっていた足をあたしは引かれるままに中に踏み入れた。

「さっき音楽室で昼寝してたらピアノの音がしたから、咲ちゃんかなーと思って来てみたの。そしたらこの子が弾いてたんだよ」

 聡太のいるピアノの前で結理先輩は手を離した。

「思わず声かけたら、咲ちゃんの弟じゃーん! 入学式の挨拶で顔見てたからすぐわかったよ」

 鍵盤の上から聡太が手を下ろす。あたしを上目遣いにちらっと見て、それから気まずそうに下を向いた。

「すごい上手だね、びっくりしちゃった。咲ちゃんみたいだったよ」

 浮かれた結理先輩の声を耳元に、あたしは聡太をじっと見下ろした。


 なんで?

 なんでここにいるの?


 心臓が不意打ちにバクバクいってる。あたしを見るのが怖いのか、聡太は窓の方を向いてだまっていた。

「やめたって聞いたけど、まだ全然弾けるんだね。咲ちゃん、なんで教えてくれなかったの?」

 あたしは愛想笑いを返す。でも声が出てこない。何を言っていいのかわからない。

「知ってたらすぐ勧誘したのに。ねえ弟くんは部活決めたの?」

 結理先輩に聞かれて、聡太が「いや」と下向きがちに言った。「入るつもりないんで」

「なんでー?」  

結理先輩がなんで、なんでと繰り返す。


――いやだ。


 あたしは急に怖くなった。

 結理先輩が何を言いたいのかがわかって。

「じゃあさ、うちの部に入らない? 合唱部なんだけど、伴奏者も募集してるから」


――やめてよ。


 もうそこまでにして。

 目を瞑りたい気持ちで、あたしは二人の間に立っていた。

「いえ」と聡太が椅子から立ち上がる。ピアノの上にあったビニール袋をとって丸めると、ズボンのポケットに押し込む。

「興味ないんで、部活って」

 素っ気無い聡太に結理先輩がえーと声を上げた。

「咲ちゃんも一人増えた方が楽になるよね? 合唱の方にも回れるし。弟なら色々相談も出来るだろうしさ」

 刃物のように結理先輩の一言一言が突き刺さってくる。


 どうしよう、頷かないと。落ち着くんだ。


「弟くん、考えてみてくれない? ぜひ!」

 両手を合わせる結理先輩に、聡太が黙り込む。

 聞きたくない、聞きたくない。

 お願い、とらないで――

 取り戻そうと探していたメトロノームの音が、弾けとんだ。


「やめてよ!」


 目の前の二人が驚いて、同時にあたしを見た。

 頭の方から身体中の血の気が一気に引いた。あたしはそのまま準備室を飛び出していた。




 



 聡太がピアノを始めると言った時、あたしはうれしかった。


 一人で教室に行くのはずいぶんたっても慣れなくて緊張したしつまらなかったから。

 だけど聡太はあたしを抜いてしまった。あたしがメヌエットにてこずっている間に。

 今でも忘れない、青いバイエル。レオポルト・モーツァルトのメヌエット。

 それからどこかで焦りは感じていたと思う。

 あたしの好きなもの、全部とられちゃうんじゃないかって。聡太はすぐに何でも真似したがったから。

 その後あたしは必死に練習して追いついた。 


 居場所がなくなる――ピアノまでとられてしまったら。


 失敗した中学の合唱コンクール、あの時もあたしはその気持ちでいっぱいだったんだ。


 結理先輩には放課後部活が始まる前に謝った。

「びっくりしたよお」と笑って許してくれたけど、あたしの剣幕には相当びっくりしたみたいで、「こっちも、ごめんね」と気を使わせてしまった。

 今日は伴奏はさんざんだった。

 もうとっくに完成したはずだったのに、得意とする箇所でばかり間違えて皆に迷惑をかけた。本当はあと三十分あったけど、体調が悪いと言って家に帰ってきてしまった。本当は嫌だったけど、他に行くところもないから。

「あら、おかえり。今日は早いのね」

 先に玄関に並んでいた聡太の靴を横目にローファーを脱ごうとしていると、音に気付いてママが台所から顔を出した。

 開いたドアの中からごま油のにおいが漂ってくる。今夜は延期されていた野菜炒めの日だ。

「ただいま。うん、部活早く切り上げたの」

 入り口に立つママにお弁当箱を渡す。そのまま階段を上がろうとしたら呼び止められた。

「ねえ、透子。あの子……聡太、どう?」

「どうって何が?」

 うん、とママが思い悩んでいるように目線を下に向けた。

「まだ入学したてだけど、うまくやってるのかなって。授業内容とか、どうなのかしら。そのへんあの子何か言ってない?」


――なるほどね。


 ママが何を心配しているのかあたしにはすぐにわかった。


“あんなレベルの低い学校に行って、物足りないんじゃないかしら”


 そういうことだ。

「ううん、何も聞いてないよ」

 首を傾げてみせてあたしは階段を上がった。


――ほんと、聡太ばっかり。


 ママはあたしに失望してるんだろうか。気遣って言葉を選ぼうとしてくれていたけど、それが逆にむなしい。

 やっぱりあたしはママの子じゃないんだって再認識させられる。どんなにいい子でいたって変えられないんだって。

 二階に上がって自分の部屋のドアを開ける。同時に隣の聡太の部屋の扉が開いた。

「透子、話があるんだけど」

 ジーンズに黒の長袖のカットソー姿の聡太がおかえり、もなく切り出す。ずっと待ち構えてたみたいに。

「……なによ。早く言えば」

「ここじゃ言えない。ちょっとこっち来て」

 自分の部屋の中を差す。だけど聞かなかったふりをして自室に入ろうとすると、

「来いってば」

 半ば強制的に引っ張られて部屋の中に押し込まれた。

「なによ!」

 ドアがバンと音をたてて閉められる。入り口を塞ぐようにして立つ聡太があたしを睨んだ。

「話くらい出来ねえのかよ」

 あきらかに怒っている声だった。

「……話なんてないもん」

 肩に掛けた鞄の持ち手を握り締める。聡太があたしの近くに立った。

「うそつき。言いたいことあるんだろ。言えよ」

 二十センチ近くある身長差は近付くほどに威圧的だ。びびりそうになったけど、あたしは避けずに持ちこたえた。

「――うそつきはそっちでしょ」

「何がだよ」

「準備室にはもう来ないでって約束したでしょ。何で来たのよ」

 そうすればあんなことにはならなかった。あたしはメトロノームの音を見失わなかった。

 聡太がピアノなんか弾いていなければ、怖れていたことを聞かずに済んだのに。

「あんたもう、ピアノはやめたって言ったじゃない。もうやらないって。なのにどうして弾いてたのよ! 自慢したくなったの? あたしよりうまいって?」

「違うよ」ため息とともに聡太が吐き出した。

「オレ、合唱部に入るつもりなんてない。あの先輩にもそう言ったよ」

「当たり前よ」無意識に語調がきつくなる。目の前の利口そうな聡太の顔がにくたらしくて仕方なかった。

「聡太には無理よ。すぐ面倒くさいって言うじゃない。あんたは何でも出来るけど、忍耐力がないのよ」

「なんで言い切れんだよ。そんなのやってみないとわからないだろ」

「わかるよ! てっぺんが見えると飽きちゃうのよ、あんたは。――いつもそうじゃない。人の真似してなんでも手を出して、出来るとすぐにポイって。どうせまた同じことになるんだから、あたしはそんなヤツと一緒にやりたくないよ!」

「勝手に決めんな!」

 すぐ横の勉強机の椅子を聡太が蹴飛ばした。あたしは怒鳴り返す。

「だってそうじゃない! あたしはもう嫌だよ、あんたにとられていくの! このままじゃ何もなくなっちゃうじゃない! いつだってあんたばっかり! みんなが誉めるのも、心配するのも!」

 ママだって、結理先輩だって。

 誰もあたしを見ていない。傷ついてるのに、気付いてもらえない。

 人はみんなうわべばかり見る。笑っていれば大丈夫なんだと判断されてしまう。目に見えるものだけがすべてじゃないのに。真実じゃないのに。

「オレはそんなつもりなんかない! なんでも人のせいにすんなよ! そういうのひがみっていうんじゃないの?」

「悪かったわね! どうせあたしは嫌な女だよ。頭も悪いしかわいくもないしお姉さんらしくもないし、出来のいいあんたとは違うよ!」

「やめろよ」

 聡太が急に表情を歪めた。傷ついた顔――だけどそれすら、あたしの劣等感を掻き立てた。

「とらないで」

 泣きたくないのに、涙が目頭に滲んだ。

「あたし……もっと嫌な人間になっちゃう。もとに戻ろうよ。昔みたいに……」


『お姉ちゃん』と呼ばれていたあの頃に。そうでなければ、もう限界だ。

 このままじゃ何かが違う。どんどん歯車がずれていくような気がする。

 あたしのリズムは二度と戻ってこない。


「だって――」

 聡太の声が掠れた。震えているような息遣いだった。



「……オレは、透子の弟じゃ嫌なんだ」   



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