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春空カノン  作者: 兎乃井メライ
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【第十楽章】 後悔

“ごはんは?”というママの問い掛けに振り向きもせず、あたしは二階への階段を駆け上がって部屋に引きこもった。

 電気をつけないまま、カバンを放り出しフローリングの床に座り込む。そして膝を抱えてうずくまった。


――サイアクだ、あたし。


 罪悪感と自分への情けなさでいっぱいだった。今日ほど自分が嫌になったことはなかった。


『透子は言える?』


 美香の言葉を聞くまで、あたしは百パーセント被害者のつもりでいた。責めたっていいと思っていたのだ。

 先生に駅まで送ってもらい、田崎くんと別れて電車に乗った後家路をとぼとぼ歩きながら、涙があふれてきた。

 泣くのをこらえていた美香を思い出して。


――どうしよう。


 あたしはひどいことを言ったのだ。美香の気持ちを知らないで。

 どうして今まで美香が遅刻していたのかも知らないで。

 遅れて登校した彼女をいつもあたしは叱っていた。そのたびに「だって面倒なんだもん起きるの〜」なんてのんきにむくれる様子に呆れたりして。

 でも美香が欠席や遅刻ばかりしていたのは、寝坊したからでも遊びに行っていたからでもない。


 お父さんの入院する病院に行っていたのだ。


 そういえば美香の話題の中にお母さんの話はあってもお父さんはなかった。気に留めてもいなかった。もしかしたら私が切り出せば、美香は話してくれたかもしれない。気付いてあげられたらよかった。

 自己嫌悪の波が押し寄せる。後悔ってどうしてこんなにとめどないんだろう。


「透子?」


 背後でノックとドアの開く音がした。パチンとスイッチが入って部屋の電気がつく。

「ごはん、食べないの?」

 聡太の声だ。泣き濡れた顔を膝にうずめたまま、あたしは鼻をすすった。

「……あっち行ってよ」

「どうしたの?」

「なんでもないよ。ほっといて」

「だって……なんで泣いてるの?」

「……うるさいな。ほっといてってば!」

 きつめに言い放ちあたしは両腕を抱き寄せた。涙腺がゆるむと制御の糸をすべて手放してしまいそうになる。ぎすぎすした負の感情が勝手に増殖してしまう。

 少し沈黙があってドアの閉まる音がしたので、何も言わずに聡太は出て行った、と思った。

「よいしょ」

 けれどもう一度ずず、と鼻水をすすった時、掛け声とともに背中に温かいものが触れた。


 ――聡太の背中だ。


「何か、あったんだろ?」

 丸まったあたしの背中の中心に、聡太の体温が押し付けられた。

「誰かにひどいことでも言われた?」

 迷子の子供に問い掛けるみたいに、聡太が訊いてきた。

「言ってみなよ、聞くから」


――反則だ。


 聡太はいつもこう。

 見て欲しくない時に限って側に来て、弱っている時に限ってあたしが欲しい言葉をくれる。強がりたい、見せたくない、そんなあたしの我慢を見つけてちっぽけなプライドを突き崩してしまう。

 きれいに片付けようとすればするほど、おはじきをばら撒いてばかりいるあたしを知っているみたいに。

「……美香のお父さんが亡くなったの」

 涙声をあたしは押し出した。

「美香って、透子の仲のいい友達?」

「そう……ガンだったんだって。でもあたし何も知らなかったの。お父さんが病気だっていうことも、入院してたことも」

「その美香さんは透子に言わなかったんだ」

「……うん、親友だと思ってたのに」

 毎日あたしたちは当たり前のように一緒にいた。学校では何かあると真っ先に報告しあった。

 あたしはもともと口数が多い方じゃないけど、美香は自分から色々質問をして話しやすいようにしてくれたり。あたしはいつも美香が失恋すれば、夜中まで電話でなぐさめたりした。

 お互いのことをちゃんと見ていた――そう思ってたのに。

「そっか。だから、ショックだったんだ」

 心の声と聡太の言葉が重なって、じわりと涙が浮き上がった。

「……あたしは美香に信用されてなかったのかな」

「どうして?」

「だから話してくれなかったんだ」

「うーん……それは違うと思うよ」

 聡太が低く唸る。大人の男の人みたいだった。

「仲がいいからこそ、言えないことだってあるんじゃないかな」

「……どういうこと?」

「余計な心配させたくないからだよ。一緒にいる時は楽しい顔したいって思うじゃん」

「……そうなのかな」

 楽しいだけって偽物のような気がする。お互い無理して頑張ってるみたいな。

「じゃあさ、透子は美香さんのこと信用してた?」

「してたよ、……もちろん」

「じゃあ何もかも全部話した? 透子が抱えていることも」

「……なによ、それ」

「しらばっくれるなよ。いつも透子が我慢していることだよ」

「…………」

 真っ先に浮かんだのは昨日の夕食のことだった。なんとか全部食べ終えたカレーの、もそもそしたじゃがいもの感触。

「ほら、あるだろ言ってないこと。なんで透子は話さないの?」


――その方がいいからよ。


 ママは一生懸命やっている。わかってるから。

 今ある家族の形を余計なことを言って崩したくないから。

「透子は思ってることあんまり言わないだろ。美香さんもきっと、一緒にいるならそういうのわかってると思う。彼女はそれに対して何か文句言ったことある?」

「……ない。相談しなよ、とはよく言うけど」

「ほら」

 聡太があたしの背中を自分の背で押した。

「透子が話すのを、美香さんは待ってるんだよ」

 膝の上からあたしは顔を浮かせた。

「待ってあげるのも思いやりなんじゃない? 友達としての」


 黙って待つことも。


 何がなんでも内側に入り込んでわけてもらおうとするんじゃなく。

 ……そうだ、そうなんだ。あたしはなんて自分勝手なんだろう。美香ばかり責めて。


 ――ごめんね、美香。


 急に美香の笑顔がとてつもなく懐かしくなって、ぼろぼろ涙が流れた。

「あたし……嫌なこと言った」

 両目を両手で拭って、そのまま押さえた。これ以上あふれないように。

「友達だってさ、全部知らなきゃ分かり合えないってわけじゃないと思うよ。長い時間一緒にいたって近くにいたって、乗り越えられないものもあるし」

「……なに、それ」

「教えないよ」聡太が笑う。「オレにだって言いたくないことの一つや二つあるもん」

「聡太は……謎が多いよ」

「そう?」

 わからないことだらけ。ちっとも弟らしくなくて、何でもわかってるような顔して。

 いつも負けてしまう。

 あたしは自分のリズムを保つのに必死なのに、聡太のリズムはいつも変わらない。

「単純だって言ったじゃん。オレは何も隠してないよ」

 雨の夜と同じように背中の体温が溶け合っていく。

 あの時も思った。

 人のぬくもりってどうしてこんなに落ち着くんだろうって。

「透子が言えるようになったら教えてあげるよ」

 意味ありげに聡太が言った。

 あたしが全部言えたら?

 来るのかな、そんな日が。あたしが変われる日が。

「大丈夫だよ」

 両目を覆うあたしの耳に、はっきりと聡太の頷きが聞こえた。

「仲直り出来るよ」

 最後に一筋こぼれてしまった涙が唇に染み込んだ。

「うん……」


――しょっぱい。


 大きく息を吸って、あたしは両手を離した。

 そしてカーテンの開いた濃紺色の窓の外を見上げた。





 三日休んで美香は学校に来た。

 その間電話もメールもこなかったし、あたしも出来なかった。

 もしかしたらあたしたちはこのまま終わるのかもしれない。そんな風にも思った。

 美香がいなくなってもあたしはいつも通りに生活していけるだろう。友達は他にもいる。だけどずっと使っていたものがなくなったような、物足りなさを感じていた。

 でも三日後、美香はお昼休みにあたしの教室に来た。

 見慣れた短いスカートにふんわりと下ろした髪、しっかりと書かれた眉に何度も重ねづけしてボリュームを出した長いまつげ。それを見た瞬間、あたしはひどく安心して泣きそうになってしまった。

「ごめんね、本当に」

 中庭のベンチに二人で並んでお弁当を食べながら、美香が切り出した。

「透子に言わなきゃって思ってたんだけど、いつもタイミング逃しちゃって。だましてたみたいになっちゃって」

「ううん」膝の上のお弁当箱をあたしは見下ろした。

「あたしもごめん、美香の気持ち知らないで。無神経だった。本当にごめんね」

 思い切って顔を上げると美香と目が合った。

「いいの。透子はあたしのこと心配してくれてたんだよね。ありがとう」

 美香が素早く首を横に振った。

「まだうまく切り替えできないかもしれないけど、あたし大丈夫だから。ちゃんと学校にも来るし、また一緒にお弁当食べよう」

「うん、もちろんだよ」

 あたしは笑って頷いた。

「よかった」

 ぱっと美香が笑った。あたしの好きな笑顔で。

 

『待ってあげるのも思いやりなんじゃない? 友達としての』


 昨日の聡太の言葉で気付かされた。

 もっと大人にならなきゃって。


 きっとこれからも同じようなことがあるかもしれない。

 でもその時は黙って見守ってあげるんだ。

 美香が本音を言いたくなった時だけ、聞いてあげよう。大事に聞いてあげよう。

 そんな包み込む優しさを、あたしは持ちたいと思う。


「また聞かせてね、透子のピアノ。あんたの音って、すごく優しくて好きなの」

 はらはらと舞い散る桜の花びらを見上げながら、美香が言った。

 見頃を過ぎて桜は終わりを迎えようとしていた。とめどない薄桃色の雨が中庭中に降り注ぐ。

「――うん」

 温かい春の風景にあたしは目を細めた。小さなひとひらがあたしのおはじきを一つ、そっと包み込んだ。

「お弁当食べよっか」

 あたしたちは笑いあって、昼食に戻ろうとした。


 その時。


 どこからか、ピアノの音色が流れてきた。


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