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三回目の出来事

 三回目の出来事は、高校二年に上がった五月。ちょうどゴールデンウィークの真っ最中だった。


「いい天気だなー」と、窓の外を眺めていたら携帯電話が鳴った。表示されている名前は「宮脇幸喜」──そう、ついにさやかは、前回の電話の時に彼の番号を登録したのである。


 反射的にさやかは、イナ絡みであることを察知した。この一年、彼女は電話を待っていた気がする。同じクラスで、同じ空間を長い時間共有しながらも、他の人のいるところで二人は、不思議な異世界人についての話をしなかった。かといって、二人になる機会があっても、大して話すことはないのだが。


 ただ、ちらりと、目を見る。


 秘密を共有し合う人間にしか交わせない、「分かっているよ」という目。


 それが、幸喜とさやかのこれまでの距離だった。


「はい、山下です」


 相手が誰か分かって出るので、彼女は最初から名乗る。無意識に深呼吸して、呼吸を整えてから出たが。


『あ、俺……幸喜。イナが来たんだけど』


「行きますとも!」



 ※



 五月の河川敷は、少し日差しが強い。帽子を持ってきたさやかに、ぬかりはなかった。


 川べりにある影は三つ。


 そう、三つだった。


 お父さんと、お母さんと、その子ども。


 さやかがそう形容したくなるシルエットの真ん中の影は、もはや赤ん坊ではない。小さいは小さいが、小学生くらいの大きさがあった。


 彼女は、前と同じように河川敷を駆け下りる。青々としたクローバーの生い茂る斜面だ。


「宮脇くん!」


「よぉ、山下」


 近づいてくるちょっと嬉しそうな幸喜に、片手で挨拶を投げるや、さやかはそのまま彼の横をすり抜けた。そのまま、イナの横にいる男の子へと向かう。


 虹色のシャツに金色のショートパンツ。もはや色彩感覚について突っ込むのは野暮なことだ。イナの服の色も、似たようなものである。


「こんにちは、チビ幸喜くん!」


 そのまま、膝をかがめるように近づくや、さやかは驚く少年を無視して、ぎゅうっと抱きしめた。


 さやかは、彼が幸喜のクローンであることは疑っていなかった。宮脇幸喜が小さい頃はこうだったのだろうと思える面影が、色濃くあったからだ。赤ん坊の頃から似ていると思ってはいたが、ますますよく似てきた。


 かわえぇぇぇ。


 ツンと立った髪に、さやかの猪突猛進に驚いているどんぐり目。まだまだ縦に伸びるので一生懸命で、無駄な肉がないひょろっとした身体。小学校中学年程度だろうか。赤ん坊の可愛さとは、また別の可愛さが幸喜少年にはあった。


 健気な可愛さ、というべきか。細い足で地面を踏みしめて立っている姿だけで、さやかの母性がキュンキュンと刺激される。


「チビって呼ばないで下さい」


 そんな彼の初めての声を、さやかは聞いた。まだ声変わりの来ていない、性別のはっきりしない高めの音。


「あ、ごめんごめん。ちっちゃい時と同じにしちゃいけないよね」


 久しぶりに会った親戚のおばちゃんのような真似を自分がしたことに、さやかは気づいてぱっと抱きしめていた手を離した。


「何て呼べばいい?」


 どんぐりが少し細くなって、元の目の大きさに戻った彼を見つめながら、さやかは聞いた。


「……コウキでいいです」


 ちょっとだけ視線を下げて、彼はそう答えた。イナは、どうやらさやかのクラスメートと同じ名を彼につけたようだ。しかし、少年が口にした名前のイントネーションは、少しぎこちないものだった。


「分かった、コウキくんね」


 さやかは、出来るだけそのイントネーションに忠実に彼を呼んだ。クラスメートの幸喜のことは、「宮脇くん」と呼んでいるのだから、呼び分けは自然に出来ると思い、さやかはうんうんと頷いた。


「おい」と、後方の高い位置からツッコミが入ってくる。同じ名を使われるのが不快なのだろうかと、さやかは彼を振り返った。チビ幸喜に合わせているため膝を曲げている彼女からすると、幸喜は随分高いところに顔がある。これが、チビ幸喜の視界だとすると、随分怖い印象を受けてしまうのではないだろうかと彼女は思った。


「宮脇くん、いいよね? この子の名前、コウキくんだし」


 DNAの元だからって、自分の名前の優先権を主張したがっているわけではないだろうと思いながら、彼に確認のためそう投げかけた。


「俺がひっかかってんのは、そっちじゃねぇよ」


「じゃあどっち?」


「……好きに呼んだらいいだろ」


 問答をしたいのかと思えるような抵抗を彼は見せたが、すぐに無抵抗に戻った。そんな幸喜に、言質は取ったと、さやかはにまっと笑顔を浮かべる。


「コウキくん、退屈でしょ? 一緒に遊ぼっか」


 弟や親戚の小さい子たちは、親の事情でつれ回された時、すぐに飽きて退屈そうにしていた。勿論、さやかも小さい時はそうだったのだろうが、自分のことはよく見えないものである。


 ただ、きっとコウキもそうだろうと、彼女はその小さな手を取った。


「ああっ、私から遠く離さないでっ!」


 悲鳴のようにイナに呼び止められ、さやかは引っ張りかけた手をぴたっと止めた。そうだった、と。


「んー……鬼ごっこも駄目かあ。あ、そうだ、じゃあ四葉のクローバー探そう!」


 青々と茂るクローバーの土手を、さやかは指差した。これなら走り回るわけではなく、狭い範囲をごそごそするだけなので、イナも距離を測りやすいだろう。


「四葉のクローバー?」


「そう、幸運のお守りになるの。珍しいやつ」


 行こ行こと、さやかはコウキの手を引っ張った。


 うろんな目で、幸喜に見られている。高校生にもなって、幼稚なことだと思われているのかもしれない。それとも「ほぼ10」に、そんなお守りは不要だと思っているのだろうか。


 その目を振り切って、さやかはコウキを連れてクローバーの中に座り込む。


「ほら、これが三つ葉。これも三つ葉。普通は三つなの。ごくたまに、四つの葉があるのよ」と、さやかが先輩ぶって説明した矢先。


「はい」


 コウキは、その小さな指で一点を指した。「ん?」と、さやかがそこを見ると。


「うおおおおお!!」


 思わず地面に両手をついて、彼女は這いつくばるような態勢でそれを見た。


 四葉のクローバーが、確かにそこにはあったのだ。しかも、その周辺はすべて四葉。四葉のクローバーの群生である。


「こ、こんなに沢山の四葉のクローバー、初めて見た! すごい、すごい!」


「それは、自然のクローンね」


 近づいてきたイナが、膝に手を当てて上から覗き込むように群生を見る。そして、まるで先生のような口調で言った。


「ほら、葉の白い柄が同じでしょう? この四つ葉はみな、同じDNAで出来ているのよ」


 ほへーっと、さやかが阿呆のように口を開けて聞いている横で、コウキが彼女の説明に熱心に聞き入り、そして二度頷いた。


「僕と一緒ですね」


「おい、イナ」


 二人の「幸喜」の声が重なる。前者は、少し寂しげに。後者は少し苛立たしげに。


 後者の男が続けて口を開きかけた時、さやかと一瞬目が合う。「ちょっと来い」と、幸喜はイナの腕を引っ張って行ってしまった。


「わわ、私をコウキから引き離さないで」「俺がいるから大丈夫だろ」「あ、そっか」──何とも馬鹿馬鹿しいやりとりをしながら、声が聞こえないほど二人に距離を取られる。


 あー。


 これから幸喜が、イナに説教でもするのかなと思って、さやかは苦笑いをした。クローンで生まれた少年の前で、ずばっとクローンの話題をしたからだ。コウキも、自分の「存在」について考え始める年頃なのだろう。自分がどうして生まれたのか。幸喜という人間と、どういう関係なのか。


 そう考えると、最初に「チビ幸喜」と呼んだことは、良くないことだったのだろう。さやかも、後で幸喜に説教を食らうかもしれない。


 少年は、うつむいてしまった。クローバーを見ているように見えるが、おそらくそうではないとさやかは思った。


「チビ幸喜」も「クローバー」も、きっかけを作ったのはどちらもさやかだ。マズかったなあと反省しつつ、目の前のしょんぼりした少年の頭を見つめる。


「イナさん、すっごい不運な人なんだって」


「……」


「それでもって、宮脇くんはすっごい幸運な人なんだって」


 さやかは、指先で見つかったばかりの四葉のクローバーのひとつをいじった。これほど沢山あると、急いで取らなきゃという気にはならない。不思議なものだ。


「イナさんは、宮脇くんを連れて行きたがった。でも断った。じゃあと、イナさんは宮脇くんのクローンを作ろうと考えて本人にお願いした……その時、宮脇くんはイナさんに約束させたんだって。『ちゃんと幸せにしてるか、俺が見るから連れて来い』って」


 クローンの子を、どうやって慰めればいいのか、やったことのないさやかにはよく分からなかった。それに、たとえいまそれをしたところで、年齢的に受け入れられないかもしれない。


 だから、さやかは「本当のこと」を口にした。人は、その場では理解できなくとも、「本当のこと」は忘れないと思っていたからだ。


 子どもの頃に弟とケンカして、「お姉ちゃんなんだから」と親に叱られて家を飛び出した時、近所のおじいさんが泣いているさやかにこう言った。


『小さい子は、そりゃあ見ていて腹も立つだろう。何もかも出来ないくせに、自分が愚かだと知らないまま生意気な口をきくからね。だからさやかちゃん、そういう時は叱ってやりなさい。それが愛というものだよ』


 当時のさやかは、その人の言葉はよく理解出来なかったし、実行も出来なかった。「愛」なんてものを、よく考えたこともなかった。彼女もまた、弟よりほんのちょっぴり賢くて強い程度でしかなかったからである。大人たちから見れば、どんぐりの背比べほどの差しかなかっただろう。


 弟とケンカをしながら成長していく過程で、さやかは近所のおじいさんのその言葉を思い出すようになっていた。やっと、理解出来る年になったのだ。


「前にね、宮脇くんの超幸運がどういうものか、イナさんに聞いたことがあるんだ。『具体的』に『目の前』にあるものを『本気』で『願う』ことだって……今、その意味がやっと私にも分かったよ」


 目の前の頭に手を載せて、くしゃくしゃと撫でる。ツンと立ったヘアスタイルが倒れるが、知ったことではなかった。


「宮脇くんは、コウキくんの幸せを本気で願うために、連れて来させてるんだって」


 ああもう。


 くしゃくしゃくしゃくしゃ。


 言葉にしながら、さやかはつい感極まって高速なでなでをしてしまった。このコウキ少年を愛しくも思ったし、あっちでイナに難しい顔で詰め寄っている幸喜もまた愛しく思ったからだ。


 幸喜という男の「ほぼ10」の超幸運の使い方は、とてもさやかでは追いつけないところにあった。以前、隕石について考えたことは、全面的に取り消したいほど恥ずかしい。


「四葉のクローバーなんかより、ずっとそれは意味があることだと、私は思うな……」


 いまはまだ、幸喜の愛はコウキには伝わらないかもしれない。


 でもいつかきっとこの子にも伝わるに違いないと、さやかは彼が迷惑そうに顔を上げるまで頭をなで続けていた。



 これが、三回目の出来事。


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