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二回目の出来事

 さやかは、幸運なことに志望校に合格した。


 イナという女性に会ってから、彼女は自分のことを5割打者と認識していたので、ほどほどの大胆さとほどほどの臆病さでヤマを張って乗り切ったのだ。


 そんなピカピカの一年生になる予定のすがすがしい春休みに、さやかの携帯電話が鳴る。登録していない番号だ。


 この時さやかはふと、幸喜のことを思い出した。そういえば、あの何だかワケの分からない事件が起きた時、彼の番号を登録するのを忘れたな、と。同じ学校に受かったのは、発表の日に会ったので知ってはいたが。


『山下?』


「うん、宮脇くん?」


 電話を取ったさやかは、向こうにいる男と互いの確認を行った。電話で話すのは、本当にあれ以来だった。


『突然で悪いんだけど、ちょっと出てこれないか?』


 本当に突然のことだった。時間は午後二時。さやかがまったり出来る、何も予定に入っていない時間だった。


『ええと、あの時のこと……覚えてるよな? あのイナがまた来た』


「行く! どこ?」


 悩むまでもなく、彼女は即答していた。


 ここから、二回目の出来事が始まる。



 ※



 この辺りでは、一番大きい川である南川の両脇には、やはり大きい河川敷がある。この川をもう少し下れば海につながっている。


 天気のいい春の河川敷は、最高だった。水面はきらきら光っているし、土手には一面、シロツメクサが絨毯のように敷き詰められていて、こんなところでお弁当を食べたら、きっと気持ちがいいだろうと思わせた。


 そんな河川敷に走って駆けつけたさやかは、川べりの人影が自分に手を振ったのを見た。坂道を駆け下りて、彼女はその大きなシルエットに向かう。向こうもまた、こちらへ向かって動き始める。そんな動きに置いていかれる、もう一つの影。あれがイナだろうかと、さやかは思った。


 長袖の白Tシャツにジーンズ姿の幸喜が、さやかよりも速い足取りで彼女の前まで来てくれる。


「いきなり悪い、大丈夫だったか?」


「『ほぼ10割打者』に、大丈夫じゃないなんてことの方が少ないよ」


 彼が、少しすまなそうな表情を浮かべていたのが見えて、さやかは慌ててそう答えた。「何だそりゃ」と、幸喜が笑う。


 それにはすぐ答えられなかった。ここまで走ってきた上に、一気にしゃべったせいで、しばらくさやかはぜいぜい言うだけだったのだ。


「イナ!」


 疲労したさやかを連れて行くより、相手を呼んだ方がいいと思ったのだろう。幸喜は、驚くほど気安い声で年上の女性を呼び寄せた。


 青とオレンジのボーダーのシャツに、真っ赤なロングスカート。


 ああ、あの人だと疑いも出来ない色の組み合わせだった。しかし、いまのさやかにはそんな色に注目するよりも、もっと気になることがあったのだ。


 イナは──小さな子供を抱いていた。


 一歳くらいだろうか。着ている服の色の組み合わせは、イナと同じようなものだった。短い黒髪をちっちゃいくせにツンと立てたその子を二回見た瞬間、さやかは反射的に三歩下がって幸喜を見上げていた。その頭のツンツンを。


 イナとその子が近づいてくるのを確認して、彼が視線をさやかの方に向ける時には、すっかり疑いの眼が向けられていた、というわけだ。


「え? あ、違うからな! あれは、違……いや、無関係というわけじゃないけど、いま山下が考えてるようなことじゃないからな!」


 次の瞬間、幸喜はカァっと赤くなりながら、必死に否定を始めた。珍しくムキになった彼の様子に、さやかはますます疑惑をふくらませる。


 いや、別にいいんですよ。そんな言い訳しなくても。


 そうさやかが棒読みで言いたくなるほど、彼女の目の前に広がる光景は、何というかしっくりいっていた。


 イナと並ぶと、色彩感覚は別として空気が合っているのだ。


 幸喜と赤ん坊はよく似ていたし、イナはそんな小さな命を大事そうに抱えている。旦那の若い夫婦ですと言われても、納得出来そうな光景だった。たとえ、計算が合わないとしても、相手は異世界人である。何をやらかしてもおかしくはない。


「イナ、説明してやってくれ」


 自分ではさやかの説得は無理だと思ったのだろう。彼は、やってきたイナに説明を丸投げした。


「久しぶりね、お嬢さん。山下さん、だっけ?」


 冬の日に不幸の塊のように見えたイナは、いまはとても穏やかな表情をしている。それどころか、幸福に見えた。


「この子は、ええと……宮脇くんの」


 どこからか、カキーンという打撃音が聞こえてきた。河川敷に作られている小さめの野球場では、リトルリーグの子供たちが頑張っているようだった。



「宮脇くんの……クローンなの」



 いまの、イナは何割打者なのか。


 バットにボールが当たったかどうかは別として──バットそのものが、さやかの脳天目掛けてすっ飛んできたかのごとく驚いたのだけは、間違いなかった。



 ※



 話は、割と単純だった。


 不幸な体質のイナは、あの時、幸喜を欲しがった。彼がいれば、自分の不幸体質から逃れられると思ったのだ。だが、彼はそれを拒んだ。


 それならばと、イナはある提案を持ちかけた。クローンを作りたいから、DNAをどうか分けてくれと。


 これには、幸喜も相当悩んだようだ。そこまでしてやる義理はないと、さっさと帰ってくることは出来ただろう。そして、それは成功したはずだ。何しろ超幸運VS超不幸の組み合わせなのだ。イナに勝ち目は、最初からなかった。


 しかし、彼はDNAを彼女に提供した。


『ちゃんと、人として幸せにしてやれよ』


 それが、幸喜が出した最初の条件。


『本当に幸せかどうか俺がちゃんと見たいから、時々連れて来いよ』


 それが、第二の条件。


 今日は、その第二の条件をクリアするための、一番最初の再会だったという。


 そこまで説明を受けている間、さやかは穴があくほどにイナの腕の中の子どもを見つめてしまった。クローンということは、DNA上は幸喜と同じもので出来ている。道理でそっくりなわけだ、と。


 その子が、黙ったままさやかに向かって両手を伸ばす。


 だっこか!? だっこなのか!?


 とっさに彼女は身構えて、イナを見た。


「私から遠くに離さなければ大丈夫よ……私の身の安全という意味で」


 自分に言い聞かせるように、彼女はおそるおそるチビ幸喜を彼女に差し出してきた。この子の心配はしてないのかよというツッコミはおいておいて、さやかもおそるおそるちびっ子を受け取った。


 かわえぇぇぇ。


 黙ったままぎゅっとしがみつく感触に、さやかはデレデレになった。結構重いが、そんなことはもはや気にならない。


 弟のちっちゃい時を思い出していた。あんな生意気な弟でも、昔は「ねーちゃんねーちゃん」と可愛かったものだと記憶をたどると、何だか涙ぐみたくなる。これが母性本能かと、感動すら覚えそうになっていた。


 同じ年の幸喜に、そんなデレデレぶりの自分を、まじまじと見られていることに気づき、慌ててさやかは自分の開きっぱなしだった唇を閉じた。さぞや、馬鹿っぽく見られたことだろう。


「見せに来いって言ったはいいけど……別にしゃべることもねぇし、そいつもまだあんましゃべれねぇみたいで、でもせっかく来たのにすぐ帰れっていうのも悪いだろ?」


 幸喜は、そう彼女に白状した。イナとの気まずい時間に耐え切れずにさやかを呼んだようだ。自分の馬鹿っぽい顔について語られずにすんで、さやかはほっとしていたが。


「あと、俺が抱こうとしたらいやがったのに……」


 じとっとした目で、幸喜がさやかの腕の中の赤ん坊を見る。自分だけ拒まれて、拗ねているのだろうかと、彼女は苦笑いを浮かべた。


 男の人を苦手とする赤ちゃんがいると、さやかも聞いたことがあった。きっと、このチビ幸喜もそうなのだろうと、彼女は思った。


 さすがの「ほぼ10」も、同じ遺伝子を持つ「ほぼ10」には、その威力を発揮出来ないようである。ある意味、対等と言っていいだろう。


 そこで、ふとさやかは不思議に思った。そういえば、超幸運な男が二人もここにいるというのに、それっぽい恩恵に預かっていないな、と。


 突然空から隕石が落ちてきて、それに高額の値がついてお金持ちになるとか──さやかの俗物的想像力では、超幸運などその程度のものだったが。


「イナさん、超幸運って、どういうものなんですか?」


 だから、さやかは不幸の塊である彼女にそう問いかけていた。元々、幸福計測器を持っていたのも彼女である。どういう性質のものか、イナならよく知っているはずだった。


「そうね……願いを叶える力が、物凄いって言えばいいかな」


 パスワードを突破したい、船を修理したい。そういう気持ちが、具体的であればあるほど、限りなく成功に近くなる──それがイナの言う幸運というものだった。


「あの時、宮脇くんがパスワードを突破するのに10回かかったのは、最初の頃に半信半疑でやってたせいだと、私は思ってるの」


 本気じゃなかったから、超幸運が発動しなかった。そうイナは言いたいのだろう。


「じゃあ、漠然と『隕石でも落ちてこないかな』とか思うだけじゃ駄目ってことですか?」


「何で隕石」


 さやかの脳内だだ漏れの言葉に、幸喜がつっこんでくる。詳しく説明したくなかった彼女は、「何となく」と誤魔化してしまった。


「うーん、そうねえ。どのくらい本気で、具体的に願うかっていうので変わると思うわ。でも、現物が目の前にある方が、成功率は高いと思うわよ」


 より具体性が上がるからねと言われ、ふむとさやかは幸喜を見上げた。


「何?」


 怪訝そうに問いかけられて、さやかはううんと首を振る。彼に、具体的な欲望を囁くのは、余計なお世話に思えたのだ。もし、やろうと思えば、きっと幸喜はとっくにやっている、と。


 お金だって、考え方を工夫すればいくらでも手に入りそうだ。そんな自分の能力を知っても、別に彼の生活が変わったようには見えない。羽振りもよくなっていない。


 そう考えると、宮脇幸喜という男は、かなり欲が少ない男のように思えた。中3にして、非常に出来た人である。思えば、学校でも彼は男子にも女子にも、ほとんど嫌われてはいない。


 しかし、さやかは考えてみた。もし、幸喜が「嫌われない自分でありたい」と願っていたとするならば、それは叶うのではないか、と。「欲にまみれた人間になりたくない」でもいい。


 自分という具体性のある存在なら、常に彼の側にある。そして長い間、彼の側にあり続けた。可能性としては、なきにしもあらず。


 ということは、幸喜をとりまく良い環境は、彼の超幸運により作り出されたもの──プスと、さやかの脳内で湯気の出る音が出た。考えすぎて、頭が熱くなったのだ。


「山下、どうした?」


 ヤマシタドウシタって、韻を踏んでるよね。


 やや逃避的なことを考えながら、さやかは腕の中のチビ幸喜を抱きなおした。


 川の方から春先の涼しい風が吹き上げてくる。それに、彼女のポニーテールが軽く揺らされると、脳内も少し冷える気がした。


 まあそれくらい誰でも願う、つつましい欲望だと、彼女は結論づけた。それの、何が悪いのか、と。


「こういう自分になりたい」──理想と現実にギャップはあるものの、さやかだってそれを願うくらいはする。


「そうだねー……やっぱ遠くの隕石より、近くの自分だよねえ」


「何だそりゃ」


 勝手に自己完結したさやかに、幸喜は苦笑いしながらもつっこみを入れてくれたのだった。



 これが、二回目の出来事。


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