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最初の出来事 後編

 結局、幸喜はイナと行くことになった。


「ホントでもウソでも、この人、マジっぽいから、ちょっと付き合ってくるわ」


 すっかり暗くなった空を見上げて、彼はそう言いながら学生鞄を彼女に差し出す。もうそろそろ六時近いことを、さやかはポケットから出した携帯で、ちらりと確認した。


「悪いけど、これ預かってもらっていいか? 大したモン入ってねぇから、そんなに重くないと思うんだけど」


「いいけど……大丈夫? 私も一緒にいこか?」


 イナという女性が変人であるのは理解したが、本当に悪い人や頭のおかしい人には感じない。しかし、もし一人で行かせて彼の身に何か起きたら、きっとさやかは後悔するだろう。


「いや、山下はもう帰れ。遅くなったし……悪かったな、呼び止めて」


 だが、彼はそれを拒む。一晩くらいはかかる予定と聞いていたので、女のさやかには付き合わせられないと思ったのだろう。


「じゃ、じゃあ、携帯番号渡しとくから、何かあったら連絡して」


 さやかは慌てて番号を書き留める紙を探そうと、鞄を開けようとした。ガラケーの赤外線機能の使い方を、彼女は未だにマスターしていなかったのである。


 両親が共働きで家を空けるため、家族内の連絡に必要なので持たされている。そのため、スマホなんていう贅沢品は、親の選択肢になかった。更に一番安いプランなので、迂闊に使うと親の信頼を失えるというファミリーオプションもついている。


「あ、知ってるからいい」


「え?」


「夏休みにクラスの青田が骨折した時、見舞いの話で一回連絡したろ? あの時、西久保が教えてくれた」


 分かりやすい説明に、さやかは「あーあー、あの時か」と声を出して納得した。夏休みに携帯に見知らぬ番号から電話が入って、「間違い電話?」と、ビビッたのを思い出したのだ。


 すっかり忘れていた記憶に、うむうむと納得しながらさやかは、「じゃあ、本当に気をつけて。鞄は明日学校に持って行くから」と言い残して帰った。


 家に帰りながらも、帰り着いても、さやかはずっと幸喜の無事が気になっていた。こちらから電話をかけようかと思ったが、もはや夏休みの着信の履歴は携帯に残っていない。電話をもらった時に、一応登録しておけば良かったと、彼女は後悔した。


 そんな彼女の後悔も、午後9時過ぎに鳴った携帯電話により、遠くに霧散する。受験という鎖に縛られて生きるさやかは、ほとんど勉強が手に付かないままに机に向かっていたところだった。


 登録されていない番号だと確認するやいなや、さやかは自分でもびっくりの速度で電話を取った。


「宮脇くん!?」


 相手が何かを語りかけるより先に、さやかはその名を呼んでいた。これで違っていたら、さぞや電話の相手は苦笑ものだろう。


 しかし、彼女は「中吉」の女だ。あの占い機でいけば、幸喜を10割打者とするなら、さやかは5割打者といっていいだろう。野球で考えれば、余裕でMVPが取れる数字である。


 5割、すなわち二分の一。


『うん、俺』


 この時のさやかは、見事にその半分を引き当てていた。まずは彼の無事の声に、彼女は電話のこちら側で片手の肘をぐいと後ろに引くガッツポーズで応える。よっしゃ、と。


「大丈夫? 変なことされてない? おなかすいてない?」


『大丈夫。変なこともされてない。メシも食った』


 畳み掛けるさやかの質問の一粒一粒に、幸喜は端的に答える。


「……よ、かったあ。心配してたよ。あ、通話時間が無駄になるから無駄話はやめるね。ええと、帰れそう? うまくいきそう?」


『いや、別に……あ、うん、うまくいった』


 言葉の最後の方で、彼の声が遠くなる。代わりに、「やったわー! ハレルヤー! ヤーヤーヤー!」と叫びまくるあの女性──イナの歓喜の声が小さく届く。いまにも、変な歌でも歌いだしそうな声だった。


 100けいの壁を、あっさりとクリアしてもらえば、誰だって歌って踊るくらいしてもおかしくはない。


『帰りは明日の朝になりそう。親には適当に言っといたから大丈夫だ』


 再び幸喜の声が近づいてきて、今後の予定が語られる。しかし、それはさやかの予想を外れるものだった。


「早く終わったんなら、帰してもらえばいいのに」


『あー、うん……まあそうなんだが、とにかくもうちょい付き合ってくるわ』


「あ、宮脇くん!」


 さっきまでの歯切れの良さとは違う、言葉の濁し方。さやかは、このまま電話を切られてしまうんじゃないかと、思わず彼の動きを止めるように呼びかけた。


『……なに?』


 けれど、一呼吸置いて返された言葉は、中3とは思えない大人びたものに感じてしまい、さやかは頭が真っ白になる。何を言おうとしていたかさえ、もはや思い出せない。


「え、ええと……」


 かくして彼女は。


「お礼にもらうなら、『小さなつづら』だよ!」


 クラスメートを心配するという観点からいけば、かなり間の抜けた返事をしてしまったのだった。


『ぶっ!』


 電話の向こうが、変な空気を噴出した。分かるよと、さやかは電話のこちら側で肩を落として落ち込んだ。5割打者とは聞こえはいいが、2回に1回は外すのだ。


『分かったよ……今日はサンキューな、山下』


 楽しそうに笑いながら、彼は別れの言葉を言って電話を切った。


 切れた携帯電話を眺めながら、さやかは微妙なため息をつく。彼が無事で良かったが。自分が間抜けだったなという、1勝1敗の結果を眺めたせいだ。


 1点差で勝とうが勝ちは勝ち。33-4で負けようが負けは負けなのだが、1勝1敗の内容が余りに違いすぎた。前者は美しい友情、後者はみっともない自分の失言。


 あれではまるで、お礼でもせびってこいと幸喜に言ったようなものである。彼は、困っているイナを助けようとしただけなのに。


 とりあえず彼は無事で、うまくいって、しかし明日の朝まであの女の人と一緒にいるという。珍しく言葉を濁した幸喜が記憶に甦ったさやかは、33-4の悪夢から抜け出し、彼の心配に戻った。


 そこで、はっとさやかは赤くなる。


 もしや「お礼」とは、「小さなつづら」などではないのかもしれない。男と女の秘めやかな何ちゃらが──「卒業おめでとう」の文字が、何故かさやかの頭の中で躍る。


 まあ、色のセンスを除けば普通の年上のお姉さまなのだ。そういう艶っぽいことがあっても、おかしくはないだろう。


 明日無事、彼に会えたら「おめでとう」と言うかどうか悩むさやかは、受験勉強も手につかず、かと言って彼の番号を携帯登録することも忘れて、うーんうーんと唸り続けたのだった。



 ※



「おはよう!」


 さやかは、鞄を二つ持って教室に飛び込んだ。


 彼女は、限りなく早く家を出てきた。朝ご飯を作って食べて弟を叩き起こしたら、家のことを任せて飛び出してきた。野球部の朝錬と同じ時間で、グラウンドからはもう、カキーンという打撃音が聞こえてくる。


「おう、おはよー」


 そんな時間にも関わらず、教室には一人の男子生徒が座っていた。短いツンツン頭。宮脇幸喜だ。


 昨日と同じ服である。制服なのだから当然だが、妙にシワになっている様子もなく、汚れている様子もない。「おめでとう」かどうか、さやかにはよく分からなかった。


「鞄!」


「おう、サンキュー」


 まずは、彼の机の上にドンと預かっていたものを置く。


「おにぎり! おなかすいてない?」


 次に、朝食を作る時に握ってきたそれを、ドンと置く。ラップでくるんだおにぎりを、さらにホイルで包み、更にハンカチで包むという過剰包装だ。


「お、おう、サンキュー」


 一瞬ためらった後、幸喜がそれを受け取る。もしかしたら、イナに朝ご飯を食べさせてもらっていたのかもしれない。しかし、人の好意を無にせず受け取ってくれた。


 そう言えば、お茶も入れていたとさやかが自分の鞄を開けようとしたら。


「すっげー面白かったけど、話、聞くか?」


 さやかの目の前に、釣り針が下ろされてしまった。


「き、聞く!」


 首がもげんばかりに頷いて、彼女はそれに食いついたのだ。




「異世界人って言うのは、多分本当だった」


 幸喜は、最初に結論から入った。さやかは「ほへー」っと、変な言葉を返した。それが前提で話がずっと進んではいたが、信じていたかというとそうではなかったし、本当だと言われてもどう答えていいか分からなかったのだ。


「南川の河川敷に穴の開いたUFOみたいのがあってさ……最初は見えなかったからびっくりした」


 おとぎ話のような体験をしてきたのだろう。彼は目を輝かせて、少年らしい表情で語り始める。


 中は小さな操縦室があっただけだが、スイッチひとつで部屋に変わったりしてすごかったと言われ、さやかは「おめでとう」と反射的に返事をしそうになった。慌てて口をつぐむ。


 100京通りのパスワードは、10回目で解除出来たという。適当に入れたら通ったらしい。10割打者でも、100京に挑戦すると10回かかるというのなら、「ほぼ10割打者」に名前を変更した方がいいかもしれないと、さやかの思考は脱線してゆく。


「でも、パスワードが分かったって、船が修理出来たわけじゃないだろ? どうせまたイナの運だと、新しく壊しかねないから修理が終わるまで付き合ってきた」


 一晩の間に、随分親しくなったのだろう。女性の名が、とても自然にすんなりと彼の口から出てきた。これは、「おめでとう」ではなくとも、年上女性との間に何か芽生えたかもしれないと、さやかが更に脱線路を爆走していると。


「直ったから、もう帰るってさ……おっ、うまそー」


 あっさりと幸喜の口からそれが伝えられ、彼女は少し混乱した。どうやら、何も芽生えてはいなかったらしい。


 ハンカチとホイルを外した彼が、ラップに包まれたおにぎりを引っ張り出す。さやかは彼の前の席の椅子に座ってから、自分の鞄を開けた。教科書の上にほかほかのお茶を入れて来たのだ。


「でもさ……そんなに運が悪いんじゃ、宮脇くんがいなくなったら、また壊れるんじゃない?」


 小さな魔法瓶を引っ張り出し、さやかは温かいお茶を注いで彼の前に置く。おにぎりにかぶりついた幸喜は、彼女を見ながらそれを噛み締める。唇の端にお弁当がついている。さやかは、ちょっとだけ可愛いと思ってしまった後、あざといと訂正した。


 悔しかったので、そのままくっつけていればいいと思ったが、次の一口でそのご飯粒は消えていた。口に当たった米に連れられていったのだろう。これだから「ほぼ10」はと、さやかは心の中で少し泣いた。


「それはまあ……多分、大丈夫、じゃねぇかなあ」


 一個目のおにぎりを食べ終わった後、手刀のようにさやかに片手で礼を言うと、幸喜は魔法瓶のカップに口をつけた。


 お茶を飲んでいるからというだけとは違う、言葉の濁し。これと同じ濁りを、さやかは昨夜も見た。


「何かあったの?」


「何でもねぇよ」


「嘘っぽいな」


「ああ、ワリィ、嘘ついてる」


 悪びれもせずに最後の言葉を幸喜に言われて、さやかはがっくりと肩を落とした。


「まあ、その話は……うん、また機会があったら」


 そう言って、幸喜は笑いながら、二個目のおにぎりを口に入れ始めたのだった。



 これが──最初の出来事。



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