極彩色のプロローグ
「はいはいー、朝っぱらからどちらさま?」
弁当作りの最中に鳴らされたチャイムに、山下さやかはあくび混じりに応対した。
回覧板か、はたまた町内会費の集金かと、所帯くさいことを考えながら玄関に向かう彼女は、高校二年生。いや、高校三年生だ。ついに高校生活最後の学年が、今日から始まるのである。
頭でぴこぴこはねるポニーテールが、子どもの頃からの彼女のトレードマークだ。眉が少し太いので、下ろした前髪で隠している。前に一度、おしゃれな子に眉の手入れをしてもらったが、何だか自分じゃない気がして、それはすぐにやめてしまった。あとは、太ももがちょっと太いのが気になる──など、まだ高校生なので、いろいろコンプレックスがあるのはご愛嬌、というところだろう。
両親ともに魚関係の朝早い仕事をしている関係で、この時間に家にいるのは、さやかとまだ寝ている中2の弟だけだった。
そのため、朝食の準備や学校に持っていく弁当を作るのは、当然さやかの仕事になる。弟を寝坊する前に叩き起こし、ご飯を食べさせるのもまた、面倒ながらに彼女の仕事だ。
「ミヤワキコウキです」
扉の向こうが、そう名乗った。低く滑らかな声のようであって、どこか違和感を感じる男の声。
「宮脇くん?」
慌てて玄関のサンダルに足を突っ込み、右手を伸ばして玄関を開けようとしたその手を、彼女は急停止させた。
よく考えるまでもなく、扉の向こうの声は──おかしかったからだ。
宮脇幸喜は、さやかの同級生である。正確に言うと、中学から5年間、ずっと一緒のクラスだった。だから、その名はよく知っている。
そんな彼が、朝も早くからさやかの家を訪ねてくるのは、どう考えてもおかしな話だった。だから彼女は驚いたし、怪しくも思ったのだ。だが、玄関の向こうの声は、確かに聞き覚えのある幸喜のものだった。
「本当に、宮脇くん?」
扉に手を伸ばしかけるという半端な態勢のまま、さやかはもう一度問いかける。そうしながらも、彼女の脳裏にはあるひとつの可能性が、ゆらゆらと揺れていた。確信には至らない、もどかしい感触。
「ああ……そうですね、混乱しますよね」
扉の向こうは、戸惑った反応を示した。扉の脇のすりガラスから、ほんの少し見える人影は、少し揺れた後、しゃがみ込む動きを見せた。
コトリ。
何かが、玄関脇に置かれる音。そして、再び立ち上がった身体が、奇妙なことを言った。
「今日は、山下さんにお礼に来ただけです。以前、側にいて下さってありがとうございました……では、失礼します」
扉の内側で混乱したままのさやかを置いて、気配と足音はあっさりと遠ざかっていく。
「え? ちょ……」
思わず、彼女は扉を開けていた。門を曲がっていく靴の踵が一瞬だけ見える。さやかは、そのまま男を追いかけるか、足元を見るかで咄嗟に躊躇した。
しかし、足元に置かれたものを見る。
それは、シロツメクサ──クローバーの鉢植えだった。小さな鉢から溢れんばかりに緑の草が飛び出している。
「あっ!」
その瞬間、さやかの中の記憶が甦る。クローバーの中に座っていた小さな男の子の姿を。
彼女は、思わず座り込んで、クローバーを見た。
「……間違いない、あの子だ」
さやかは、そう呟いていた。
そのクローバーは。
すべて。
四つ葉だったのだ。