逃走
リーゼント集団に絡まれていた花奈たちは、たまたま巡回していた警察官の登場によって助けられた。相手が黒銀高校だと知ると、警察官は同情的な目で、災難だったねと心配してくれる。こちらが被害者だと承知しているのか、特になんの注意も受けず交番まで行くようなこともなく終わったが、終始無言だった松山が花奈は怖かった。
「やっぱりお前が番長か」
警察官がいなくなると、開口一番に松山がそう吐き捨てた。一連の花奈の行動を見て、疑惑が確信に変わったらしい。
花奈ここで認めるべきか、一瞬諦めた。だが、松山が自分に復讐しようとしているのを思い出して、思いとどまる。怖いものは怖いのである。
「…いや、あの…私、合気道部だから!」
「……合気道?」
「さっきのもね、合気道じゃ初歩的な技なんだよ!いやー合気道やっててよかったー!松山くんもやらない?いいよー合気道!身も心も健康になるよ!松山くんも是非合気道部に入りなよ!」
疑わしげな松山の視線は、勢いとテンションで押しきる。最終的に松山は少し引いていた。
「……いや、俺は…水泳部入るから…」
「…す、水泳部?」
少しの間の後、花奈に圧倒されていた松山は絞り出すようにそう言った。花奈は驚いて思わず聞き返す。
意外すぎて目玉が落ちそうなほど目を見開いた。なにせ、小学生時代の松山は、ちっとも泳げなかったのである。見かねた花奈とダブルドラゴンが強制的に市民プールに連れて行って、監視員が松山が溺れていると勘違いして飛び込むくらいには、ひどかった。その後、事情を説明した花奈たちは、監視員にこってり絞られたものである。
そんな、カナヅチの松山が、水泳部!
時の流れとは、人をこうまで変えるのか、と花奈は感動した。
「…水泳、得意なんだねー」
「元は大ッ嫌いだったけどな」
花奈の言葉に、一瞬で松山の瞳に殺伐とした光が宿る。その原因はお前だ!と言いたげに睨まれた。
根に持ってる!無理矢理特訓したの根に持ってる!うっかり藪をつついて蛇に遭遇してしまった花奈の背中を冷や汗が伝った。いや、花奈は五十嵐花奈であって番長ではないのだ。ここは毅然とせねば。
「嫌いだったものが、好きになるって不思議だねー。好きと嫌いは表裏一体って言うもんねー」
何か言いたげな目で松山は花奈を見る。どうやら、松山は花奈が番長であると疑ったままのようだ。先ほどの勢いが全く意味をなしていない事実に、少しだけ涙が出そうになった。
「何でそこまで誤魔化そうとするんだ」
松山から視線を逸らして逃げていた花奈は、その言葉に思わず松山を見る。そこに、泣き虫だった頃の松山を見た気がした。
その顔は、卑怯だ。思わず花奈は、自分が番長だと認めようと思ってしまう。しかし、
「俺に負けるのが、嫌か」
挑発的なその言葉を受けて、寸前で踏みとどまった。先程までの泣きそうな顔から一転、好戦的な光をたたえる松山の目を見て、花奈は無意識に後ずさる。
このままでは、殺られる!
本気でそう思った花奈は、「違うから!本当に違うから!」とひたすら否定をして、脱兎のごとくその場から逃げ出したのであった。