うっかり
かくして、悪気なく松山をからかったために怒りを買ってしまった加藤たちが、ご機嫌うかがいで「俺たちも協力するよ」と勢いに任せて言った果てに、若干の勢力を拡大して番長対策本部が設置された。その結果、何故松山と一緒に駅まで下校する羽目になってしまったのか。花奈はひたすら頭を抱えていた。松山も所在無さげに花奈の斜め前を歩いている。
本当に、どうしてこうなってしまったのか。
「――番長を突き止めるぞー! おー!」
HRが始まる少し前、テンション高めに拳を突き上げてそう叫んだのは、松山ではなくその周りにいた男子であった。
ニヤニヤと嫌な笑顔を浮かべてこちらを見てくる橘を、花奈は見なかったことにして溜め息を吐いた。松山もまた、溜め息を吐いていた。
「じゃ、うちらは松山対策本部でも設置するか」
「やめて。本当にやめて」
本人たちの意図しないところで周りが盛り上がっていく。花奈は、冗談半分で盛り上がる友人たちを、必死で止めた。
「まずは松山、五十嵐さんと一緒に帰って話をして、どんな人間なのか知るところから始めよう」
なんだその、恋する少年が女の子にアタックするための第一歩、みたいな計画は。筒抜けの計画に、花奈は苦々しい表情を浮かべる。松山も憮然とした表情で、にべもなく断っていた。小学生時代の松山であればあっさり頷いていたのだが、その辺は成長が窺える。
だが結果的に、何故か花奈の友人がそれに乗っかって、本人たちの意思は関係なく、一緒に下校という状況が巧みに作り出されてしまった。そんなわけで、現在二人は微妙な距離感のまま一緒に下校しているのである。
いつもの帰り道が、恐ろしく長い。花奈は重苦しい空気に耐え切れず、カバンから携スマホを取り出して友人に助けを求めた。
「――随分やんちゃな格好してるなあ」
そんな歩きスマホがたたって、前方不注意だった花奈は、突然歩みを止めた松山の背中に思いっきりぶつかった。松山はぶつかられても少しもよろけなかった。
「誰だお前ら」
松山の鋭い声が飛ぶ。なんとなく剣呑な雰囲気を感じ取って、花奈は松山の肩ごしに前を窺った。すると、今時珍しいリーゼント4人組が自分たちの前に立ちはだかっていることに気づく。花奈は呆気にとられて、口をぽかんと開けたまま固まった。
「俺らのこと知らねえのかよ。どこの田舎もんだよ」
松山の言葉に、リーゼント集団がにわかに笑い出す。花奈は、彼らの制服を見てハッとした。
「松山くん、あの人たち黒銀高校の人たちだよ」
「黒銀高校…?」
「不良が集まってるって有名な学校」
どうやら、赤髪のいかにも不良ですという松山を見て、喧嘩をふっかけてきたらしい。花奈の学校では、面倒事は避けるべしと黒銀高校の生徒には極力近づかないようにという御布令が出ている。それだけ、喧嘩上等な連中の集まりの高校なのである。松山の目立つ赤髪をもってすれば、近付かなくても不良を引き寄せてしまうらしい。
それにしても、リーゼントの人たちって未だにいるんだなあ。漫画の中くらいでしか見ないよ。と花奈は過去の自分は棚に上げて、呆れを通り越して感心した。
「よく見たら可愛い彼女連れてるじゃん。そんなひょろい弱そうなやつじゃなくて俺らと遊ぼうぜ」
連れている女にちょっかいをかけるのは、不良のお約束なんだろうか。残念ながら花奈にリーゼント集団と遊ぶ趣味はないし時間もないしお金もない。リーゼント集団に向けて花奈は思い切り首を横に振った。
そんな花奈の反応に、リーゼント集団が、あーあフラれちゃったよ、と若干ゲスい笑いを浮かべる。
「そんなこと言うなって。あんたが知らない楽しいことだって教えてやるよ」
花奈に話しかけてきたリーゼントの一人が、めげずに再度話しかけてきた。さらに、花奈に近付いてくる。
あと少しで花奈に手が届くという距離になった時、松山の腕に押しやられて花奈は強制的にリーゼント集団の死角に入った。どうやら、松山に花奈は守られているらしい。そういえば最初にリーゼント集団に遭遇した時も、さりげなくリーゼント集団から隠されていた。花奈を番長と疑っているわりには、随分と紳士的な行動である。花奈は松山に感心した。
しかしリーゼント集団は松山のその行動が気にさわったらしい。花奈にちょっかいをかけようとしたリーゼントが松山を物凄い剣幕で睨んだ。
「調子のってんじゃねえぞ」
そして、松山の胸ぐらを掴んだかと思えば、人気のない路地に引っ張りこもうとする。松山はといえば、特に抵抗する様子もなくそれに従っていた。花奈もまた、リーゼントの一人に肩を抱かれ同じように大人しく連行されていた。不幸なことに助けを求められる人間がそのとき周りにいなかったのである。花奈は馴れ馴れしく肩を抱く、整髪料の匂いのキツイリーゼントに従わざるをえなかった。
「おい、そいつは関係ないだろ」
「格好つけてんじゃねえぞ。その子にはお前が無様にやられるところをみとどけてもらうんだよ」
言うや否や、リーゼントが松山に殴りかかった。鈍い音を立ててリーゼントの拳が松山のみぞおちに入った。不意打ちに、松山はなすすべもなく崩れる。そこを、後ろから別のリーゼントの膝蹴りが頭に入る。
「こんなの卑怯だ! 男らしく正々堂々と喧嘩してよ!!」
リーゼント集団に殴りかかろうとした花奈は、先程から肩を抱いていたリーゼントに阻止された。
「卑怯だろうがなんだろうが、勝ったやつが強いんだよ」
心なしか、リーゼントの声が震えているような気がする。一人だけあのリンチまがいの喧嘩に参加してないだけあって、なんとなく弱そうなリーゼントである。
それにしても、やられてばかりの松山ではないが、状況はほとんど一方的である。番長などと呼ばれてやんちゃな小学生時代を過ごしてきた花奈だが、人を傷付ける行為自体あまり好きではない。中でもこういった卑怯な喧嘩が一番嫌いだ。
本当は、こういったことに関わりたくもないし、喧嘩も大して強くないのだが。先ほど自分を庇おうとした松山を、今も必死で戦う松山を、放って置けるわけがない。
「ごめんね、リーゼントさん」
「は…?」
一応、断りだけは入れて、花奈は腰を落とした。突然の花奈の行動にリーゼントの手が離れる。咄嗟に花奈を捕まえようと伸ばした手を、逆に花奈に掴まれた。引き寄せられたかと思えば、手首を外側に返されて、何か考える余裕もなく、気づいた時には地面に押さえつけられていた。リーゼントは、自分より幾分も小さい花奈にねじ伏せられた事実を理解できず、呆然としている。
視界の隅でそれを見ていた松山と松山に襲いかかったリーゼント集団も、同じようにポカンとしていた。まるで、打ち合わせをした下手な殺陣を見ているようだ。それくらいあっさりリーゼントが倒されたのだ。
「なんだ今の……」
松山が呆然として呟いた瞬間、少し離れたところからピピー!!と笛を鳴らす音が聞こえた。見ると、自転車を物凄い勢いでこいでこちらに向かってくる警察官が見えた。
「やべえ、サツだ! 逃げるぞ!」
「お前ら、次会ったら覚えてろよ!!」
リーゼント集団は、去り際も漫画的だった。しかしそんなことを考える余裕は、花奈にはなかった。
普通の女子と同じように怯えていればいいものの、うっかり勢いで手を出してしまったものだから、松山の番長疑惑が強まってしまった。松山の鋭い視線にさらされながら花奈は、やっちまった!と頭を抱えた。