五十嵐花奈
「五十嵐花奈って、どんな奴だ?」
番長対策本部は、松山のその疑問をきっかけに設置された。
HRが始まる20分前の 朝のひと時、松山は前の席に座る加藤信明を捕まえて冒頭の質問をぶつけた。話題の中心人物の花奈はまだ来ていない。
「ええ、見た目通り普通の女子だよ」
なあ、と同意を求められたのは、加藤の隣の渡辺である。渡辺は最初突然振られた同意に首をかしげたが、松山が同じ質問を繰り返すと、神妙な面持ちで頷いた。
「いい奴だよ。優しいし、気が利くし、明るいし。あんまり目立つタイプじゃないけど、友達多いし」
ベタ褒めである。なんとなくこの渡辺という奴、いい奴そうだ、と松山は思った。本人のいないところでそいつを褒める奴は総じていい奴、が松山の持論である。
「なんでそんなこと聞くの? まさか、五十嵐さんに惚れた?」
そう言うのは、加藤だ。少しからかうような、楽しげな表情である。松山は慌てて、それを否定した。
「そうじゃねえよ! 五十嵐花奈が番長のはずなんだけど、いまいち確信できないんだ」
番長と言えば、記憶に新しい。昨日松山がゴリ子に放った言葉だ。二人は興味津々といった面持ちで先を促すように松山を見る。
番長とは、青野第三小学校に存在した生きる伝説だ。女だてらに学校中で幅を利かせ、対抗勢力を次々自らの傘下におさめ、逆らう者はその力でねじ伏せる。勝てる奴なんていなかった。自分もまたその被害者で、番長に借りを返すために戻ってきた。
と言う説明を松山はした。いじめられていた事実は、オブラートに包んで当たり障りのない表現をする。ちなみに、この学校に来たのはたまたま学力に見合った高校がここであっただけで、番長がここにいると知ったのは転校が決まった後のことであるが、言葉の綾ということにしておく。
松山は、まず花奈を番長と判断するには、その人となりを知る必要があると考えた。昨日見た限りでは、どこにでもいる人畜無害な女子高生といった印象ではあったが、もしかしたらとんでもない猫を被っているのかもしれない。
「ええー、まずそんな奴がいること自体ありえねえよ」
松山の説明は、二人にはにわかには信じがたいらしい。
「五十嵐さんが、番長ってのも絶対ないと思うけどなあ」
渡辺が普段の花奈を思い浮かべながら、首をひねる。
「だって五十嵐さん、学級委員だぜ」
「それ関係ないだろ。あれ誰も立候補しないからくじ引きだったじゃん」
「そうだね、ドンマイ加藤」
渡辺が慰めるように、加藤の肩に手を置いた。加藤もまた、くじ引きで選ばれた学級委員である。
恨めしげに加藤が渡辺を睨み、それから話題を元に戻した。
「何で五十嵐さんだって思うわけ?」
「番長も五十嵐花奈って言うんだ。字も同じ」
「ただの同姓同名ってことはないの?」
昨日花奈に言われたことを加藤にも言われ、松山は少し迷ったそぶりをしてから、呻くように呟く。
「母親から、番長がここにいるって聞いたんだ」
松山だって、何の確証もなく、名前が同じと言うだけでつっかかるほどバカではない。あの五十嵐花奈の存在を知った後、他のクラスにも同じ名前の人間がいないか調べたのだ。結果、この学校に"五十嵐花奈"はたった一人しか存在しなかった。
「それにきっと、五十嵐花奈が番長であってる。番長と同じ癖があった」
昨日、松山が花奈に宣戦布告した時、花奈が考えるような素振りをして顎に手をやった。それは番長の癖である。
ただ、これだけでは確かな証拠とはならない。松山は、花奈に確たる証拠を突き付け、花奈に自分が番長であることを認めさせた上で、復讐したかった。
「でも、五十嵐さんが喧嘩強いとか嘘だろ。五十嵐さん、背の順で前から数えたほうが早いくらいだぞ」
「うんうん。それに、虫も殺せなさそうな感じだし」
「それは違うぞ」
「え?」
唐突に否定された渡辺は、驚いて加藤を見る。若干顔色が悪い気がした。
「五十嵐さん、この間これくらいのでっかいゴキブリちり取りで叩き潰してた」
加藤が言うには、先日掃除をしていた際ゴキブリが出現して、女子はもちろん男子もそして担任も遠巻きに怯える中、五十嵐が颯爽とゴキブリを処理したらしい。おそらくその場にいた人間の中でもっとも男らしかった。
「…まじ?」
「まじ」
「それどこのちり取りだよ。もうぜってー触れねえ」
ちなみに、教室のちり取りである。渡辺が呻いた。ちり取りを手に持った覚えがあるらしかった。
「……」
加藤達がふと気づくと、松山が口元を手で覆っていた。若干顔色が悪い。
二人は顔を見合わせて、首を傾げた。それから、加藤がまさかこいつ…、と嫌な笑みを浮かべる。
「あれ、松山」
「…あ?」
ちょっとした出来心で、加藤が松山を指差す。
本当に、本当に、ただの出来心だった。
「肩にクモが」
「あああああああああ!?」
加藤が言うや否や、松山が椅子から転がり落ちた。
「…嘘だよ」
花奈が教室に着いた時、何故か憮然とした表情の松山が加藤と渡辺に必死に宥められていた。机には、あらん限りのお菓子が置いてある。
「なんか松山くんが椅子から落ちてさあ、何かと思ったら、虫が肩に止まってるってからかわれたらしいよ。花奈ももっと早く来ればよかったのにー」
笑いながら橘にそう説明を受けたが、小学生の頃、泣いて嫌がる松山を、カイコの幼虫の入った容器を片手に追い掛け回したことのある花奈にとっては、笑える話ではなかった。