宣戦布告
結果的に言うと、1限が終わった後、松山からのコンタクトはなかった。現代文の間中緊張していたというのに、肩すかしをくらって脱力する。それどころかその後も松山の接触はなく、もしかして、気付いていないか、あまりにも変わってしまった自分に幻滅し、復讐を考え直したのかもしれない、と花奈は安堵した。
その考えが甘かったのを知ったのは、帰りのHRも終わり、担当の調理室を掃除して、友人と共にカバンを持って下駄箱に向かった時である。
「おい、五十嵐花奈」
上靴からローファーに履き替えた瞬間、背後から鋭い声が飛んできた。あんまりにも強い口調で呼びかけられて、花奈は驚いて振り返る。その瞬間固まった。
扉を背に仁王立ちしていたのが松山だったからだ。松山は、花奈が帰るその瞬間を狙って、朝から虎視眈々と息をひそめていたのだ。理解した花奈は、サッと青ざめた。それにしても、妙に息切れしているけど、どうしたんだろう。
「俺を騙そうとしていたみたいだが、学校にいるのはバレバレだ。散々逃げ回りやがって。ようやく見つけたぜ」
何言ってるんだこの人は、と花奈は友人たちと顔を見合わせた。
「逃げ回ってたの?」
「掃除してただけなんだけど」
花奈と同じ班で一緒に調理室を掃除していた橘が、わざとらしく聞いてきたので、呆れた様子で花奈は答える。
先ほどの松山の発言から察するに、花奈が呑気に調理室を掃除している中、彼は花奈が自分から逃げたと勘違いして必死に探し回っていたらしい。昔からちょっとズレた子だったけど、こんなにアホだっただろうか。
「何ごちゃごちゃ言ってんだよ」
「いや、なんでもないです」
世の中、知らない方がいいこともある。余計なことは言うなよ、と橘を睨めつけてから、花奈はぎこちない笑顔を浮かべた。
そんな花奈に、松山は胡散臭いモノを見るような視線をよこしてきた。全身を品定めするようにじっくり見られ、非常に居心地が悪い。
「お前、本当に番長か」
「違います」
ほとんど反射で否定していた。
「でもお前、五十嵐花奈だろ」
「同姓同名じゃ?」
花奈の一言に、松山が考え込んでしまった。ゴリ子を番長と判断したあたり、相当たくましい成長をしていると想像していたようだ。そう考えると、松山が納得できないのも無理はない。小学生時代、背の順で後ろから数えたほうが早かった身長は、中学あたりで伸び悩んで、高校生の現在は前から数えたほうが早いくらいだし、あまり喧嘩とは縁のなさそうな容姿をしているし。そこにつけこんで、花奈は誤魔化した。卑怯と言われようが、復讐が怖い。
以前に小学生時代やんちゃだったことを伝えている友人たちは、花奈の返答に生ぬるい視線を向けてきた。
ところで、何故か松山は最初からこの学校に花奈がいることを確信している風だった。何故だろう。不思議に思って顎に手をやって首をかしげた瞬間、松山が目を細めた。
「……まあいい、しらばっくれてるのかわからないが、お前が番長だって確信できたその瞬間が、お前の最後だ」
ビシッと指さされ、花奈は思わず避けた。これは、なんとしてでも隠し通さなければ。
松山は宣戦布告をして満足したのか、鋭い視線を花奈にくれてから背を向けて去っていった。
「――で、ホントのところはどうなの?」
事の成り行きを黙って見ていた磯貝美幸が、そう聞いてきた。一瞬誤魔化そうかと花奈は思ったが、彼女たちに嘘を吐く意味もないなと思い直す。
「実のところ、私が…その、…番長です…」
改めて自分で番長だと名乗るのも恥ずかしい。なんたって番長である。漫画の世界くらいにしかいないであろう存在である。案の定非情な友人たちは笑い転げていた。
別に、過去一度も花奈が自分から番長だと名乗ったことはないし、知らず知らずのうちに周りからそう呼ばれていただけなので、いいのだ。恥ずかしくなんてない。
「…どうでもいいけど、松山くんには絶対に黙っててね」
「わかったわかった、番長」
口々に番長と呼ばれ、花奈は頭を抱えた。言わなければよかったかもしれない。