人間の願いは、神様の願い
おばあちゃんじゃないんだって。明美さんの、恩人なんだって。
「いいかい、坊主。一度しか言わないから耳の穴かっぽじって、よーく聞きな。あたしの名前は水際 静≪みずぎわ しずか≫って言うんだ。覚えたか?」
「えっと、静さん、でいいですか?」
知亜は、恐る恐る名前を言い返した。先ほどの睨みが相当怖かったのだろう。明美の後ろに隠れたままの状態でいた。
「……まぁ、いいだろう。後ね、おばあちゃんじゃない、お姉さんだ。明美の言う事は信じちゃいけない。」
「?」
静に、明美を信じてはいけないと言われた知亜は、半歩ほど明美から遠ざかった。瞬時に、明美と静の上下関係を無意識に察知して、静の言う事には絶対に逆らってはならないと感じていた。
「ちょっと、ほんとに知亜君私から離れちゃったじゃないですかっ。」
「けっ、あたしをばばあ呼ばわりした罰だ。……ほれ、知亜。こっちに来な。」
静は、知亜を飼いならしたペットのように呼んだ。知亜も知亜で、この人に逆らってはいけないと感じ取っていたので、すぐさま静の元へと向かう。
「よしよし、お前はいい子だな。……誰が一番偉いのか分かってるもんな。」
「………ん。」
静は、すぐに近寄ってきた知亜を褒めながら頭を撫でていた。知亜は頭を撫でられて、嬉しそうにしていた。……これでは完全にペットだ。
「ちょ、私の知亜君取らないでくださいよー。」
「誰が、いつ、こいつを、あんたのものにしたんだい?」
保護欲をそそる知亜の笑顔を見た明美は、静から知亜を引き離す。静は、知亜を取られて若干表情を歪ませた。
「知亜君、正気に戻りなさい。あの人は、ほんとはとっても怖い人なのよ。」
「……はっ。……明美さん?どうかしたんですか?」
知亜を左右に揺らしながら明美は呼びかける。揺らされた知亜は、正気を取り戻した。
「まぁこんなとこで立ち話もなんだ。茶でも出してやるから、さっさと上がりな。」
「誰のせいで長くなったと……」
「……なんか言ったか、明美?」
静の低い声の問いかけに、明美は首を左右に素早く振って否定していた。そして、そそくさと靴を脱いで居間に向かった。明美は、この家の部屋の配置を知っているようだ。
「ほら、あんたもさっさと入りな。」
「あっ、失礼します。」
知亜は、静に促されて自分の靴と明美の靴を綺麗に揃えて入った。
「……あんた、ほんとに礼儀正しいね。どっかの金持ちのお坊ちゃんみたいだな。」
「っ、な、何を言ってるんですか。ぼ、僕は、捨てられたんです。」
「…………」
知亜は焦っていた。常に礼儀に気を使う生活をしていた知亜にとって、靴を揃えることなんて当たり前だったのだが、どうやら普通の子どもはそんな事をしないらしい。さらに、無言で見てくる静のプレッシャーが凄かった。
「……ま、余計な詮索は野暮か。」
静はそう言うと、知亜の手を握り居間へと連れていく。知亜は、やっぱりこの人に逆らっちゃだめだと思いながら静に手を引かれ居間へと案内された。
「ほら、ここで待ってな。」
「はい。」
案内された部屋の襖をあけると、こちらも和室になっていた。知亜は、ここは『シロツメクサ』なんじゃないかと錯覚するほどに似ていた。
「…………」
そんな部屋で、明美は無言で正座の姿勢を維持していた。
……静さんって、口は悪いけどいい人……なんだと思う。




