「節度を保つなら良いよ」そう言われて付き合った結果の『後日談』
前作短編である「節度を保つなら良いよ」そう言われて付き合った結果の後日談です。前話を読んでおくことを強くオススメします。
作者投稿シリーズにてタイトル「節度を保つなら良いよ」にてまとめておきましたので、そちらからどうぞ。
別れから三ヶ月が経っていた。
季節は完全に冬へと変わり、校庭の木々は葉を落とし尽くしていた。俺と佐伯凜華の関係は、あの日を境に完全に終わった。彼女は何度か話しかけてこようとしたが、俺はすべて無視した。クラスでも距離を置き、必要最低限の会話しかしない。周囲も徐々に空気を察したのか、あの話題を振ることは少なくなっていた。
それでも時折、教室のどこかから彼女の視線を感じることがある。気にしないようにしていたが、完全に忘れることはできなかった。胸の奥に残った何かが、まだ完全には消えていなかったのだ。
それでもなお変わらない、譲ることができない心がある。
『あいつ』とは復縁しないこと。
①
定期テストが近づいたとある日の放課後、俺は図書館で課題を片付けていた。誰もいない静かな空間で、ページをめくる音だけが響いている。少し休憩と思いふと顔を上げると、隣の席に見知らぬ女子が座っていた。
「あ、ごめんなさい。ここ、使ってた?」
少し驚いたような声。俺は首を横に振ってそんなことはないと伝える。
「いや、空いてるよ」
彼女は小さく礼をして、教科書を広げた。短いブラウンの色の髪を耳にかけながら、真剣な顔でノートを取っている。時々、つまらなそうにため息をつく姿が、妙に目に残った。
ペンを口にくわえて考え込んだり、わかった瞬間に小さくガッツポーズをしたりする。『あいつ』とは対極の、飾らない人間だった。
「どうかした?」
「え、あぁ、なんでもない」
そのせいだろう。気が付けばまだ名前も知らない彼女を目が勝手に追ってしまい、自分でも気が付かないほど長時間見つめていたのだ。
その日を境に、俺は彼女の姿をよく見るようになった。同じクラスではなく隣のクラスの、遠藤美咲という名前らしい。
明るくて、よく笑う。友人と話しているとき、遠慮なく大きな声を出して、時には相手の肩を叩いたりもする。自分の感情を隠そうとしない。それが、最初は少し眩しく感じられた。
ある放課後、図書館でまた隣になった。
「ねえ、曽山くんって数学得意?」
突然話しかけられて、俺は少し戸惑った。
「普通、かな」
「じゃあこれ、ちょっと教えてくれない? 私、全然わかんなくて」
彼女は照れ臭そうに笑いながら、問題集を差し出してきた。断る理由もなかったので、俺は隣に寄せて説明を始めた。
彼女はわからないところを素直に「わかんない」と言い、わかったところでは「あ、そういうことか!」と目を輝かせる。その反応が、不思議と心地よかった。教えてあげているというより、一緒に考えているような感覚だった。
それから何度か、同じようなことが続いた。彼女はわからないことを恥ずかしがらず、わかったときは素直に喜ぶ。俺が少し難しい説明をすると「もうちょっと噛み砕いて」と言い、理解すると「天斗くん、教え方上手いね」と笑う。その笑顔を見ていると、胸の奥が少し熱くなった。
「ねえ、曽山くん。今度、一緒にご飯食べない?」
「……いいの?」
「いいに決まってるじゃん。私が誘ったんだもんっ」
そう言って笑う彼女に、俺は少しだけ息を呑んだ。『あいつ』なら「節度を保って」とか「公共の場だから――」とか、何か条件をつけてきたはずだ。
でも美咲は、ただ「食べない?」と聞いただけだった。
初めてのデートは、駅前の小さな定食屋だった。彼女はメニューを指差して即決し、俺の分まで「これ美味しかったよ」と勧めてきた。
食事が運ばれてくると、彼女は「いただきます」と両手を合わせてから、遠慮なく食べ始める。途中で「ちょっと味見していい?」と自分のおかずを差し出す。
「いや、でもこういうことって――」
過去に体験したことが口から出かける。がしかし、それが発せられることはなかった。目の前にいるのは遠藤美咲という少女であって『あいつ』ではない。
それでも女の子からのあーんは経験が無いため少し戸惑いながらもフォークに刺されたパンケーキの欠片を口に入れる。
「……これ、美味しいな」
「でしょ? 次は曽山くんのも味見させて」
彼女はそう言って、俺の皿に箸を伸ばした。誰にも気を遣わず、ただ楽しそうにしている。その姿を見ていると、『あいつ』と過ごした時間のことが、遠い過去のように感じられた。
パフェを半分こしようとして怒られたこと、手を繋ごうとして「破廉恥」と言われたこと。あの頃の俺は、何を守ろうとしていたのだろう。
帰り道、彼女は自然に俺の隣を歩き、時々肩が触れる。触れても、すぐに離れようとはしないし「離れて」などとも言わない。
「ねえ、曽山くん。手、繋いでいい?」
「……うん」
彼女の手が、俺の手を握ってきた。温かくて、少し汗ばんでいる。ぎこちない握り方だったが、離そうとは思わなかった。彼女は満足そうに微笑んで、そのまま俺の手を握り続けた。
嬉しいやら恥ずかしいやら複数の感情が一気に押し寄せ俺は口元が変な動きをし始めたことを感じた。
「なんか、変な顔してる」
「し、してないし……!」
「してるって。照れてるんでしょ?」
彼女はそう言って、嬉しそうに笑った。その笑顔を見ていると、胸の奥に残っていた歪みが、少しずつ溶けていくようだった。付き合うことになったのは、それから二週間後だった。
告白には若干のトラウマがあった。全てはあそこから始まり、あの時既に結末は決まっていのだ。
また同じ轍を踏むのではないか、そんな不安が押し寄せ好きだと伝えるのに時間があまりにもかかった。
「美咲さん、好きだ」
彼女は俺の告白を聞くと、一瞬驚いた顔をして、すぐに笑顔になった。彼女と初めて出会った放課後の、誰もいない図書館。俺の声だけが響いた。
「私も、好きだよ。曽山くん」
それだけだった。余計な条件も、節度も、何もなかった。ただ、好きだと言ってくれた。俺は彼女の手を握り直して、小さく頷く。
スっと抱き寄せて彼女を抱きしめても彼女は拒絶しない。破廉恥だなんていわないし、むしろ背中に手を回してくれる。
――次こそは。
その日から、俺の日常は少しずつ変わっていった。彼女は遠慮なく連絡をくれ、休日には「遊ぼ!」と気軽に誘ってくる。
デートでは手を繋ぎ、時には腕を組む。映画を観ている最中に、彼女の頭が俺の肩に凭れてくることもある。最初は戸惑ったが、すぐに慣れた。慣れるというより、自然と受け入れられるようになった。
「天斗って、たまに遠い目するよね」
ように思えたが、客観的に見て何やら考え事をしていると美咲は言った。
「……昔のこと、ちょっとね」
今までが異常だったのだ。互いを好いている相手にも関わらず、距離感を作られ、良いように扱われてきたことがおかしいはず。にも関わらず俺は今の『普通』の日常がどこか狂っているのではないか、と感覚が麻痺している。最悪だ、どこまでも『あいつ』は俺を苦しめてくる。
「無理しないで。苦しい時は私が天斗を支えるから」
彼女はそう言って、俺の手を強く握った。その温もりが、胸の奥に残っている歪みを、少しずつ溶かしていくようだった。『あいつ』と違って、美咲は俺の沈黙を無理に埋めてこなかった。ただ、傍にいてくれた。
③
放課後、俺と美咲は一緒に下校していた。彼女が俺の腕に軽く凭れかかりながら、明日の予定を話している。
「今度の休み、映画館行かない? あの新作、気になってるんだ」
「あー! あれか。俺も誘おうと思ってたんだ。何時集合にする?」
「んー天斗はいつも予定よりも早く来ちゃうからなぁ」
互いの声が、冬の空気の中で柔らかく響いていた。 そのとき、校門の近くで見知った姿が視界の端にいた。
腰まで伸びる濡羽色の長髪に、整った鼻、凛とした瞳。完璧という雰囲気があちこちから漏れている女子生徒だ。
その人はこちらを見て、足を止めた。俺と美咲の間の距離を、じっと見つめている。以前の清楚な表情はどこにもなく、目の下に薄い影が落ち、唇は少し青白くなっていた。
「……天斗くん」
スタスタとどこか危なげな足取りでこちらに来る。そしめ小さく呼ぶ声に、美咲が首を傾げた。
「知り合い?」
「知らない」
俺は簡潔に答えた。応答速度と、トーンの変化から悟ってくれた美咲は「へえ」と小さく呟いただけだった。嫉妬するでもなく、ただ事実として受け取っている。その態度が、かえって心強かった。
その人はこちらに歩み寄ってきた。顔色は以前より悪く、声も少し掠れている。
「ちょっと、話せる?」
「悪いけど、俺は君を知らない。それに予定がある」
「お願い。少しだけでいいから」
伸ばしかけた手をその人は止める。チラリと隣を見れば美咲がムスッとした表情で相手を威嚇していた。
美咲が俺の腕を握る力を少し強くする。俺は彼女に「先に行ってて」と耳打ちしたが、彼女は首を横に振った。
「一緒にいる。離さないもん」
その言葉に、俺は口元が綻ぶ。そした小さく頷き了承する。美咲は俺の隣から動かなかった。
美咲の挙動にどこか思うところがあるのか眼前の女子生徒はギュッと握りこぶしを作る。
相手は美咲の存在を気にしながらも、俺に視線を向けた。声を潜めて、必死に訴えてくる。
「私、間違ってた。全部、謝るから。もう一度、やり直してほしい」
「やり直さない」
「お願い。あのとき、私は怖かったの。本当に好きだったから、失敗したくなくて……学級委員としての自分を崩したくなくて……!」
「好きだったなら、あの態度は取れなかっただろ」
俺は淡々と返した。知らない人という体を崩さず進行させても良かったが、そうなると面倒なことを起こしかねないと思った。
俺の胸の奥にはもう何の痛みもなかった。あるのは少しだけ呆れに似た感情のみ。
「私は、素直になれ、なくて……! 恥ずかしくて言い逃れしてたの! だから本当は――」
「美咲は、俺に『節度を保て』なんて言わない。手を繋ぎたいときは繋ぐし、近くにいたいときは近くにいる。誕生日にプレゼントを渡そうとしても、振り払われない。それが普通だと思ってる」
相手の唇が、かすかに震えた。美咲の方を一瞥してから、再び俺を見た。それから瞳が徐々にどす黒くなっていく。
「私だってできる! もう学級委員じゃないし、何も気にしなくていい。天斗くんの隣に、ちゃんと立てる。そんな子より、私の方が!」
我慢ならなくなったのか指をピンと立てて美咲に指す。黒く染まっていた瞳の奥には傲慢の感情が宿っていた。
「美咲とお前じゃあ天と地ほどの差がある。何を比べてもお前は勝てないし、復縁は出来ない」
「今なら、今なら! 今の私だったらそんなことはないの! お願い、一日だけ、今日だけでもいいから天斗!」
「今なら、じゃない。最初からそうだったんだよ。君は『節度』を盾にして、自分を守ってただけだ。俺を便利な彼氏として置いて、自分の体面だけを優先してた」
「違う……! 私は、本気で……」
「もう聞き飽きた。本気だったら、誕生日にプレゼントを突き返したりしなかっただろ。夜に他の男と腕を組んで歩いたりもしなかった」
俺は冷たく言い放った。相手の顔から血の気が引いていくのがわかった。
「あれは親戚で……」
「親戚なら、尚更だ。彼氏がいるのに、節度も何もなく腕を組んでる。君が一番嫌っていた『破廉恥』を、自分でやってたんだ」
美咲が静かに俺の手を握っている。その感触が、俺の言葉に力を与えてくれた。相手はうつむいて、両手を握りしめた。指の節が白くなっている。
「お願い……もう一度だけ。私、変われるから。天斗くんが望むなら、何でもする。手を繋いでもいい。あだ名で呼んでもいい。距離なんて気にしない。だから……」
「もういい」
俺は短く遮った。ため息が勝手に溢れた。
「君が『何でもする』って言うのは、俺が欲しいものじゃない。最初から自然にやってくれる人と、今は一緒にいる。君みたいに、条件付きでしか近づけない人とは、もう関わりたくない」
黒曜石のような瞳から、ぽろりと雫が落ちた。彼女は俺の腕に手を伸ばしてきたが、俺はそれを軽く振り払った。
「触らないでくれ。美咲の前で、元カノが腕を掴むのは、破廉恥すぎだろ」
「……っ」
「それに、君が一番大事にしてた『節度』がそれだろ。彼氏でもない男の腕を掴んで、泣きながら引き止める。あんた、今の自分を見てみろよ」
その場に膝をつきそうになって、それでも踏みとどまった。声を上げて泣き崩れるでもなく、ただ俯いて肩を震わせている。以前の完璧な学級委員の面影は、もうどこにもなかった。美咲が俺の耳元で小さく囁いた。
「行こっか」
「待って……」
「まだ何か話したいことがあるのか? 正直これ以上話しても時間の無駄だし、あんたの心がすり減るだけだ」
「意志が固いのは分かった……。もう戻れないことも、私が間違ってたことも」
ポツポツと独り言のように呟くと、血色の悪い手を自身の胸の前で合わせて祈るように口を開く。
「もう一度、もう一回だけ……『名前』を呼んで」
「――――」
どうやら気がついていたらしい。このやり取りの中で俺が一度も名前を口にしていないことに。思い返せば頭の中でも頭文字でさえ出てこなかった。
これが恐らく最後になるだろう。『名前』を呼べば相手は二度と俺に関わっては来ない――なんてことは無い。この場面から見ても分かるように彼女がいようがお構い無しに接触してくる。
ここで心をへし折っておく必要がある。
その方法を思いつきはしたが、俺はゴクリと固唾を呑む。美咲が承諾してくれるか、嫌がらないか心配だ。
この声が聞こえているかのように隣に立つ彼女はこちらを既に見ていた。丸く穏やかな表情があって、手を後ろに組んで少し顔を、特に細く赤い唇を差し出していた。
「――美咲」
「……ッ!!」
目を大きく見開く相手から視線を逸らし、名前を呼んだ相手へと体を向ける。熱くなる体。爆発しそうな心臓。その鼓動と、「やめて!」と叫ぶ声を振り払って顔を近づけた。
数秒間、場には静寂が到来した。学校のチャイムと風が吹き抜ける音だけがその空間にあった。
暖かい唇の感触に頬が紅くなるのを感じつつも、顔を離す。美咲は少し小悪魔的な笑みを浮かべ小さくガッツポーズしていた。
「た、か……と……」
「美咲、今日は何する?」
腕に絡まる少女に問いかけると明るい笑みで答えが返ってくる。
「やめて……」
「美咲、今日もカップルドリンク飲むの?」
「聞きたくない……ッ!!」
「美咲、今度誕生日だろ? 家に来ないか?」
「あぁ、ぁぁぁあああ!!」
呼んで欲しかった『名前』はそうではないと泣き叫ぶ。脳裏には自分も経験した出来事で溢れ返っているだろう。だが大きく違うことがある。
そこには確固たる『愛』がないということ。
あるのは『節度』というルールによって敷居を作られ、関係を無理やり維持している歪さ。
「行こっか」
俺は頷いて、彼女と一緒に歩き出した。背後で凜華が何か叫んだ気がしたが、風に消えて聞こえなかった。振り返る気も起きなかった。
校門を出ると、冬の冷たい風が頬を撫でた。美咲が俺の腕に少しだけ体重を預けてくる。
「大丈夫?」
「うん。もう、何も残ってない」
彼女は小さく笑って、俺の手を握り直した。その温もりは、以前のどんな約束よりも確かなものだった。
「ねえ、天斗。今度の休み、ちゃんと映画行こうね。ポップコーン半分こしよっ!」
「キャラメルと塩な」
俺は短く答えて、彼女の手を強く握り返した。
佐伯凜華との日々は、もう遠い話だ。あの頃の俺は、彼女の『節度』に合わせて自分を削っていた。でも今は違う。隣にいる人間は、俺に何も削らせない。ただ、自然に傍にいてくれる。
それで、十分だった。
ありがとうございました。
前話の感想欄にてご要望がありましたので創作させて頂きました。これにて完結! ですね……たぶん。
と思ったのですが再び、皆様のご要望にお答えしたいと思い『佐伯凜華視点』を追加しました。シリーズからご確認ください!
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今後ともよろしくお願いしますー




