妻4
父の顔も母の顔も、憶えてなどいない。
まだ小さな頃に、私は母の母―――――つまり祖母の元に預けられた。
『由里子はろくでなし』
祖母はそう言って、でも私の事は可愛がってくれた。
だから、両親が死んだと聞いても、なんの悲しみも感じなかった。
「行ってきます」
ランドセルを背負って学校に行く。
「由香里ー!今日は早く帰ってくるんだよ」
「はーい」
今日は両親の命日だ。
少し遠いが、それでも家から歩いて行ける墓地にある墓、そこに母の骨が納めてあった。
『ろくでなし』なんて言ってたのに、母が死んだあの日、祖母は声をあげて泣いた。
そして命日や月命日、盆などには、必ず私を墓に連れて行った。
でも私には、手を合わせる意味が分からなかった。
母は私にとって、生きている時も死んだ今も、他人だった。
墓に水をかける祖母を、私はボーっと見ていた。
「ほれ、由香里、お供え」
私がビニール袋から取り出した饅頭を、祖母は半紙に載せて墓に供えた。
手を合わせて目を瞑り・・・、でも私はすぐに合掌を解き、目を開けた。
祖母の祈りは長い。
この待つ時間が、私には苦痛で仕方なかった。
何とはなしに周りを見渡していると、ふと少し離れた場所に立つ、スーツ姿の男に気付いた。
墓参り・・・?
でも男は、私をじっと見ている。
変質者には見えないが、もしかしたらそうなのかもしれない。
「おばあちゃん・・・」
怖くなった私は、祖母の袖を引っ張った。
「うん?どうしたね、由香里」
「あれ・・・」
そうして指差した場所に、男は既にいなかった。
男の事などすっかり忘れていた一年後の命日―――――。
私はまたあの男に会った。
手桶に水を汲み、先に墓に行った祖母のところに持って行こうとした時、私は躓いて転んでしまった。
「痛ぁ・・・」
擦り剥いた膝の痛みに眉を寄せながら立ち上がろうとした時、腕がグイっと引っ張られた。
驚いた私が顔を上げると、目を見開く男の顔。
「・・・・・」
「・・・・・」
男は何故か唇を震わせ、今にも泣きそうだった。
「あ・・・」
視線を逸らし、男は私を立たせると、優しく頭を撫でて去って行った。
「・・・・・」
男が何者かは分からないが、私を見つめる切ない瞳が、とても印象的だった。
その一年後の命日、男は現れなかった。