生者の手記
・理由
特別病棟に呼ばれた時点で覚悟はしていた。残りの入院生活を有意義に過ごすためにも手記を買う。僕は確かに存在する。生きていた証拠になるだろうか。この手記は。
・生きる幸せ
近くの病室に新しい入院患者。
僕はいつでも真四角の部屋。暇。聞き耳をたてる。
「長生きの秘訣は食べる量を三割減らすことです」
すると細胞を活性化させる細胞がより多く分泌され。ミトコンドリアが。どうの。こうの。
詳しい話は覚えていない。
「何。食べる量を三割減らせ」
男の声。これが例の入院患者か。
「私にとって食べること。これが生きる幸せ。三割もその楽しみを削られて、のうのうと生きる気など、考えられませんや」
十日もせずうちに彼のベッドには別の人間が横たわっていた。
・エゴ
僕の命が他人の役にたつのなら。
臓器提供ガードを作った夜の夢。
「俺を殺してくれ」
叫び声。随分遠くから。聞き耳をたてる。星明かりひとつない。
「生きる苦しみをまだ続けるつもりか。苦しい。苦しい」
看護士が駆けていく。急に静まる。カンフル注射か。続いて医者たちの声。
「あの病は」
「臓器提供でしか駄目ですね」
「さもばくば体に痛みが走り続ける」
「七千八十八号の患者さんが亡くなられました」
「臓器番号は」
沈黙。
「一致しました」
「それでは翌朝にでも」
翌朝。叫び声。僕はその声で夢から覚める。
廊下でキャスターの回る音。誰かの手術が始まる。命が一つ救われる。
・我ながら名案
夜中に歌声。上機嫌。
最近肝臓病か何かで入院しているあの男だろう。
「お酒が欲しいよお」
しらふの癖に何なのだ。この男。四六時中問題をひき起こす。全く迷惑極まりない。
嘔吐。看護士らが駆けつける。
「腹の中のものを出せばまたカラだ。また食べられる」
制止もきかぬ。組み伏せられる音。
眠りに落ちる前、こう思う。どうせ吐くなら、はじめから反吐でも食ってりゃいいのにと。
・死の順番待ち
三階は小児科。散歩。点滴を引きずりながら歩く長い廊下。女の子と出会った。
「私、もうすぐ死んじゃうの」
元気な子供を見たことが無い。病院だからか。僕はそんなことを言うなと説教をした。
「でも。死んだ人から命をもらう手術をすれば。私。生きていられるのよ」
臓器提供のことか。最近意思表示カードを作った。
一つの命が救えるのなら。誰かの死も無駄にはならぬと言うのなら。
彼女の物欲しげな目。いたいけな子供。僕を見つめる。
「あああ。早く誰だか死んでくれないかしら」
・いきているのか
息しているのか。
・最終決断
購買にて。
「おい。お前。これ。臓器提供カード。へえ」
振り向くと知らない男。無視。勘定を済ませる。
「自分の命が役に立って、何が欲しい。同情か。名誉か。これは偽善だ」
しつこい奴だ。彼は続ける。
「命をあげる。これは自然の法則に反している。神の領域を侵す業」
僕は男の目を捉えた。同情。名誉。偽善だと。
それでも僕はこう思う。
医療の発展。救える命がそこにある。神の領域。くそくらえ。神は命を救うのか。人が命を救うのだ。
・安楽死
周りは皆これに反対する。
「生きていればいいことある」
「生きていれば何かが変わる」
周りは皆忘れている。
苦しみを拒絶する権利は僕にあること。
・馬鹿馬鹿しいけど
友人が僕の病室を訪れた。どうして知っているのか。彼は得意の笑みで千羽鶴を差し出す。真っ白な病室に一塊の虹。悲しかった。花瓶の花は枯れている。
僕は友人の名を呼ぶ。咳払い。
「人が一人死んだって、月が落ちる訳ではない。地球は回る」
僕は眼前の光景に言葉を失う。友人の顔がみるみる赤く染まっていく。まなじりを決し眉を吊り上げ怒髪天を突く。
彼の叫び声。なんと汚いののしり言葉。
「お前は鍵だ。鍵かもしれない。地球を廻す。お前が消えた後、世界は大きく色を変える、かもしれない。お前は自分が死んだ後、地球の様子を知れるのか。いいや知らない。分かりもしない。それなのに分かったふりして堂々と威張り散らすな。小賢しい」
・希望
夜。こっそり病院の庭に出た。街灯。朧月夜。中庭の大きな池。
ぱっぱ、ぱっぱっぱ。
魚が口を開ける音。見下ろすと、これはコイだろうか。
池に映る月を。街灯の光を捕まえようと。口を何度も。ぱくぱく、ぱくぱく。
僕と同じだ。
・死ねばいいのに
と、言って、死んだことも無ければ、殺したこともない。
いい加減、死ねばいいのに。
・しつれいなひと
ある個室での会話。盗み聞き。
「君。何故あんなにも反抗的なんだい。看護士に。何か恨みでも」
「無いよ」
「では、何故」
「あの女。不細工だ」
「なんて野郎だ。そんな理由で」
「君のところはどうだい」
「美人。美人だとも」
「へえ。いいなあ」
「目を細めて、遠くから見るのがこつさ」
・深紅の鼓動
近くに山車が来た。今日は祭りか。にぎやかな夜。この日ばかりは小児科の子供も元気なものだ。今日もこっそり庭に降り立つ。
「ここのコイは祭りのコイか」
庭の池。ここに金魚すくいの金魚を放流しているのだろうか。誰かが無断で。
提灯。風に揺れる。一人の子供が駆け出した。
「危ない」
言った側から。手に持ったビニルの袋が道に散る。
みるみる子供の顔に涙があふれる。
こけた痛みか。路傍に金魚がベテベテはねる。
小さな手が必死に赤をかき寄せる。泣きながら。叫びながら。
ああ、僕は一体いつ本気になることを忘れたのだろう。
・さいごに
まだ手記の頁は半分以上残っているが、どうやらもう僕には時間がない。別れは怖くない。ただこれが逝者の手記と成り果てることを恐れるばかり。




