忘れないで
忘れないで
『夢を食う』
僕の夢には獏がいた。
『誤差のある時計』
初めて獏に出会ったのはいつだったか、忘れてしまった。初めて出会った時も僕の夢を食い散らかしていたが、僕がこんばんはというとこんばんはと返事をした。僕は返事をしてもらえたのが嬉しくて獏と沢山の話をした。朝焼けの色、枯らしたスミレ。その度にいちいち獏は巨体をゆらして返事をした。
獏と出会って何日も経ったある夜、獏は提案した。
「いつも百千万億君は僕に昼間の話をしてくれる。うん、よし、そうだ、今日は昼間の話よりももっと楽しい夢の中を案内してあげよう」
獏が僕の名前を呼ぶたびに、僕は獏に名前を付けてあげようかと考える。が、格好良い名前は思いつかないし、思いついたとしても忘れそう。結局、僕は彼を『バク』と呼ぶ。僕の考えをよそに獏は僕の夢を食べながら
「背中に乗って。君の夢は僕の庭のようなもの。面白いところに案内しよう。そうだ、君の夢の端の方に変な男が住み着いている。神経質な男だが、会ってみると意外と面白い。発明家なんだが」
と僕を背中に乗せて宙を駆けた。
果たして発明家は実に神経質そうな男だった。部屋の隅から隅まで塵一つない。本も几帳面に本棚に。その他一ミリ単位の細かい配慮もあるのだろう。
「発明家と聞きましたが、一体何を作ったんです」
僕は獏の背中からおりて尋ねた。発明家の男は
「よくぞ尋ねてくれた」
と鼻をうごめかして
「実は高精度の時計を作っているのだよ」
と僕に小さな時計を見せた。発明家は続けて
「これは五千年間、電池を入れ替えずにすむ時計だ。それだけではないのだよ。五千年間、一分一秒として狂わずに時を刻み続けるのだ」
と自慢げに語る。僕は思わず
「すごいではありませんか。そんな時計ができただなんて」
と心の底から本気で賞賛したのだが、発明家は
「愚か者」
と僕を罵った。発明家の男は続けてか細い声でこう呟いた。
「五千年経つと、なんと一秒もの誤差が出る」
『よせばいいのに』
ある嵐の夜、僕は暗闇の夢を見た。僕は恐ろしくなって
「バク、バク、どこ」
と夢の中をさまよった。遠くに明かりが見える。無我夢中で駆けると柔らかい壁にぶつかった。こんばんは、という獏の挨拶があって、壁が獏だということに気がついた。
「今日はどうしてこんなに真っ暗なの」
「今日の嵐で電線がちぎれてしまってね。しばらく復旧のめども無い。皆はいまさらながら節約だ、節電だとか言って騒いでいる。」
と獏はモゴモゴと僕に説明した。僕の夢を食っていたのだろう。
「節電だと叫び続けないと人間はいつも通り電気を使ってしまう。だから昼間、元気な人は節電節電と叫んでいたし、広告や新聞でも電気は大切にと載っている。夜は文字も見えないし叫ぶと迷惑だから夜こそは控えめだけど」
と獏は続けた。
「だから夜はこうなっている訳だね」
僕は『節電しましょう』と煌煌と輝く電光掲示板を指差した。
『意義』
僕には夜、バクという友人がいるが、もちろん昼間にも友人がいる。春夏秋冬という。昼間の友人は夜の僕の夢の中にも当然現れる。ある夜、僕は夢の中で春夏秋冬君に出会った。突拍子もなく春夏秋冬君は僕にこう言った。
「ツモイ、俺、車に乗りたいなあ」
大抵の人は僕の名字を珍しがってツモイと呼ぶ。春夏秋冬君とて同様である。ただ僕も春夏秋冬君のことを名字で呼ぶ訳だが。
僕が春夏秋冬君と出会ったのは中学生の時だが、夢の中でこの会話を交わしたのも中学生の時だった。
「高校を卒業してからじゃないと車の免許は取れないよ」
僕が反論すると春夏秋冬君は、いやいや、と相槌をうってから
「どうやらこの近くに一週間で免許の取れる教習場があるらしい。合宿だ。俺はしばらくそこに行く。あばよ」
と一方的に会話を終えると、さっさと歩いていってしまった。
夢の常で、いつの間にか一週間経ったらしい。僕が獏と歩いていると春夏秋冬君も向かいの道から歩いてきた。
「車の免許は取ったんじゃないの」
と僕が尋ねると春夏秋冬君は、とったさ、と小さく呟いた。
「確かにあそこは一週間で免許が取れる。一日中ずっと車に乗る。その日が永遠と思われるばかりに続く。そして俺は免許を取った。だがな。」
春夏秋冬君は少し間を置いてこう続けた。
「もう車に乗るのは飽き飽きだよ」
そう言う彼の頭上にはぽっかりと青空が口をあけていた。
『無意味』
風邪で遠足に行けなくなった日の夜の夢。僕は夢の中で獏と出会った。僕が大きくなったのか、獏はいつもより小さく見えた。そのことを聞く前に遠くから「おおい」という声。春夏秋冬君だ。
「せめて今遠足に行こう」
確かにその日は絶好の遠足日和。彼は僕の肩を引っ掴むとすぐそこの丘に登り始めた。
「弁当を作るのは苦手だ」
という彼の弁当箱の中身はキャベツ、レタス、トマトと全く手間と時間のかかっていないものばかり。思わず笑いが溢れた。僕たちは丘の頂上で少し早めの昼食をとった。
「春夏秋冬君、ハーフカロリーのマヨネーズなんだね、そんなに太ってないと思うけど」
と僕はたわいもない話に花を咲かせることにする。春夏秋冬君は
「昨日の体重計で現実をみた」
と苦笑い。
「しかしハーフカロリーは味が薄いと聞いたけど」
と僕がまた問うと春夏秋冬君は
「確かにそうだ。だから多めに使うんだ。いつもの二倍くらい」
と答えた。
『過去形』
病院の待合室で宇宙の本を読んだ夜の夢だった。獏が
「地球を見に行こう」
と提案した。もちろん僕は
「地球を見に行くだって。宇宙からかい。宇宙では息ができないよ。とても寒いというしね」
と反論したが、獏は
「夢だから大丈夫」
と、にべもしゃしゃりもない。
僕は獏の小さく痩せた背に掴まって宙を行く。空は瞬く間に色を変える。眼前に丸い地球。僕は思わずあの名文句を呟いた。
「地球は青かった」
獏は
「うん、青かったのにね」
と残念そうに相槌を打った。
『未来を見据える夢と希望』
中学校を卒業してすぐの頃。高校進学の実感も湧かず僕は春夏秋冬君に
「春夏秋冬君、君には夢っていうのがあるかい」
と訳の分からない質問をしてしまったことがある。僕は将来に漠然とした不安があった。春夏秋冬君は笑顔で
「ああ、あるさ。小学校一年の時はバスの運転手に、二年生の時は探検家に、三年生の時は学校の先生に、四年生の時は旅人に、五年生の時は発明家に、六年生の時はサラリーマンに、中学校に入ってからは神父になりたいと思ったし、やっぱり会社の社長になろうと思った。今は考古学者になりたいと思っている。
この夢のどれか一つでも叶えば俺は幸せだ」
と並び立てた。
『別れの手紙』
僕は高熱に喘いでいた。死ぬかもしれない。その言葉も出ない。そんな時みた夢の中で僕は獏に出会った。死ぬかもしれない、と僕は夢も現もぐちゃぐちゃになって獏に相談した。獏は、
「死ぬのは仕方のないことだ。いつか必ず人は死ぬ。ヒトトセはどうする。あいつにはお前しかいないからな。面と向かってさよならと言え」
と答えたが、僕は手紙の方がいいと思った。だから僕はペンを取る。獏の声が背中に刺さる。
「一方的にお前が消えるのに、残されたヒトトセには手紙を書く時間もやらないなんて、卑怯な奴だ」
『一秒以上かかる予言』
病院のベッドの上で僕は夢を見た。獏がいる。
「やっぱり、バク、小さくなってる」
僕は獏をみてそういったが、獏は
「仕方のないことだから」
と力なく笑った。獏は乾いた笑いを続けた。
「ツモイ君、君の夢の端っこの方にはよく面白い人物が住み着くね。今日は予言ができるとほら吹く女の家を教えてあげる」
僕は獏を手に乗せ、獏の道案内を頼りにそこを訪れた。
果たして予言者の女がいた。僕は本当に予言ができるのか、とかぜひ僕の将来を教えてくれないか、などと聞いた。彼女は、予言は可能だと言ったが問題がひとつある、と僕の目を見つめる。そしてこう続けた。
「一秒後の予言には一秒以上の時間がかかる」
『大人になっても』
僕が久しぶりに夢を訪れると、獏はもっと小さくなっていた。よく見ると前足も欠けている。
「どうして僕の夢を食うバクがこんなに小さくなってしまったんだい」
と僕が問いつめると、獏は蚊の鳴くような声で言い訳する。
「だって、仕方ないだろう。僕は君の夢そのもの。あるいは希望。夢を食うとどんどん小さくなっていくんだよ」
獏の後ろ足が音をたてて折れた。
「じゃあ、僕の夢なんて、食わなかったらいい」
涙を流しながら僕は怒った。獏はまた同じ言葉を繰り返した。
「仕方ないだろう」
そしてこう続けた。
「君は大人になっていくんだから」
『末路』
ある日を境に獏は忽然と姿を消した。
僕の夢には獏がいた。今はもう無い。
また会えないだろうか。もう夢も希望も無い僕に、もう一度遭いにきてはくれないだろうか。今度会えたら名前をつけてやろう、どんな名前がいいだろうか。再会を祈りながら僕は深いまどろみに身を委ねた。
じきに永い眠りが訪れる。




