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残りの二か月


〈不可解〉


「あのヒトトセとか言う馬鹿は何故あんなに元気なんだろう」

 冬休み直前の公園。二人の男がサッカーをしている。サッカーというよりは足の慰みと言った方が近い。児童の声に混ざって、

「へい。モリオ。モリオ。パスだ。パスしろよお」

と聞こえてくる。モリオと呼ばれた男は一つため息。

「本当に。どうしてあんなに元気なのだ。まったく。どうして」

 つまらぬ独り言。彼は力の限り振りかぶり、ボールを打ち出す。勢いは良い。だが、早くも失速、やがて二人の間で停止する。

「へたくそだなあ」

 ヒトトセと呼ばれた男が、遠くで笑っている。モリオは

「手で出来ぬような事、足でやるというのが、無茶苦茶なんだよ」

とまたもひとりごちる。



〈考え方〉


「そういえばモリオ。お前。怪我は大丈夫なのか」

 ボールは全く届かない。鋭い眼光。黒いスプリングコート。ヒトトセは少し距離を詰める。北風は冷たい。二人はそれぞれ首にマフラーを巻いている。モリオと呼ばれた男も距離を詰めつつ、

「随分昔に完治した」

と素っ気なく答えた。パス、と言いながらボールを送る。

「お前。交通安全お守りを買ったって言ってたじゃないか。神のご利益なんざ、くそくらえだな」

 送球は、ようやくヒトトセに届いた。そしてモリオの声は続く。

「お守りがあったから、あの程度ですんだよ」



〈至極最も〉


 小学生の元気な声。無邪気な木霊が公園中に響き渡る。

「小学生か。寒い中。元気な事だな」

「サッカー。お前が誘ったんだぞ。ヒトトセ」

 ヒトトセと呼ばれた男は、曖昧に返答する。ボールを受け取る。足は少し休憩。大きく息を吸うと、冬の空気が呼吸器官を刺激するのか、ヒトトセは顔をしかめた。彼は思い出したように言う。

「先日五百円玉貯金がたまったんだ」

 そしてヒトトセがボールを転がす。モリオからの相槌。

「どれくらい」

「遂に十万円に達したぞ。飲み物を買う時もわざわざ札を使って買った。ある意味努力の結晶だな」

 モリオはまた精一杯蹴り上げた。が、思うようにはいかないものだ。情けない音を立てて、球が回転する。歪な線を描きながら跳ねて飛ぶ。モリオはごまかすように声をあげた。

「そのジュースを買わなければ、無駄遣いせずに済んだのでは」


〈めぐるめぐる〉


 ボールが彼らの間を往復する。その度に会話の答えが行ったり来たり。

 ヒトトセは「おりゃ」と声を出し、高々と球を蹴り上げた。

「もっと上手にやってくれ」

 会話も同じ。ボールは見えるから良い。形の無い思いだけが、あいまいに彼らの間を巡る。



〈共通点〉


 モリオが公園を歩く。飛ばされたボールを取りに行くのだ。ボールがヒトトセに戻る頃には、モリオは既に肩で息をしている。

「運動は昔から苦手なんだぜ」

 膝をつきつつ、とぎれとぎれに呟く。

 サッカーをしよう。

 言い出しっぺはヒトトセである。モリオは、最初は承諾などしなかった。年賀状もまだ書けていない。

 せめてオセロにしよう。モリオは提案した。するとヒトトセが不気味に笑う。

「オセロで白黒付けようってか」

 そしてボールが転がった。



〈背伸び〉

「最近の小学生は化粧なんてしてるんだなあ」

 モリオがこぼす。既に彼の体力は限界突破。彼はベンチに腰掛けているが、ヒトトセはまだ一人でボール遊びである。

 風に乗って、帰宅時刻を知らせる町内の鐘。じきに日が暮れる。モリオは続けてこぼした。

「そんなに早く大人になりたいかね」

「早く大人になりたいって思っているうちはまだ子供だ」

 ヒトトセの声。そしてボールの落ちる音が響いた。



〈やがて嘘になる〉


 公園から徐々に子供の声が消え、彼らもまた帰路につく。

「俺より先にいくなよ」

 モリオは呟くように声をかけた。ボールは既に手に抱えている。夕日を背景に、前を行くヒトトセが振り返った。

「お前は本当に体力が無い」

 大きくため息。ヒトトセは続ける。

「じゃあ、先を歩けよ」

「俺が言いたいのは」

 モリオの言葉は途切れてしまう。風の音。枯れ葉が舞った。

「なんだ。行かないのかよ」

 ヒトトセは目を細めて笑う。二人は肩を並べて歩く事にした。

「もしかして、置いて行くと思ったのか。俺が。モリオを」

 モリオは、ただ、苦笑いで返した。

「俺は約束したら違えない男だぜ」

とヒトトセは続ける。顔をくしゃくしゃにしてまた笑う。

 無理して笑いやがって。モリオは漠然と考える。そして、あの約束はきっと嘘だ、とも思った。ヒトトセは絶対に俺を置いて行く。だが、思考は口にはしない。ただ、彼の心の深淵に落ちる。

 枯れ葉を踏みつけ割れる音。風の中でヒトトセの声が聞こえた。

「だから俺は約束なんてめったにしない」



〈さいごの選択〉


 道を歩く。遠くからアスファルトを跳ねてボールが転がって来た。色は赤。サッカーボールよりも一回りは小さいだろうか。

「おじいちゃんたち。ボール取ってよ」

 子供達の笑い声が聞こえて来る。ヒトトセは、一言、

「しかたないなあ」

とこぼし、ボールを手に取る。そして、子供達にボールを放った。

「うわあ。暴投」

 子供達は、それでも笑いながらボールを追いかける。

「ありがとう。はげ頭の方のおじいちゃん」

「よく見やがれ。まだあるわい」

 モリオには冗談で言い交わす声も遠くに聞こえる。すぐ隣の男からの声であるにもかかわらず。

 モリオは思わずため息をついた。子供のようにはしゃぐヒトトセを見る。そして、ぼんやりと思い出す。

 サッカーをしよう。

 言い出しっぺはヒトトセである。モリオは断った。室内で出来る盤ゲームならともかく、運動は苦手である。それにまだ年賀状も書けていない。

「あと二ヶ月らしい」

 ヒトトセが唐突に言う。

「何のカウントダウンだ。年甲斐無く、年明け花火でもするのか」

「年明けまでは。まだ。こっちにいるけど」

 ヒトトセが言う。声は心なしか恐怖に震えている。そしてモリオ自身も何かを悟ったのだ。ヒトトセは続ける。

「年賀状はちゃんと書いてやるよ。一筆入魂だ」

 紙の上に魂をのせるなら、ちゃんと持っとけ。もう年なんだから。

 言葉は続かない。ただ、ヒトトセの声だけが、心に響く。

 延命治療すればあと一年。でも、俺、蜘蛛じゃないからさ。張り巡らされた糸の中心で飯を喰うのは嫌なんだ。

 脳裏に反芻する。数時間前の出来事。

「振り回されて来たなあ」

 このヒトトセとかいう男には。サッカーなんてのも、最後のわがままなんだろうか。

「また、追い抜いちまったよ」

 数歩先でヒトトセ老人が笑っている。モリオが追いつくまで、足を進める気配はない。ヒトトセはふと空を見上げる。その先には鮮やかな黄昏。ヒトトセから言葉が溢れた。

「ああ。きれいな空だなあ。手が届きそうだ」

 足下に長い影を引いて、二人は歩く。冬の夕暮れだった。


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