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田中彼方は遠くへ行った



 破滅の一撃


 僕の名前は田中彼方。大学には二年通っている。出身地は、もちろん、日本だ。

 何故今更周知既知のことを語るのか。

 それは僕の頭と目が健全であることを確認するためである。

 日本は僕が眠っている間、つまり一夜にして滅亡した。

 その事実を認めるために、僕の脳と目はあまりに健全すぎた。



 いっそのこと取ってしまえ


 まだ起きて三十分も経たないが、僕の出身地と名前の確認および自問自答はゆうに七十回を越えた。

 周りには広がる荒野。吹きすさぶ風。もうもうと砂を舞い上げる。

 僕の家は跡形も無い。火事か。それなら僕も燃えて、ここにはいない。地震が起きたのだろうか。いや、それなら飛び起きる。僕は夜、雷鳴が轟くだけですら目を覚ます。そして朝まで眠れない。母親の布団に潜り込みたくなる。たまに潜る。いや。えええっと。こほん。

 一夜にして、一体何がおこったのだろうか。

 日本全国、北から南まで、北海道から沖縄までこうなってしまったのか。確認する気は毛頭ない。僕は泳げないからだ。二十五メートルプールに猫と僕が同時に放り込まれ、先に向こう岸にたどり着くのは間違いなく猫だろう。

 とにかく、少なくともこの一辺は僕が寝ている間に荒野と化した。

 遠くから声がした。

「おお。タナカ.起きたのか」

 実に不快な声。

「モリオ。モリオじゃないですか。ええと。お前は市立病院の向かい側の森尾薬局のどら息子の森尾守男ですね」

「いかにもさよう」

 実は僕が一番苦手とする男だった。

 理由は数えきれないほどあるが、大きいのは不真面目だからだ。未成年のときからタバコも吸ったし、お酒も飲んだ。

 次に苦手な男はヒトトセとかいう男で。いや。わざわざ思い出す必要は無い。

 とにもかくにも、僕の頭が健全だということを自分の名前以外で確認できる術を僕はモリオに見いだした。

 まさかこいつと話をして感謝にむせぶ日が来るとは。平生からこの男と会話をかわすくらいなら

「七時のニュースです。こんばんは」

「こんばんは」

とニュースキャスターに一方的でも話しかけた方がましだと思っていたというのに。

 僕はモリオに一夜にして起こった出来事に関して答えを求めた。

 しかし返ってきたのは

「さあ知らないなあ」

「それを言ったら怒るだろう」

「返答に窮する」

といった塩梅。

「ううん。頭が痛い」

 僕は思わず呟いたが仕方が無い。一夜にして滅んだ日本のことを、翌日友人に聞いて何になろう。僕は反省した。悪かった。それを聞いたモリオは普段通りくしゃくしゃの黒髪をいじくり廻しながら

「痛くなる頭なんて、いっそのこと取ってしまえばいいのに」

とぼんやり言った。



 必ず死ぬ怪物


 風が痛い。広がる荒野は目に痛い。

 神が僕に下した試練のなんと困難なこと。

 日頃の行いが悪いからだろうか。後ろめたいこと、やったかな。

 そういえば、友人の懇願を聞く耳持たずに一蹴した。ヒトトセには悪いことをした。

「とにかく、水だな」

 声を発したのはモリオだった。冷静極まりない。僕は朝には強いはずだが、今日はどうにも駄目である。この状況が悪いのだろうか。頭が重い。水。もしかして、川からか。

 沈黙。

 水。死活問題だ。背に腹は代えられない。僕は小さな一歩を踏み出した。

「ああ。そっちじゃない」

 制止を願う声。もちろんモリオ。

「そっちには人喰う獣が出るらしい」

 日本はどうなってしまったのだろう。

「出会ったら最後、お前の最期」

 僕の頭は幾分冷静になってきたようだ。

「出会ったら必ず死ぬのに、誰から聞いたんです」



 真相


 これが近所の川だろう。随分大きい。いや。こんな大きな川なんて近くにあったかしら。

 すぐ側にたたずむ男。眼光鋭い。

「ヒトトセ。無事だったんですね」

 僕は思わず叫んだ。ヒトトセも笑う。

「お前こそ。タナカ。よかった。よかった」

 ヒトトセは手にペットボトルを持っていた。中身はから。よく見ると、簡易濾過装置のようだった。サバイバルだ。

 僕は思わず川を見やる。気味の悪い外来魚。これが釣り人客には人気なのだ。取って喰うことも出来る、らしい。数十年前に誰かが放流して、これらがはびこっている。

「まさか日本にいて川の水を飲む羽目になるとは」

 僕の呟きにヒトトセは

「えっ」

という顔をした。

 モリオも

「あっ」

という顔をした。

 モリオは沈黙を守ったがヒトトセはそのまま続けた。

「何を言っているんだ。タナカ。これはヴィクトリア湖だぞ」



 井戸の中


「へっ」

 次は僕が声を上げた。我ながら間抜けな声だが驚いたのだから仕方が無い。ヒトトセは気にすることも無く

「言ったじゃないか。アフリカに行こうって。外国に行けるのは学生のうちだけだって」

 僕は未だに寝ぼけた頭をフル回転させる。

 その日は静かな夜だった。モリオの家だったか、ヒトトセの家だったか、どちらだったかは忘れた。いずれかの家でウォッカをオレンジジュースでわり、スクリュードライバーにして飲んでいた。

「タナカ。外国に行こう。外国に。アフリカに行こう。アフリカに」

 僕は彼の願いを一蹴した。最近留学したばかりだ。外国というのは意外と面倒なんだ。彼は知ってか知らずか会話を続ける。

「何故だよ。タナカカナタ。日本から飛び立とうとは思わないかね。このままでは井の中の蛙だ」

「井の中の蛙で結構。井戸の中は涼しくて気持ちいいものです。泥も投げられないですし。井戸ですから」

「石を落とされるかもしれない」

「それは貴重な水が無くなったかどうか試す時。乾いていたなら僕はとうの昔に死んでいます。つまり、井戸の中で、井戸の中の者だけで会話するには外の知識は必要ありません」

 なるほど井戸の中は安全だ。



 世界の最果て


「タナカ。行こうよアフリカへ。モリオもいるぞ」

「よりいっそう厭ですよ」

「世界の最果てへ行ってみたいと思わないのか」

 思わない。僕の反論。

「日本の丁度裏側はアフリカ大陸ではなく南アメリカ大陸です。世界の最果てというのなら」

 僕は一歩後退。

「世界を一周して帰ってきたら、丁度ここが一番遠かろうかと」



 モルヒネ


 僕は遠い日本のことを回想し終えた。アフリカに関して思い当たる話を二つほど思い出したところで

「つまりここは」

「アフリカだ」

 僕の質問に対して二人が同時に返答した。

 日本は一夜にして滅びたのではなく、僕が一夜にして大自然あふれるアフリカに連れてこられたのか。

「寝ている間に。一日で」

 僕の語尾は疑問調。アフリカに一日で行ける訳が無い。大学には家から通っている。寝ている僕を連れ出すなんてどうやって。僕の両親にはなんと言ったのだ。

 疑問は最悪の形で氷解した。

「いやあ。心配だったんだ。タナカ。お前の両親には一週間のお泊まり旅行と言ってはいたが」

「無理矢理連れ出して俺の家でカクテルに睡眠薬を混ぜてそのまま空港に行って」

 ヒトトセとモリオは代わる代わる説明している。

「せっかくアフリカに降り立っても起きねえでやんの」

「いやあ。森尾薬局どら息子森尾守男、まさか薬の分量を間違えるとは」

 僕は薬のせいでまだ寝ぼけた頭で衝動的に二人を殴り飛ばそうと判断するや否やすぐに行動に移した。そして彼らの懐から鍵を見つけ出し、ヒトトセが運転してきたと思しきジープに飛び乗り空港へ駆けていった。


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