第9話:チーム
暗殺者を捕縛してから、十日が経った。
書斎で帳簿を広げていると、ノアから呼び出しがかかった。執務室。
「事後処理を進めたいのですが、ユリア様にもご同席いただけますか」
事後処理。攻撃を止めただけで終わりじゃない。なぜ侵入できたのか、他に経路はないか、再発防止をどうするか。前世でいう事後分析だ。
『同意。初動対応の記録が未整理です。報告書の作成を推奨——』
……珍しく意見が合う。
執務室に入ると、見知らぬ男が一人、書類を整えていた。
二十代後半。顎の線が鋭い男が、書類を揃えていた。眼鏡の奥の目は真面目そうで、背筋がまっすぐ伸びている。端が一枚も折れていない。角が揃っている。仕事のできる人間の手つきだ。
「ユリア様、紹介します。フェリクスです。この領地の行政を担当しています」
フェリクスは一礼した。姿勢が正しい。
「フェリクスと申します。以後、よろしくお願いいたします」
堅い。声も堅い。敬語の角が立っている。マルタとは違う種類の「きちんとした人」だ。
ノアが続けた。声のトーンが少し変わった。穏やかさは残っているけれど、言葉の選び方が短くなっている。仕事モード。
「報告を公国本府へ上げます。証拠固めは並行で進めてください。ユリア様には、暗殺者の侵入経路と行動パターンの分析をお願いしたい」
「……私がですか?」
「あなた以上の適任者がいません」
ノアの目がまっすぐだった。お世辞じゃない。事実として言っている。
「報告書のフォーマットと書式整備は、フェリクスが担当します。ユリア様は分析に集中してください」
——分業。
その言葉を聞いた瞬間、指先がかすかに痺れた。肩が強張る。呼吸が、浅くなっている。
全部一人だった。「守谷さん、これもお願い」。その「これも」が際限なく増えて、最後は——。
「ユリア様」
フェリクスが声をかけてきた。表情は硬い。
「暗殺者の所持品リストと、警備兵の巡回記録をまとめてあります。分析の参考にしていただければ」
手渡された書類の束。整理されている。時系列順。巡回ルートの図解まで添えてある。
「……ありがとうございます。助かります」
フェリクスは少し間を置いて、
「——根拠をお聞かせいただけますか」
「え?」
「暗殺者の出自が王国だという判断の根拠です。確証はあるのですか」
懐疑的な目。でも、嫌味じゃない。
反射的に身構えた。「余計なことを」。そんな声が聞こえた気がした。でも、フェリクスの目は攻撃じゃない。確認だ。
「庭師に扮していた男の短剣に、王国の鍛冶師の刻印がありました。あと、靴底の泥の色が国境の南側、王国側の赤土です」
フェリクスの眉が動いた。
「……靴底の泥まで見ていたんですか」
「職業病です」
フェリクスは眼鏡の位置を直した。何か言いかけて——やめた。
「わかりました。報告書に反映します」
それだけ。納得したら、すぐ次の作業に移る。余計な感想を挟まない。仕事のできる人間の動き方だ。
午後。分析作業を進めながら、フェリクスと並んで書類を広げた。
窓から午後の光が差している。紙の束を繰る音が、二人分。インクの匂い。羽ペンが走る音。フェリクスのペンは規則正しいリズムで動く。私のほうが早い。でも、フェリクスのほうが正確だ。
隣に人がいる。同じ書類を見て、同じ方向を向いている。それだけのことが、胸の奥に引っかかった。
前世では、こうやって隣で同じ資料を見てくれる人は、いなかった。
フェリクスは時々、手を止めて私の分析メモを確認する。
「この部分、表現を少し修正していいですか。公国の書式に合わせた方が本府での審議がスムーズです」
「お願いします」
「それと——この図は明瞭です。侵入経路の把握に過不足がない」
……褒められた。
仕事を褒められたのは、この領地に来てからずいぶん増えた。でも、同僚、という言い方が正しいかわからないけれど、並んで作業をしている人間から「わかりやすい」と言われたのは、初めてだ。
同じ目線で読んでくれる人が、いる。それだけのことが、目の奥を熱くした。
『チーム——機能している。悪くない構成だ——』
やめて。数値化しないで。
夕方。報告書が完成した。
ノアが目を通す。ページをめくる手が止まらない。全部読んでいる。一ページも飛ばさずに。
「よくまとまっていますね」
ノアが顔を上げた。仕事モードの簡潔さから、少しだけ穏やかな声に戻っている。
「フェリクスの書式とユリア様の分析、両方があって成り立つ報告書です」
両方。
——両方あって、成り立つ。その言葉が、妙に深く響いた。
——代わりがいない。
不意にその言葉が浮かんで、喉の奥が詰まった。「あなたの仕事は誰でもできる」。前世の声が、少しだけ、遠くなった気がした。
「本府へはこのまま送ります。追加の証拠が出れば、続報で対応しましょう」
ノアの判断は速かった。迷わない。穏やかな人なのに、仕事に関しては決断が早い。
「あの、ノア様」
「はい?」
「暗殺者の件ですが、一人だけとは限りません」
ノアの目が一瞬だけ細くなった。仕事モードの目。
「続きを」
「王国が本気でこの領地に手を出すなら、一人で終わるはずがありません。暗殺が失敗したら、次は別の方法で来ます。スパイとか、情報操作とか——」
『攻撃パターンの予測:暗殺(失敗)→ 次のフェーズは内部浸透の可能性が高い——』
……分析して。今は、お前の力が要る。
初めて、リスク管理脳に自分から頼んだ気がした。
「——内部から情報を集める人間を送り込んでくる可能性があります。新しく領地に入ってくる人間には、注意が必要です」
フェリクスが手を止めた。眼鏡の奥の目が鋭くなっている。
ノアは少し考えて、頷いた。
「マルタに伝えましょう。新規の人員については、身元確認を強化する。フェリクス、周辺領地の情報も集めておいてください」
「承知しました」
フェリクスが即座に応じる。この人も、速い。
チーム。
分析は私。書式はフェリクス。判断はノア。実行はマルタ。それぞれの持ち場があって、それぞれが動く。
——一人じゃない。
窓の外が暗くなりかけていた。フェリクスが何も言わずにろうそくを寄せてくれた。




