第2話:繰り返し
「扱いにくい」。
前世でも今世でも、私につけられる札はこれだった。
ベッドの中で天井を見つめている。前世の記憶が戻って、二度目の朝。昨日はぐちゃぐちゃに混ざっていた二つの人生が、一晩の眠りを挟んで、少しだけ整理されてきた。
——整理されるほど、笑えなくなる。
前世の守谷結衣。中小企業の一人セキュリティ担当。リスクを見つけたら報告する。当たり前のことを、当たり前にやって、疎まれた。
今世のユリア・モーリス。貴族令嬢。問題を見つけたら指摘する。当たり前のことを、当たり前にやって、「悪役令嬢」と呼ばれるようになった。
前世の記憶なんて持っていなくても、この十五年間、私は同じことをしていた。同じ性格で、同じ行動をして——。
……並べるまでもない。結果まで同じだ。
『前世との行動パターン照合——』
いらない。自分のことくらい、分析されなくてもわかってる。
——でも、「ああ、これは同じだ」と最初に思ったのは、十歳のときだ。
前世の記憶がない十歳のユリアが、そう思ったわけじゃない。今、二つの人生を重ねてみて、あの日のことが嫌になるほど鮮明に蘇ってくる。
熱があった。
朝から体が重くて、頭の芯がじんじんする。起き上がるだけで、こめかみの奥がずきんと脈打った。
「お嬢様、本日は伯爵家のお茶会でございます。お支度を」
侍女が扉の隙間から声だけ投げてきた。視線は合わせない。部屋に入ってくることもない。「悪役令嬢」に深入りすると自分も巻き込まれる。そう思っているのだろう。
「……少し、体調が悪くて」
「みっともない」
廊下から母の声が落ちてきた。足音すら立てずに近づいていたらしい。扉の前に立つ影が、冷たい空気ごと部屋に入り込んでくる。
「モーリス家の令嬢が、たかが微熱で欠席ですって?」
視線が刺さる。反論は許されない目だった。
——たかが微熱。前世でも聞いた台詞だ。「たかが風邪で休むの?」「みんな出社してるよ?」。
世界が変わっても、人を縛る言葉は同じらしい。
立ち上がった。ふらつく足で、侍女が寄越したドレスに腕を通した。布地が熱い肌に張りつく。首元のレースが、締めつけるように喉を圧迫する。
お茶会は、華やかだった。
テーブルには色とりどりの焼き菓子が並び、甘い砂糖とバターの香りが漂っている。令嬢たちの笑い声。紅茶のカップが触れ合う、澄んだ音。
——私の周りだけ、空気が違った。
席に着いた瞬間、隣の令嬢がさりげなく椅子を引いた。向かいの席は最初から空いている。視線が合いそうになると、全員が別のところを見る。
紅茶を口に含んだ。温かいはずの液体が、何の味もしなかった。舌の上を通り過ぎて、消えた。
隣の令嬢が、向かいの子と花の話をしている。庭園の薔薇が今年は早く咲いたとか、新しい品種が届いたとか。普通の会話だ。意地悪なんかじゃない。ただ、私がいないかのように話している。
話しかけようとした。口を開きかけたが、隣の令嬢がちらりとこちらを見て、すぐに視線を戻した。それだけで、言葉が喉の奥に引っ込んだ。
焼き菓子を一つ取った。砂糖のざらつきが指先に触れる。口に入れると、甘さだけが舌の上で溶けていく。味がわかるのに、味がしない。奇妙な感覚だった。
——大丈夫。慣れている。
二時間。笑顔を作り続けた。
帰りの馬車の中。革の匂い。車輪が石畳を走る音が、規則正しく響いている。窓の外を景色が流れていく。木々の影が、車内を明暗に染め分ける。
母は窓の外を見たまま言った。
「あなたがいると場の空気が悪くなるわね」
一拍。間があった。馬車が揺れて、影が動いた。
「次からは、来なくていいわ」
母がこちらを見た。ほんの一瞬だけ。何の感情も読めない目だった。——いや。読めなかったのは、十歳の私に読む力がなかっただけかもしれない。
——じゃあ、なんで連れてきたの。
口に出せなかった。十歳の私には、それだけの言葉すら重すぎた。車輪の音だけが、沈黙を埋めている。
前世の私も同じだった。上司に「守谷がいないほうが会議スムーズだよね」と言われて、黙ってうなずいた。
……十歳でも、三十二歳でも。
枕に顔を押しつけた。洗い晒しの布の匂いがする。
——もう一つ、鮮明に残っている記憶がある。
十四歳の秋。
帳簿に、おかしな数字を見つけた。三日かけて証拠をまとめて、父の執務室に持っていった。
重い扉の向こうから、インクと古い革の匂い。胸が高鳴っていることに気づいた。期待している。それが怖かった。
父は報告書を受け取った。ページをめくる。三枚目で、ほんの一瞬、眉が動いた。
息を詰めていた。
「ふむ。わかった。下がれ」
後日。取引は打ち切られた。「当主が帳簿の不審点を発見し、迅速に対処された」。屋敷の中で、そういうことになっていた。
三日間は、なかったことになっている。私の名前は、一度も出なかった。
——前世でも、同じ光景を何度見たことか。
報告書を書くのは私。提出するのは上司の名前。評価面談で言われるのは「守谷さんはサポートが得意だね」。サポートじゃない。最初から最後まで、全部やったのは私だ。
でも言えば「扱いにくい」。
黙れば、便利な道具。
だから黙った。黙って、次の帳簿に取りかかった。
——いや。違う。
前世の守谷結衣は、三十二歳まで自分のパターンに気づかなかった。廊下で膝が折れるまで、「いつか報われる」と信じていた。
——いや、本当に気づいていなかったのだろうか。
気づいていた。たぶん、ずっと前から。でも認めたくなかった。認めたら、「いつか報われる」が嘘になる。嘘になったら、今までの全部が無駄になる。だから目を逸らし続けた。三十二歳の廊下で、体が先に壊れるまで。
今の私は十五歳で気づいている。同じ繰り返しだと、わかっている。
気づいたところで、何が変わるのかは、まだわからないけど。
窓の外に目をやった。
どこかで扉が閉まる音がした。使用人たちの足音が遠ざかっていく。この部屋の前を通るとき、誰もが少しだけ早足になる。
……もういい。わかっている。
「……またこのパターンか」
声に出したら、思ったより掠れていた。
『現状を継続した場合の予測:心身の破綻。推定残存期間——』
「ストップ」
聞きたくない。
でも、わかっている。
このまま同じことを繰り返したら、前世と同じ結末だ。前世は三十二歳だった。今世は十五歳。体はもう限界に近い。
この家に味方はいない。
外に出ても、「悪役令嬢」の烙印はついて回る。
逃げ場なんて、どこにもない。
——と、この時の私は思っていた。
翌朝、屋敷の帳簿を開くまでは。




