変哲もない日常
だらだらと過ごした質屋からようやく出てきたラズロは、背を丸めながらトボトボ歩く。
冬はますます深まって、もう少し冷え込むと雪もチラホラ降るかもしれないと思うような気温。
「ゔ~さむさむっ! いい加減こんなコート一枚じゃ凍えちまうなァ……」
ラズロはこれを毎冬ごとに言いながら、しかし一向に新調することもなく過ごしている。
ポケットに両手を突っ込んで震えながら、馴染みのBARへと逃げ込んだ。
「いらっしゃいラズロさん。今日も寒いね」
マスターがそう言いながら、いつものでいいかい、とすでにグラスを準備している。
「ようラズロ。いつにも増してしけたツラだなぁ」
同じく常連のオイゲンが、もうすっかり出来上がった顔で手をあげる。
ラズロはこの全くもっていつも通りの光景と店内の暖かさに思わず弛緩して、いつもの席に腰を下ろす。
いつもの酒の喉を焼くような暴力的な辛さに、ホッと一息吐く。
あの不機嫌な店主に入れてもらった茶はなんとも華やかで、その味わい深さとやらはさっぱりわからなかった。
どうにも住む世界が違い過ぎるな、とラズロは苦笑を深める。
コナー事件からこの指輪の件まで、ついつい深入りしかけてしまった。
だが、もう関わらないほうが良いだろう、と思う。
その方があの青年の為でもあるだろう。
ぼんやりそんなことを考えていると。
「そういやよぉ」
と、噂好きのオイゲンが、またもやどこから仕入れたものか怪しい話を始める。
BARのいつもの光景。時間。ラズロもまたいつも通りにオイゲンの話を聞き流して。
「おいラズロ、聞いてんのかい? ダーニング卿が行方知れずの御令息さまを探し回ってんだってよ。もし見つけたら報奨金が二万ポンドだと!」
「まぁたそんな……どっから仕入れてくるんですそういう話……」
「どこだっていいだろよ。なんでもさ、まだ赤ん坊のころに誘拐された御令息だ……」
「誘拐……? そりゃまた物騒な。いつの話です……」
「十年前らしい。あんた警察なんだから……なんか知らねえのかい」
ラズロは眉を顰めた。
それからマスターと顔を見合わせる。
そこには、そんな事件ありました? という疑問と、さて……というマスターからの返事が、声もなく交わされていた。
「ん~。十年前なら俺は駆け出しのペーペーですけど……いや、そんなオオゴトなら覚えてないわけないですよ……」
それとも大事な坊ちゃんが誘拐されたというのに、通報もしなかったというのだろうか。
なんとも眉唾な話である。
「お偉いお貴族様のお家のことだからなぁ……」
「十年前……いや、そういえば、ダーニング卿のお家の奥方の葬儀が行われていたような……」
マスターが記憶を手繰るようにグラスを拭きながら言った。
「あぁ……葬儀を取り仕切った秘書の女が愛人だって噂もあったっけなぁ」
とオイゲンが鼻を鳴らした。
「愛人……?」
「秘書だつってよ、四六時中あちこちぴっとりくっついて回ってたって噂だったネェ、へへ」
なんとも下衆なことである。
ラズロはこのゴシップに関する的確な感想にだいぶ言葉を選ばねばならなかった。
そして、
「そりゃまた……おいたわしいことです、ねェ」
唸るように吐き出す言葉だった。
その後もいろいろ、特に身のない話をして夜も深まる頃。
ラズロはBARを後にした。
酒に温まった体が、冬の風に冷やされていく。
少しばかり酔った足取りでフラフラと歩きながら、月も見えない空を一度だけ見上げた。
(……二万ポンドねぇ)
それだけあれば新しいコートが買えるな、なんて詮無いことを考えて笑った。




