不安な太陽 ②
僕が見ている世界に色はない。
あるのは白から黒へと続くコントラストだけであり、青赤黄といった色は一つとして存在していなかった。そしてこれは、今見ている景色だけに留まらず、過ごしてきた過去全てに当てはまる事でもあった。
色を奪われる前、僕の目はありとあらゆる色を映し出していた。
空の青さと海の青さの違いも、草木が持つ緑の違いも、トマトジュースと赤ワインの違いだって、見た目の色から判断する事ができていた。
できていたという記憶だけは、確かに存在する。
しかし色を奪われた今、空と海の違いは過去に学んだ知識として知っているだけで、どんな色をしているのか思い出す事も出来なかった。
僕の世界に色はない。
それは見えている世界だけに留まる事はなく、想像や色があったはずの過去の記憶にすら及んでいる。
今の僕には、青と赤の違いすら分からなかった。
【ジェミー こわいかお】
「少し考え事をしてた」
【かんがえごと?】
「魔女について」
【ジェミーもまじょさんに あったことあるの?】
「あるよ」
僕は考える間もなくアルの質問に答えた。
死人同然に暮らしている僕にとって、魔女や悪魔の存在はタブーではないし、隠す必要もない。これ等の存在を必死で隠そうとするのは、汚い大人と汚い大人に育てられた子供に限られていた。
あらゆる場所に火をくべせせら笑う者達は、巻集めに奔走はできても、自分自身が着火剤になるのは絶対に嫌なのである。
【すごーい】
「凄くはない。かといって普通でもないけど」
天災に見舞われるのと同様、それ自体は何一つとして凄くはない。かといってこれを普通かと問われると、そんな事はけしてなかった。
普通ではなくなったから僕は幽閉され、アルもここにいる。
まったく迷惑な話だ。
アルと違い、魔女が困っていたから色をあげたわけでも、無理矢理奪われたわけでもないとはいえ、迷惑である事に変わりなかった。
僕はやれやれと頭の後ろを掻いた。
首と頭の付け根。
ここに、魔女の烙印が刻まれている。
場所が場所だけに目視する事は出来ないし、烙印が鏡に映る事もないから、本当にあるかどうか疑わしくもあるが、魔女の言葉を信じるのであれば、契約の印は刻まれているはずだった。
【どんなまじょさんだった?】
後頭部に手を触れ、烙印について考えていた所で、紙に文字を書き終えたアルが、ワクワクの表情で僕を見てきた。
多くの者は魔女に興味があっても、魔女について聞く事はしない。魔女について聞くのは、頭の狂った異教徒だけであり、異教徒は魔女狩りの筆頭として名を挙げられる事がままあった。
だからこれは、何も知らない子供ならではの好奇心であり、成長と共に学ばされ失っていく、あるべき疑問だった。
人は未知を恐れるくせに、未知について知ろうとしない。そして、誰かが言った都合の良い言葉を、知りもしない癖に正しい事として信じ、知った気になる。
人は魔女について何も知らなかった。
魔女は不幸と災いを齎す異端の存在として、信じられているだけだった。
「いい魔女だったよ。多分」
僕にとっては。という主語が付くし、いい魔女であると断言出来るかは、正直かなり怪しくもある。
ただ出会った魔女は今の所、いい魔女だった。
魔女の呪いによって、不幸と災いは見事に降り注いでしまっているが、それを僕に課したのは魔女ではなく、魔女を悪とする人。
魔女は契約した通り色を奪い続けているだけであり、色以外のモノを奪ったのも、奪おうとしたのも人なのである。
本当に迷惑な話だ。
【アルもあいたいな】
「会うべきなのは、アルが会った魔女の方な」
【おぉ~ たしかに】
「アルが会ったのは、どんな魔女だったんだ?」
【真っ黒な人】
「真っ黒な人…」
「…!!」
僕が呟くと、黒に塗り潰されていたキャンバスが床に落ち、アルはびくりと体を震わせた。立てかけられたキャンバスが落ちるのは、ここではよくある事だった。入口の扉や雨漏りする屋根もそうだが、このアトリエは立てつけ最悪の欠陥住宅なのである。丸いビー玉を床に置けば転がっていくし、隙間風だって酷い。
ここは、貴族のお嬢様が雨宿りに使う場所としてすら適さない、住むとなれば発狂ものの糞アトリエだった。残念ながらアルは既に一泊しているし、今の所、発狂する気配すらありはしないのだが。
まさかまさかの環境適応能力である。
【ビックリした】
書いた文字を僕に見せながら、アルは目を丸くした。
「そうだな」
サラがうまい事言ったからか、アルはこの場所で過ごす事に、疑問や不平不満を持ってはないようだった。普通であれば「なんで?」「なんで?」「なんで?」の連続口撃や「ヤダ」「ヤダ」「ヤダ」と駄々をこねそうなものだが一切ない。
ここに閉じ込められた時、僕は発狂し、狂乱したというのに凄い違いだ。
しかも、今よりもずっと綺麗で臭くもなかった。
あの時閉じ込められたのが、今部屋たったら多分三倍は発狂していた。
きっとゲロを吐いていたし、うんこも漏らしていたと思う。もしかするとアルは、声だけでなく既に精神に異常をきたしている可能性すらあった。