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雨女と太陽少女

床は湿気って腐り、所々黒く変色している。自生するのに好ましい環境だからか、腐った床や壁の至る所で白いキノコが生え、黒いコケが同じように白い壁や床を覆っていた。


壁や床が黒く変色しているのは、腐っている事以上にこのコケが原因だった。


天井から垂る雨漏りが、コーンコーンとバケツを叩き、甲高い音を響かせる。


窓の外に目を移すと、白い斜線が世界を切り裂くようにして、落ちてきていた。


落ちていく時は白だったにも関わらず、地面に落ちた白は土に吞まれ、黒く変色していく。世界を切り裂く白と、白を容赦なく呑み込んでいく黒。


黒はどんな色よりも強かった。


世界を染める白と黒を眺めていると、自然と眉間に皺が寄り「はぁ」と溜息が漏れる。


雨は嫌いだ。


白だった物が、黒くドロドロな物に呑まれ続ける雨の日が嫌いだ。


「本当に、雨は嫌いだ」


白と黒の、厳密に言うなら白と灰色の傘を差した二つの影を見て、思っていた事を思ったまま口にする。


白い傘を差す人物に覚えはあったが、黒い傘を差す人物に覚えはない。分かるのは今回の面倒事が、黒い傘を持つ人物にあるという事だった。


僕は黒い絵の具を、キャンパスにぶちまけた。


キノコとコケに支配され、雨漏りの音を絶えず響かせるこの場所はアトリエであり、僕はここで毎日のように絵を描いていた。


そして絵は、完成を迎える前にいつもこうして黒く塗り潰される。


部屋に自生するコケがやたらと黒いのは、絵具の黒に染まった水を、コケが吸っているからかもしれない。


キノコが白い理由は・・・何色にも染まらない者というのは、何処の世界にだっている。例えば、今からこの扉を開ける人物のように。


「おはようジェミー。時間帯的には、こんにちはの方がいいかもしれないわね。お姉ちゃんが、遊びに来てあげたわよ」

 

ドアノブを捻らずとも、強く押すだけで開く建付け最悪の扉が蹴り開けられ、雨粒が部屋の中に入り込んでくる。


開けられた扉の奥には白い傘をさし、白いワンピースに袖を通した、白い肌と白い髪と白い目をした、氷像のような女の姿があった。


白一色の女は名はサラと言い、お姉ちゃんという言葉の通り、僕の実の姉だった。


僕はそんなサラの姿を見て、再び大きな溜息を吐いた。


「あら、大きな溜息ではなく、おはようには、おはようを返さなければ駄目よジェミー」


土で汚れた靴のまま、部屋に上がり込んできたサラは文句を口にする。白い雨に濡れ、黒い泥で足元を汚すサラは、黒に染まっていく前のようにも見えるし、白に戻っていく前のようにも見える。


一言で言うなら神秘的だった。


やっている事は何処かの強盗よろしく、粗暴極まりないにも関わらず、絵になるのだからズルい。


そう。サラはキャンパスに描かれた絵なんかよりも、ずっと絵になる女だった。


「扉を蹴破る無礼者に返す挨拶を、僕は持ち合わせてない」

「ノックをしても、ジェミーは返事をしないじゃない。それに手は傘で塞がってしまっているわ。傘を片手で差すのは、粗暴で美しくないでしょう?」


サラは断言し、小首を傾げた。


確かにサラの言う事は概ね合っている。ノックをされたところで僕は居留守を使うし、言葉の通りサラは傘を両手で持っているからだ。しかしどう考えても、傘を片手で持つよりも扉を足で蹴破る方が、粗暴で美しくないように思える。   


「紳士淑女たるもの、いかなる時も礼節を重んじるべし」


その事をサラに訴えるよう僕は、我が家にある家訓を口にした。


誰一人として守る事のできなかった家訓であるため、モテない男がバレンタイデーにそわそわするくらい無意味に響くのだが、モテない男にもソワソワする権利はあって然るべきだった。


「確かに礼節を重んじるべきだけれど、ジェミーには当てはまらないわ。ジェミーだって、ゴキブリやネズミにまで、礼節を弁えたりしないでしょう?」

「僕はゴキブリでもネズミでもないぞ」


実の弟に対してなんて事を言うんだこの姉は。


「勿論知っているわ。ただの例え話よ。気を悪くしないでジェミー。ゴキブリやネズミがいなくなってしまっては、生態系が崩れてしまうかもしれないもの。そういった意味では、ジェミーよりも必要な存在だと、きちんと認識しているもの」

「僕はゴキブリやネズミに敬意を払えとは言ってない」


というか、サラりと酷い事を言っていないか?

サラだけに。


「あぁ言えばこう言う。そういうお年頃なのかしら」

「僕に敬意を払ってくれたなら、僕だって文句は言わない」


「それはとても無理な相談だけれど、例えばレディの失言や失敗を優しく受け止める者を、人は紳士と呼ぶのよジェミー」

「全部わざとなクセに」

「例えわざとであっても、よ」


サラはパチリとウインクをした。


扉を開ける前は静かに二度ノックをしろ。これを礼節の一つとして教えてくれたのはサラであり、サラは他にも多くの礼節を僕に叩き込んでいた。サラは姉であると同時に育ての親でもあったからだ。


ノックもなしに扉を蹴破り、ドロで汚れた靴のまま部屋に押し入るような無礼者であっても、サラは淑女として完成されていた。ここが僕の住むアトリエでさえなければ、サラはノックもするし、泥も綺麗に落とすのである。  


多分。


でも、だからこそ。

「少しは僕にも、礼節を尽くすべきじゃないか?」

 と、思う。


「エッチな絵をお姉ちゃんに内緒で描いているから、隠す時間が欲しい。そう、素直に言ってくれるのであれば、お姉ちゃんだって気は遣うのだけれど、ジェミーは素直に言ってはくれないでしょう?」

「なんで僕が、エッチな絵を描いてる前提なんだよ」


「だって、お姉ちゃんが来る時は、いつもキャンバスを黒く塗り潰しているもの。今日だってそう。だからお姉ちゃんは考えました。思春期の男の子が、お姉ちゃんに見られたくないものは何なのかって。考えた結果、春画以外にあり得ないという結論が出たわ」


「全国の思春期男児に謝れ」

 あながち間違ってなさそうだったが、思春期の男代表として僕は謝罪を要求した。


「めんちゃい」


サラは首を傾け、パチリとウィンクした。

謝罪する気ゼロだった。


そして、突然のキャラ崩壊に僕は少しだけ困惑した。


サラは自称売れっ子の舞台女優らしいので、演じる役柄に応じてか、しょっちゅうキャラ変を行う。この、文字通り変わり者であるサラと付き合うのは、中々骨の折れる作業だった。


「はぁ」


なので思わず、大きな溜息が漏れ出てしまったりもする。


「それにしてもジェミー。部屋が汚いわよ。掃除はしておくようにと、口を酸っぱくして言っていたのに、守られていなくてお姉ちゃん、とても悲しいわ」


自分が部屋を汚している原因とは考えていないのか、サラはこんな事を口にする。ぐすんと手を当てるサラの瞳には涙が溢れ、本当に悲しそうな雰囲気まで漂わせていた。


サラは名女優であり、女の武器をいつでも使えるように研鑽し磨きあげていた。


僕は女を全く信用していないのだが、不信原因の10割がサラにあった。嘘、噓泣き、嘘笑い。サラの持つ武器は鋭利で多彩だった。その上嘘人格まで完備している。こんな奴を姉に持って女性不信にならない程、僕の頭はお花畑ではなかった。


何より、涙モードのサラは面倒くさいのだ。


「どうして、掃除しないの?」

「掃除した所で、どうせ汚れる」


お前が汚すからな。とは言わない。

古今東西、姉に勝てる弟などいない。数々の敗北を歴史に刻んできた僕は、小言を言っても争いになるような事は言わなかった。


僕は過去の過ちから、きちんと学習出来るのだ。


「汚れるからこそ、部屋を掃除するのよジェミー。部屋を綺麗に保つというのは、それだけ大変な事なのだから。レディの部屋は特にね」


「ここは、ボーイの部屋だ」


「そうね。男の子の部屋であれば、少しくらい汚れていてもいいとは思うけれど、これは酷過 ぎだわ。なにより、レディを部屋に招き入れる際は、部屋を綺麗にしておく事こそが大切よ。常に綺麗に保たれてさえいれば、いざという時も春画を隠すだけで事足りるもの」


「レディは、男の部屋を蹴破って入って来ない。春画を確定事項にもするな」


「あら、お姉ちゃんの事を言っている訳ではないわよ。今日のレディはこの子だもの。まさか、小さな女の子はレディとして扱わないとか、そんな酷い事をジェミーは言うのかしら?だとしたら、悲しいわ」


「・・・」

サラにスポットライトが当たり過ぎていたせいで、すっかり忘れてしまっていたのだが、サラが両手で示した場所には、小さな女の子らしき人物が立っていた。


小さな女の子は、サラと同じように真っ黒な土で床を汚しながら近付いてくる。こちらもサラと同じように、部屋の中でも傘を差したままであるため、顔は隠されていて見えない。


ぽたぽたと天井から滴る雨漏りの水が、傘に当たっては弾かれた。


欠陥住宅であるアトリエは、部屋の中で

あっても雨が降る為、女の子らしき人物が傘を閉じる気配はなかった。雨が降っているので傘を閉じないのは仕方ないとしてせめて、傘を少しだけずらして、顔を少しだけ上てみて欲しい。


顔が見えない事に僕は少しだけ不安を感じていた。去年のハロウィンだったかに、僕はこの糞姉に死ぬ程驚かされた経験があるからだ。シュチュエーションも確かこんな感じだった。


怖い。


顔に出すことなく後退りビビッていると、メキュッと腐った木の折れる音が響き、小さなシルエットが斜めに沈んだ。体が沈むと同時に灰色の傘が打ちあがり、傘に隠れていた少女の灰色の瞳と目が合った。


「危ない」


空いた手で天を掴もうとする少女の手を掴み、落ちていく少女を僕は救出する。少女の体はとても軽く、少し力を入れただけで綿帽子のようにふわりと浮き上がった。


長い灰色の髪と傘が舞う中、僕は少女の体を抱きとめた。


世界は大雨で、部屋は湿気り散らかしているというのに、少女からは太陽の匂いがした。


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