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2. 鉢合わせ

鈴の音を頼りに走り続けるといつの間にか木立を抜けた。

黒猫はこの辺り一体を知り尽くしているかのように迷いなく走り続けている。

市街地への道を外れ、いつの間にか裏山のような小高い山の目の前まで来ていた。


あまり舗装されていない石畳の階段が山の奥へと続いている。


その石段の一段目に黒猫はいた。

僕を待っていたかのように一瞥した後に、ニャーゴと一鳴きして石段を登っていく。

赤や黄色に染まる木々には目もくれていないようだった。


石段の途中には寂れた朱色の鳥居が一つあった。

こんなところに神社があったんだなと不思議に思いながらも、久しぶりにこんなに走ったからか、幾らかの爽快感を感じていた。いつのまに紅葉していたのかと、季節の進む早さに驚かされる。


石段を登り切った先は閑散としていた。木々が生い茂り、落ち葉が足元に敷き詰められている。猫はもちろん、山奥には鹿や猪がいてもおかしくないような雰囲気を山全体が醸し出していた。


智は走るのをやめ、極力音を立てないように慎重に進むことにした。智が走るのをやめたとわかると黒猫も優雅に歩き始めた。小気味よいリズムでカランカランと鈴が鳴る。


「こんな場所、しばらく人が訪れないんじゃ……」


黒猫に続いて恐る恐る進んでいくと、そこには犬、いや……獅子と狛犬の像がいた。

つい先日の古典の授業で扱った徒然草に”背向かい”の獅子と狛犬の話があったなと思い出す。


この話は、”背向かい”に置かれた獅子・狛犬が普通とは違う配置に気づいた上人が感慨深く思い、連れてきた人々にその発見を上機嫌で伝える。人々はいい土産話になりそうだと思った矢先、上人がその配置が神社に深い由縁があるのかなと、さらに事情を知ろうとする。一番物を知っていそうな神官に嬉しそうに訊ねたところ、その配置はただの子供のイタズラだと知らされ、上人の心を踏み躙られたというものだった。


結果として上人は気落ちし、連れてきた人々はあれ程感銘を受けていた上人がいたたまれなくなってしまう。

もう少し神官が思いやりのある人だったらなと思ったりもしたものだ。

そんな過去があったかもしれない獅子・狛犬を抜けると神社らしきものが見えてきた。


木々の隙間から漏れる光が所々で道筋を作り、幻想的な雰囲気を作っている。

猫は本殿らしきところまで行くとピョンと軒下に跳び乗った。猫の優雅な行動が景色に溶け込む。智も猫の隣へ向かおうとすると、この場にいるのが自分たちだけではないことがわかった。


艷やかな板目の床には他にも白や黒などの猫が所々寝そべり、その中で少女がいることに……。


学校帰りなのか、黒のタイツとブレザー、対象的な白のリボン。肩まで伸び切った黒髪のおさげ。リュックを枕がわりにして軒下ですやすやと昼寝をしているみたいだった。


黒猫は咥えていた智の家の鍵をその少女の顔の上に落とした。


チリンという音と共に、ぼふっと何かが柔らかいものにぶつかる音がした。


少女はむにゃむにゃと何かを言いながら目を開ける。

そして目の前にいる智と目を合わせると、あの動きは一瞬にして固まった。

少女は無言のまま、智から視線を外さない。立ったままの状態だと少女を上から覗き込むような体勢になってしまうし、走ってきた疲れも感じていたので、少女から少し距離を取った場所に腰を下ろす。


「あのー。その鍵を返してもらってもいい?」


「…………」


女の子は微動だにしない。


「あのー。聞こえてる?」


「その制服、岡下高校の人?」


「そうだけど」


「あ、鍵だっけ。これ?」


「うん。それ」


はい、どうぞ。と鍵を渡してくれたので、ありがとうといってありがたく受け取る。


「……。ここの猫はみんな、君の猫?」


やっと起き上がる気になったのか、少女は上半身を起こして周りの猫を見回す。


「違うよ。みんな自由な子」


猫の種類に詳しくはないけれど、黒猫の他に、白っぽい猫、三毛猫、しまぶち猫、いろんな色の猫が合わせて10匹ほどいた。


「そうなんだ。やけに猫に懐かれてるね」


「まあね。私の父さんが獣医をやってるの。最近この辺りで猫が増えてきているから、私はこの子たちの管理というか、世話を任されてるの」


「すごいね。ちなみに黒猫に鍵を取られたからここに来たんだけど、君の指示だったりする?」


「まさか」


そういって少女はおかしそうに笑う。


「この子たちは私のいうことを素直に聞いてくれないよ。野良猫ってそういうものだし、私もずっとこの子たちに構ってるわけじゃないし」


「じゃあ普段は何をしているの?」


少女は奥の畳の部屋へ視線を促す。

そこには机と、いくつかの教科書や参考書、ノートが広げたままの状態で置かれていた。


「ここで勉強しているの?」


「そう。ここの方が静かで集中しやすいからね。それより、岡高生さんはこんなところで何をしているの? この辺りじゃ一番の進学校で、文武両道として部活動の成績も優秀って聞くから、てっきりずっと勉強していたり部活に打ち込んでいるのかと思っていたけど」


「みんながみんな、そういうわけじゃないんだよ」


「そうなんだ、その割にはなんか表情が少し険しくなったような気がするよ」


そう言って少女は智を覗き込むように言った。


「わかるの?」


「なんとなくね」


「……。部活動をズル休みした」


それを聞いた少女は驚いたような顔をしたが、すぐに安心したような表情をしている。


「なんか安心してる?」


「ちょっぴりね」


怪訝そうな顔をする智に対して、弁明するかのように少女は言葉を続ける。


「あの岡高生さんでもズル休みするんだなって。部活動も勉強も将来に直接繋がるわけじゃないのに、いつまで真剣にやらないといけないんだろうなって。獣医の勉強ができるなら、私だって真剣にやるよ。でもそうじゃないし。だから学校が終わってから部活動も勉強もしていない岡高生さんをみて安心してる」


その言葉だけを聞くと少し馬鹿にされているように聞こえなくもなかったが、少女は純真にそう言っているようだった。


「まあ、色々あるんだよ」


「そうみたいだね。でも、色々ある人の方が魅力的だと思うの」


少女は穏やかな声で言った。


市街地の方から五時を知らせるチャイムが鳴る。最近は日が暮れるのが早い。冬が近いと言うことなのだろう。

鍵を取り戻せたことで、安心してこうしてお話をしていたが、いつの間にか1時間以上経っていたらしい。

彼女は積み上げてあった問題集や参考書を片付け始める。


「猫を見ていると癒されるでしょ」


少女はそう言って笑う。


今日はいつもより充実していた気がする。立ち上がると数匹の猫が寄ってきた。その中にあの黒猫はいなかったが、やつは遠くから視線だけをこちらに向けていた。猫たちの頭を撫でようとすると、猫たちは快く受け入れてくれた。


智が神社を出ようと歩き始めると、いつの間にか片付けを終えた少女がすっと智を追い越した。


「君はいつもこの場所に来てるの?」

少女は立ち止まり、少し考え込むような仕草をして、答えた。

「また、来てみれば分かるよ。」


そう言って破顔一笑すると、走って外の世界へ飛び出していく。

高度を下げた太陽が空を覆っていた小なりの雲を紅く染め上げる。風のない穏やかな夕暮れだった。


周りが何かに取り憑かれたように急いでいたので、自分も取り残されないように必死だったあの時と、過ごしている時間帯は一緒なはずなのに体感が違った。単にいつもと違う行動をしているだけなのかもしれないが、なんだか一日の時間が長く感じた。


一体いつから、彼女はここに来ていたのだろうと気にはなったが、今更する話ではなかった。

少女の背中が見えなくなるまで見送った智も帰路の途についた。

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