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1. きっかけ

「吹奏楽部、やめようかな」


浅倉(とも)はふとそう思った。


高校一年生の体育祭、そして文化祭が立て続けに終わり、智は気づいてしまった。青春というものが想像していたほど長くないことに。

残り2.5年もない。そんな青春を部活一色に染めていいのだろうかと。


「学校行事で部活がなかったからって、のんびりしてるとソッコーでタイム抜かすかんな!! なにせ体育祭から俺のモテ期来てっからよー。今日こそは自己新記録出そうな気がするわ」


「久しぶりの部活だからって調子に乗ってると痛い目見るぞ。てか俺、お前のモテ期が来週には終わりを告げるの見えたわー。 それで北風が吹き荒れる中、ひたむきに部活に打ち込むお前が……」


「ちょっ、お前の心が嫉妬で吹き荒れてんのかよ。ちょいと真実味の帯びた未来の話すんのだけはやめてくれる? 当たりそうで怖えから」


靴紐を結び直しながら、仲良さそうにグラウンドへ駆け出す陸上部員の楽しそうな会話が聞こえた。


秋特有の少し肌寒く、乾ききった風が、昇降口を出たばかりの智の心にびゅっと鋭く吹き込む。誰彼構わず吹き荒れる風が、智には特に冷たく当たるように感じた。

軽く身震いをし、先ほどまでの考え事は強制的に中断させられた。


「さむっ。早く音楽室に向かお」


風はじっと留まるものを許さないかのごとく冷気を放つ。

空は明るく晴れていたが、数々の小なりの雲がどこまでも広がる碧天を所々覆っていた。


音楽室に近づくにつれて、トランペットの甲高い音色が聞こえてくる。今日は空気が冷えているからか、その音色は嫌にまっすぐ智に届く。


”まだ全体練習開始の20分前なのに、もう自主練習しているんだな。”


智は暖を求めて動かしていた足をふと止めた。

僕にはその熱意があるのだろうか。

今の僕に土日を返上してまで練習する忙しさを乗り越えることが果たしてできるのだろうか。


智がそう思い始めたのは、夏のコンクールを終えた頃からだった。

JPOPが好きだった智は軽音部に入りたかったが、智の入学した高校には軽音部がなかった。じゃあオーケストラ部。それもなかった。

だから吹奏楽部に入った。


ドもレ(吹奏楽でいうところのツェー、デー)も分からなかった智は、必死に練習していたし、土日を返上してまで練習する忙しさを苦だと思ったことはなかった。

むしろ、吹けることが増えていき、楽しかったはずだった。


夏のコンクールが近づくについて、練習は長くなり、指導は厳しくなっていった。智は必死だったし、部員も一丸となって必死に練習した。


コンクールでダメ金、つまり次の大会に進めない金賞をもらったとき、何かがわからなくなった。

そんな気がしている。



「今日くらい、休んじゃおうかな」


コンクールが終わり、体育祭、文化祭の演奏に向けた練習の日々の中でも、休もうかな、なんて思ったりはしなかった。

だからこれは一瞬の気の迷い、なのかもしれない。


智はまっすぐ校門を目指すことにした。

真っ直ぐ校門を目指していることが何か重大な犯罪を犯しているようでどこか落ち着かなかった。誰かに見られてはいけないと思うと、自然と足取りは早くなる。


ちょうどそこに下校する生徒の群れの一つが来ていたので紛れ込む。

部活に所属していない生徒は全校生徒の中で三割ほどいるみたいだった。部活がないながらも、友人たちと楽しげに帰宅やらゲームセンターやら、塾やら各々目的の場所への途についていた。


部活に打ち込む生徒は汗水垂らして切磋琢磨しているのに、ここはなんて穏やかで楽しそうな空気に包まれているんだろう。


向かい風のせいかもしれないが、校門までの時間が普段より長く感じる。


越えてはならない一線、今でそこを通り過ぎることへの戸惑いも躊躇もあった。


「今日はもう決めたんだ」


決意を固めて門から一歩踏み出すと、途端に解放感がじわりじわりと心を満たし始める。あれほど吹き荒れていたはずの風はいつの間にか止んでいる。


しかし心の芯は相変わらずどこか、モヤモヤしていた。

 


校舎は丘の頂上に位置しており、南北に向かって大きな道路が存在し、登校や下校の時間には多くの生徒が、ありの群れのように列をなしている。南に向かう道を下っていった先には市街地があり、ちょうど東に位置する方角に裏山のような小高い山があった。ちょうど10月も下旬にさしかかり、色とりどりな葉を着飾った美しい様子であった。


「いつもより空が綺麗な気がする」


いつも夕方遅くまで練習していたからか、久しぶりの青い空の下は解放感があった。


特に予定はないから、アイスでも食べに行こうかな。

そう思って市街地へ向かう道を降り始めた。

せっかくなら大通りではなく、小道を歩いていこうと思い、脇道に逸れる。


少し行くとそこには小さな公園があった。

草木が生い茂っており、人々から忘れ去られた公園なのだろう。遊具はさび付いて動きそうもない。


公園の向こう側を覗き込むと、建物2階分くらいに相当する下り階段があるだけだった。遠くの市街地を望む最高の眺望がそこにはあった。


毎朝、上り坂を登校する苦労の報酬と言ってもいいくらいの景色だった。

立ち並ぶビル群が見え、反射する太陽が少し眩しい。

きっと向こうでは行き交う人々や車で忙しないのだろうなと思った。


しばらくその場で佇んでいると後ろの木々で何かが動くような音が聞こえた気がした。


智が振り向いた瞬間に何か黒い物体が木陰から飛び出してきた。

そして目の前で飛び上がり、智の鼻をかするかのようにその黒い物体が飛び越えていく。もの凄い跳躍力だった。

鼻腔には菜の花のいい匂いが広がった。


智は驚いて尻餅をついた。


チリリン


尻餅をついた拍子に、鞄から家の鍵が飛び出てしまったらしい。

鈴とトランペットのキーホルダーがついている鍵が智の右側、手を伸ばせば届く範囲に落ちている。

首を後ろに傾けると上下逆さまに見える世界の中で黒猫がいた。


首を起こして、ひとまず鍵に手を伸ばす。


黒い物体もとい黒猫は再び智に向かって走り出したかと思えば、智に触れるすんでのところで鍵を口に咥えた。


今度は智に振り向くこともなく、来た道とも、下り階段とも違う別の草が生い茂る道を駆けていく。


チリリン。チリリン。


軽快な鈴の音だけが、静かな公園に響き渡る。

途端に木々が騒ぎ、やんでいた風がまた吹き始めた。


智は体を起こして立ち上がる。

そして学校鞄を持ち上げて、猫が駆けていった方向を見る。


アイスを食べにいくよりも大事な予定ができてしまった。

智は鈴の音を頼りに、今はもう姿が見えない黒猫を追いかけることにした。

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