初恋の人
よく初恋は実らないというけど、本当だろうか。どれくらいの割合なのかすぐ調べられそうだけど、まぁいいやと思う。だって、私の初恋が実ることは絶対にないのだから。
私の初恋は、小学4年生の時だ。友人と学校帰りに遊んでいると池に落ちてしまい、怖くて逃げだした友人に置いて行かれ、何とか陸に上った私は一人、トボトボとびしょ濡れの体で歩いていた。帰り道はどこか暗く、人通りも少ない。雰囲気にのまれてか、だんだん心細くなり、目の前が涙でにじみ、ついには泣きながら蹲ってしまう。そこへ声をかけてくれたのが、お姉ちゃんだった。
「どうしたの?」
優しい声に顔を上げると、学生服のお姉さんがいた。近くの中学校の制服だし、どこかで見かけたことがあるので同じ町内に住んでいたと思う。
「君、○○さんのとこの子だよね?」
「うん」
「どうしたの、びしょぬれだけど」
「池に落ちた」
「ええ、大丈夫!?」
お姉ちゃんは心配して、泥で汚れた私の顔をハンカチできれいに拭いてくれる。
「おうちまで送ってあげるよ」
「うん」
意気消沈していた私は、お姉ちゃんの手を握り、帰路に着く。色々話したと思うけど、あまり覚えていない。ただ、お姉ちゃんの手は冷たくて、それがどこか気持ちよく。
「もうちょっとだね」
家が見えてきた。お姉ちゃんは名残惜しそうに私の頭をなでて。
「もう池で遊んじゃだめだよ?」
「でも、あいつがあそこで遊ぼうって」
あいつとは、逃げ出した友人のことだ。
「嫌だって言わなきゃ。死んでたかもしれないんだよ」
「……ごめんなさい」
優しかったお姉ちゃんは打って変わってまじめな表情でそう言うと。
「よし!」
笑顔でまた私の頭をなでてくれる。私は頬が赤くなるのを感じ。
「や、やめろよ!」
「ふふ、恥ずかしがってやんの」
「ね、姉ちゃんこそ早く帰れよ! 家近くなんだろ!?」
「うん、近く」
お姉ちゃんはすっと私の手を離れ。
「じゃあ、またね」
「あ……うん」
「ほら、見送ってあげるから」
「なんで家の前まで来ないの?」
「なんでだろうね?」
微笑みながら、お姉ちゃんは私に家に帰るよう促す。私は途中振り返り、お姉ちゃんが変わらず笑いながら手を振っていることを何度も、何度も確認し、やがて……
「ばいばい」
お姉ちゃんの声が聞こえ、玄関のドアを握った直後。
「おい、おい!」
私はびしょぬれで、草むらに横たわっていた。
「大丈夫か!?」
「あ……れ……?」
私をのぞき込んでいるのは、知らない大人と、逃げ出した友人。周りを見渡すと、救急車も見える。意識がもうろうとしたまま、私は救急車に乗せられ……
「君は池でおぼれたんだよ。友達が助けを呼んでくれたからよかったけど、もう少し遅かったら危なかった」
救急隊員の説明を聞いてもいまいちしっくりこない。だって、私はお姉ちゃんと一緒に帰ったのに。病院につくといろいろ検査をし、私は異常なしと診断され、夜には家に帰る。両親にはひどく怒られたけど、最後には生きててよかったと抱きしめてくれた。でも、結局お姉ちゃんについて聞けずじまいだったため、翌朝。
「お姉ちゃんは?」
朝食の準備をする母に尋ねる。
「お姉ちゃん? あんたは一人っ子でしょ」
「違う、僕と一緒に帰ったお姉ちゃん」
「何寝ぼけてんのあんた」
私は母にあの時のことを話す。お姉ちゃんのことを。お姉ちゃんの髪形や服装、背丈や顔立ち。
「……それって、××さんのとこの?」
「わかんないけど、たぶんこの辺に住んでると思う。近くって言ってたから」
母はスマホで何かの記事を見せてくれる。
「この子じゃない?」
「あ、うん。お姉ちゃんだ」
そこにはあのお姉ちゃんの顔写真があった。
「……お姉ちゃんが助けてくれたんだ?」
「うん。手をつないで、帰ってくれたよ」
「そっか……じゃあ、これからお礼しにいかないとね」
「うん!」
またお姉ちゃんに会える。そう思い、朝食を食べるとすぐに私と母はお姉ちゃんの家に向かう。
「すみません、こんな早くから」
「いえ……どうしましたか」
お姉ちゃんのお母さんだろうか。ひどくやつれている。
「この子、昨日あの池で溺れたんです」
「あの池って……そうですか。ご無事で何よりです」
「あ、違うんです。そういう意味ではなくて」
母は動揺し、何か言いつくろっている。やがて私が会ったお姉ちゃんのことを話始めると、お姉ちゃんのお母さんは泣き崩れてしまう。
「だ、大丈夫なの?」
母は何も言わず私の頭をなでる。やがて。
「中にどうぞ」
お姉ちゃんのお母さんは私たちを家の中に入れてくれる。そして……
「線香を、あげてやってください」
私たちが案内されたのは、仏間。そこには、お姉ちゃんの写真と、線香や友人からの寄せ書きなどが飾ってあった。
「え……?」
私は驚き、動揺する。
「お姉ちゃんはね、先週あの池で溺れて亡くなってるのよ」
「……で、でも僕は昨日一緒に帰ったよ」
「嘘ついてるなんて思わないよ。きっと、お姉ちゃんが助けてくれたんだよ」
正直、この時は理解ができなかった。とりあえず言われるがままに線香をあげ、手を合わせ、家に帰った。そして、少しずつ理解し始めた。私はきっと、あの池で溺れた時に臨死体験のようなものを経験したのだと。ほぼ面識のなかったお姉ちゃんが現れたのは説明がつかないけど……そこは母の言う通り、同じ池でまた事故が起きないように、助けてくれたんだと思いたい。そして、時は流れ……
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「ありがとうございました」
大人になった今も、私はお姉ちゃんの墓前に線香を上げに来ていた。隣には小学4年生になる息子。
「誰のお墓?」
息子の問いに、こう答える。
「パパの命の恩人で……初恋の人だよ」
完