世界最強レベルの大魔導士、行き倒れの剣士を助けたら200年間共に生きる羽目になる
深い森の中、一人の男が倒れていた。
屈強な体つきに乱れた黒い短髪、虚ろに空を見る深い緑の眼。
その男――グラッドは、自らがもうすぐ死ぬと理解していた。
「……っ」
目的は果たした。倒すべき魔物を倒し、手に入れるべき物は手に入れた。だが、激闘によって負った深手は、彼の命を確実に蝕んでいた。
こうなる事を予期していなかった訳ではない。剣を振るい、魔物を狩る日々の果てに無残な死が待つのは、ある意味では当然の結末だった。
だが。
目的を果たせぬままに死ぬのは、嫌だ。
ここで自分が死んでしまったら、何の為にこれまで闘い続けてきたのか。あともう一歩というところで、無念のままにここで朽ち果てるのか。
「…………っ!」
嫌だ。
それだけは嫌だ。
神でも悪魔でもいい。誰か、誰か俺を助けてくれ――
その想いが、果たして天に通じたのか。
「――助けて欲しいかい?」
声が、した。
グラッドは歯を食いしばり、倒れ伏したままに顔だけを上げる。
そこにいたのは、魔物がはびこる危険な森の奥深くにいるには不自然な、軽装の少女。
「助けて欲しいのかい?」
銀の長髪を揺らしてこちらを覗き込みながら、少女はもう一度問うた。
「……ああ」
薄紫の瞳を、焦点の合わない目で見つめ返し、グラッドは声を上げた。ちゃんと発声できているかは分からなかったが、彼は助けを求めた。
少女は満足げに頷くと、
「一日につき10万ドレンでキミの命に加護を与えよう。払えるかい? 資金が尽きるまでは、何があろうとキミを死なせはしない」
にやりと笑い、手にした豪奢な装飾の杖を揺らした。
どうやら、俺の願いを聞き入れたのは悪魔の類らしい――グラッドは胸中で毒づいた。
しかし、迷っている暇はない。
掴める藁なら、例え地獄に落ちようとも掴んでやる。
「……手持ちの金はない。だが、俺の全財産をくれてやる。足りなければ俺の魂でも何でも持っていけ」
少女は口の端を吊り上げ、杖を両手に持った。
「いいね。なら、契約成立だ。キミの名前は?」
「……グラッド」
「グラッド。ではキミに今から、加護を与える。この瞬間より、キミの資金が尽きるまで、ボクが全力で守り続けよう――」
かしゃん、かしゃんと杖が無機質な音を立てる。
音が響くごとに、グラッドの身体に微かな光が灯っていく。
心なしか、傷の痛みが和らいでいる気がする。失っていた手足の感覚も戻ってきた。
「どうかな? もう立てると思うけど」
言われるままに、グラッドは立ち上がった。一瞬前まで死にかけていたとは思えないほど、体力も気力も充実している。
グラッドは、自分より二回り以上小柄な少女に、深々と頭を下げた。
「……本当に感謝する。さぞかし、名のある魔導士とお見受けするが」
すると少女は、その小さな胸を張って、杖を見せつけるように揺らした。
「随分と価値の高そうな杖だ。やはり、高名な魔導士なのだな」
「いや、そうじゃなくて! これ! これを見て!」
杖の先端に取り付けられている、天秤を模した飾りを指差しながら、少女は不満そうに叫ぶ。
「うむ。素晴らしく精巧な作りだ。さすがは名うての魔導士――」
「だから! この杖を見れば分かるだろ! キミを助けたのは『十二宮』の一人だよ!」
十二宮――それは、この世において最高の魔術師十二人からなる組織を差す。黄道に輝く十二の星座を模した杖を持つ彼等は、魔術師達の最高権威として魔術の世界に君臨していた。
が。
「じゅうにきゅう……十二の後に九が続くのか? 合わせて二十一だな」
素っ頓狂な発言に、少女は耳を疑った。
「ちょっと待って……まさかキミ、十二宮を知らないのか!? 子供だって知ってるぞ! ボクは十二宮の『天秤』、ヘティス・ブラヴァツキーだよ!」
「すまない。ずっと一人で暮らしてきたので、最近の流行には疎いのだ」
「二千年前から存在してる組織だよ!!」
ひとしきり叫んで、ヘティスは深く息を吐いた。
「……まあいいや。まさか十二宮を知らないとは思わなかったけど――つまり、キミが契約した相手は、世界でもトップレベルの大魔導士って訳さ。だから何があろうと、交わした契約からは逃げられない。どう、怖気づいたかい?」
「……いや、二言は無い。目的さえ遂げられるなら、その後はどうなろうとも構わないさ」
グラッドの答えに、ヘティスはにやりと笑う。
男は見るからにみすぼらしい風体をしていた。恐らく家に帰っても、ろくな財産は蓄えていないだろう。にも関わらずヘティスが彼を助けたのは、その若く健康的な肉体を欲したからだった。
「金が足りなかったら、遠慮なく頂いていく。その肉体も、魂もね。久々に良質の素材が手に入りそうで嬉しいよ」
くくく、と笑うと、ヘティスはグラッドに訊ねた。
「で、キミの目的って何だい? あまり時間がかかる事だと、達成する前にタイムオーバーになる可能性があるからね。それとも先に家に帰って、財産の査定を済ませようか? そうすれば、あと何日生きてられるか正確に分かるけど」
「目的を果たす為には、まず家に帰らねばならない」
「そりゃ好都合だ。ボクもさっさと査定をしたいからね。家はどこ?」
「アイトールの外れだ」
グラッドの回答に、ヘティスは大仰に驚いた。
「ここからだと徒歩で三か月はかかるじゃないか!」
「……まあ、そうだな。俺が最後に家を出たのは、確か半年前だった」
ぼさぼさ頭をかきながら頷くグラッド。ヘティスは彼に半眼を向けると、
「分かった。魔術で送ってあげるよ。全財産を頂く契約だ。その金額を確認するのは、ボクの義務でもあるから」
そう申し出た。
「すまない。助かる」
「でも、この送迎代は別途請求させてもらうからね。アイトールだとかなりの距離があるから、20万ドレンは頂くよ。もちろん、足りなければ君の肉体か魂で払ってもらう」
グラッドは首肯した。
「……よし。じゃあボクの手を握ってくれ。目を閉じて、自分の家を思い描くんだ。できるだけはっきりとイメージして」
そしてヘティスは、杖をかしゃんと鳴らした。
まばゆい光に包まれ、やがてその場から、二人の姿はかき消えた。
「――ここで合ってるかい?」
グラッドが目を開くと、確かにそこは彼の自宅前だった。
「……ああ。確かに俺の家だ。さすがは大魔導士だな。まさか一瞬で家に帰れるとは」
ヘティスは「ふふん」と得意そうに笑うと、
「で、キミの全財産はこの家って事でいいんだね?」
「ああ。この家と、隣の倉庫の中にある物だけが俺の財産だ」
レンガ造りの平屋はそこそこに広そうだったが、それでも倉庫を含め、所詮は庶民の住まいといった見た目だった。予想通り、中の家財も大した価値は無いだろう。
「じゃあ、ボクは査定に入るから」
そう言うと、ヘティスは杖を地面に突き刺し、近くの切り株に座り込んだ。
「中に入らないのか?」
疑問の声を上げるグラッドに、ヘティスは笑って答える。
「範囲さえ指定できれば、これで自動検索できるのさ。家財道具を一つ一つ査定するなんて面倒臭いからね。ボクはここにいるから、そっちはご自由にどうぞ。あ、一応言っておくけど、逃げようとしても無駄だからね。契約が履行されてる間は、キミとボクは一蓮托生。せいぜい50ヤードぐらいしか離れられない」
「……では、俺は目的を果たしてくる。何かあったら言ってくれ」
「うん。頑張ってねー」
ひらひらと手を振り、倉庫へ入っていくグラッドを見送る。
杖に取り付けられた天秤は、かしゃん、かしゃんとせわしなく上下に振れては止まりを繰り返している。査定の魔術は、問題なく発動しているようだ。
「さてさて。一体いくらになるのかな? もしかしたら、今夜を待たずに絶命するかもね」
悪戯っぽい調子で物騒な事を言う。
ヘティスは地面に寝転ぶと、切り株に頭を乗せた。
「あんな長距離の転移魔術、久々に使ったよ。ああ、疲れた……」
そんな呟きを漏らすと、少女の口からはやがて、穏やかな寝息が漏れ始めた。
「……はっ!」
身体を起こしたヘティスは、口元に垂れたよだれを拭いつつ立ち上がった。日の傾きを見るに、三刻は眠っていたようだ。
杖に目を向けると、天秤は既に動きを止めていた。査定は完了しているらしい。
「どれどれ、査定額は……っと」
杖の上部には、青い文字で査定額が浮き出ている。
その数字を見たヘティスは、
「な、ななななな――」
天にも届かん大声で、叫んだ。
「何これえええええっっ!!!!」
突然の絶叫に、家の中からグラッドが飛び出してくる。
「どうした、何かあったのか?」
「何かあったのかじゃないよ! あったよとんでもない事が! え、壊れたの? 魔術の演算回路にバグでも生じた!? いやでも、この二百年で一度もエラーは出なかったのに――」
慌てふためく大魔導士に、グラッドは声をかける。
「落ち着け。一体どうしたんだ?」
ヘティスは口をあうあうと動かしながら、杖の上部に指先を向けた。
そこには『査定結果:73億640万ドレン 契約期間:200年64日』と表示されていた。
「……何だ、この金額は」
眉をひそめるグラッドに、ヘティスはぶんぶんと首を縦に振った。
「だよね! だよね! 73億って、もう街一つ買えちゃう金額だよ!? このちっこい家にそんな金があるはずないよね!?」
「ああ。価値のある宝など、ここにはない。何かの間違いだろう」
「う、うん。……でも一応、家の中を見せてもらえるかな? このままだとボク、キミと200年間一緒にいなきゃいけなくなるから」
この魔術は、一度発動したら契約期間を終えるまで絶対に解除できない。そうしたら200年の間、この男に加護を与え続ける羽目になる。
冷や汗を垂らしながら、ヘティスはグラッドの後に続いて家に入った。
家の中は、外観からは想像も付かない、目を見張るような瀟洒な空間だった。
恐らく全て手塗りだろう、味わい深い漆喰の壁。暖炉や棚は一流の宿もかくやの重厚な設え。テーブルや椅子、絨毯から時計に至るまで、素人でもこだわりが分かるハイセンス且つ調和が取れたインテリアの数々。
「どうだ、なかなか悪くないだろう」
グラッドの言葉にも、誇らしさが滲んでいる。
しかしヘティスの目は、この絵画のような部屋の一点、天井から下げられた灯りに釘付けになっていた。
「あ、ああああ、あれって……」
吊られた灯りは、普通のランプとは違っていた。ステンドグラスを配する凝った作りのシェードに入れられ、真っ赤に燃えながら、どくんどくんと脈打つ――それは、心臓だった。
「ああ。売り物のステンドグラスだと思うような色合いが無くてな。ガラスから自分で作った俺の自信作だ」
「じゃなくて! 中に入ってる方!!」
「なるほどそっちか。明るいし、熱も発するから部屋も暖かくなる。便利だろう?」
「これ、炎皇竜の心臓じゃないか!? どうしてこれがこんなところにあるのさ!?」
「灯りが欲しくてな。狩りに行って、どうにか手に入れた。なかなか手間だったが」
「はぁ!? 竜種の中でも上位だよ! まさか一人で討伐したって言うんじゃないよね!?」
「一人で狩れたが」
信じられなかった。しかし、現にその心臓は、この辺鄙な場所でランプとして使われている。こんな出鱈目な用途が許されているという事実が、彼の言葉が真実だという何よりの証拠だった。
「永遠に燃え続けるという炎皇竜の心臓が、まさかランプ代わりにされる日が来るなんて……」
余りの衝撃に、意識が遠のきそうになりながら呻くヘティスに、グラッドは少し残念そうな調子で話を続ける。
「しかし、一つだけ困った事がある。あの炎、点きっ放しで消せないんだ。寝る時に不便でな」
「そりゃ永遠に燃え続けるからね!」
「そこで――」
グラッドは、骨組みに闇色の布を張り巡らせた、小さなドーム状の物を取り出した。
「――これが必要だった」
器用な手付きで、ランプシェードの周りを覆っていく。煌々と燃える心臓が覆い隠されると、部屋は完全に暗くなった。
「……え? それ、その素材――」
「ああ。確か、冥刻鳥とかいう魔物の羽根で編んだ布だ。倒して素材を手に入れたはいいが、かなりの深手を負ってしまってな。お前が助けてくれなければ、目的は果たせないところだった」
「いやちょっと待って。突っ込みどころが多過ぎてパニック起こしそうなんだけど」
頭を抱えながら、ヘティスは絞り出すような声で言った。
「とりあえず最初に確認させて。キミの目的って、その灯りに覆いをかける事だったの? それで、死にかけてたの?」
「ああ。これでようやく、理想の家が完成した。もう、思い残す事はない」
晴れやかな表情で、グラッドはそう一人ごちた。
ヘティスは眩暈を起こしそうだった。
部屋を見回すと、置かれている家具はどれも、魔物の素材を材料として作られているようだった。
「これ、全部……キミが作ったの?」
「ああ。魔物の素材で家具や小物を作るのが、俺の唯一の趣味だ」
「……もしかして他にも、素材ある?」
「いつか使おうと思っていた素材が、倉庫に山程」
ヘティスは、床にばたんと倒れた。
「どうした!?」
慌ててグラッドが駆け寄り、その身体を抱え起こす。
「はは……ははは……」
空虚な笑みを漏らしながら、ヘティスは絶望していた。
炎皇竜の心臓だけで、その価値は一千万ドレンを下らない。同様の素材が倉庫にごまんと眠っているのなら、73億という査定額も間違いではないだろう。
つまり。
グラッドはただその価値を知らなかっただけで、実は宝の山と共に暮らしていたという事だ。
そして迂闊にもその全財産を受け取る契約を交わしてしまった以上、自分はその価値に釣り合うだけの時間、彼を守り続けなければならない。
――期間、200年と64日。
「クーリングオフの術式、魔術に仕込でおくんだったぁぁあ!!」
ヘティスは泣きながら、自分に向けて叫んだ。
「――という訳で……200年間、ボクはキミと共に過ごし、キミに加護を与え続けなくちゃいけないんだよ……」
ヘルリザードの皮が張られた安楽椅子に座り、ヘティスはグラッドにそう説明した。
「……今からでも、契約の破棄はできないのか?」
グラッドが言うも、彼女は首を横に振る。
「十二宮の大魔導士達は、その強大な魔力と引き換えに、それぞれ異なる『誓約』に縛られている。ボクの場合は『公平』――契約を交わした瞬間から、その内容が達成されるまでは、例え術者であっても破棄はできない。つまり、どちらかが一方的に得をするような取引はできないという訳さ」
「どうして、そんな使い勝手の悪い魔術を使ったのだ」
「キミ以外は全員、三日と経たずに資金が尽きてたの!」
顔を真っ赤にして怒鳴り散らすヘティス。
そう、このみすぼらしい剣士が宝の山を――しかも無自覚に――抱えているなど、どうして予想ができよう。
「はあ……まあとりあえず、倉庫に案内してくれるかな。一応もうここはボクの家になったからさ。何があるか確認しておきたい」
「分かった。こっちだ」
グラッドの後について、ヘティスはとぼとぼと歩を進めた。
「ここだ」
木造りの簡素なドアを開けたグラッドに続いて、中に入ったヘティスは息を呑んだ。
「マジか……!」
20ヤード四方程度の部屋には、天井を埋め尽くすまでに魔物の素材が積まれていた。部屋の中央を除いては。
中心に備え付けられた大きな作業台には、よく手入れされた工具やミシン、ネジ・釘・蝶番に糸・待ち針等々加工用の道具類が備えられている。
勿論ヘティスの目に映っているのは、前者である。
「これって太陽虫の殻!? こっちは奇岩兵の鱗じゃん! え、氷雪獣の目玉まである! こ、これ全部一人で集めたのかい!?」
本気で討伐しようとしたら、普通は軍を動かさざるを得ないと言われる、凶悪な魔物の数々――それをたった一人で討つなど、到底信じられる話ではなかった。
「まあ、相応に苦労したがな」
「いや、苦労した程度で済む話じゃないでしょ……これだけあれば、魔術の研究も加速度的に進められるよ……」
その時、ヘティスは閃いた。
契約が履行されている間、彼女はグラッドから離れられない。しかしそれは、逆もまた然りという事。
どうにか彼をだまくらかし――否、説得して、こちらに協力させられれば、これから二百年、自分は比類なき力を手に入れられる。これまで一人では探索できなかった危険な地域にも足を踏み入れられるし、高位の魔物の素材も集め放題だ。
――そう考えると、実はラッキーだったのでは?
内心ほくそ笑みながら、ヘティスは人懐っこい笑顔を浮かべ、振り返る。
「ねえ、ものは相談なんだけど――」
視線の先にいたグラッドは、何故か唐突に服を脱ぎ始めていた。
「ななな何してんのキミっ!?」
「いや、そう言えば俺の全財産はお前の物になったのだと思ってな。この服ももう、お前の物なのだろう?」
「それはそうだけど、脱がなくていいっての! それにそんな汚い服、査定0ドレンに決まってるから! 引き取り拒否する!」
「そうか、分かった」
いそいそと服を着るグラッドを横目に睨み付けながら、ふとヘティスは思い付いたように杖を振った。
虚空に浮き出た文字の羅列を見ながら、彼女はグラッドに言う。
「あー、やっぱり。査定額0ドレンの物が結構あるからさ。それはキミに返すよ。きっと全部、ガラクタの類だろうから」
「分かった」
「えっと、金額0のみでフィルタかけて……っと。ほい」
杖が光を発したかと思うと、倉庫のあちこちでがたがたと音が鳴り、いくつかの物が空中をすべるように移動を始めた。
ひび割れた瓶やら古ぼけた箱やらが、列を成して扉の外へと進んでいく。
「とりあえず庭先に移動させておくよ。キミの物だから、処分は任せるね」
グラッドは頷くと、ガラクタを追うように倉庫から出て行った。
「……ふう」
倉庫に収められている種々の素材の状態を確かめていたヘティスは、その半分程度の確認を終えたところで、一息をついた。
工具類と違い、保存方法の知識なく置かれていた素材は、中には既にボロボロに朽ちている物もあったが、それを差し引いても確かに査定額が70憶ドレンを超えるのも頷ける、価値ある物が居並んでいた。
ふと、焦げるような臭いを感じて窓の外に目を向ける。
庭先で、グラッドが火を起こしていた。
「全部燃やすつもりかな、あれ……随分と大雑把な処理だなぁ、まったく」
ヘティスの予想通り、火の勢いが十分に強まると、彼は無造作にガラクタを掴んでは放り込んでいった。
ボロボロに破れた衣服、穴の空いた革靴、欠け折れた木剣――そして次にグラッドが手をかけた木箱を何となしに見て、ヘティスは目を見開いた。
箱には、年代物の札が貼られていた。
「あれって、まさか……!」
十二宮が用いる、封魔の護符。
時代を経て色褪せているが、確かにその札は、十二宮の力を以てしても討ち果たせない魔物を封じる、護符だった。
「ちょ、ちょっと待って! それを燃やしちゃ駄目ぇー!!!!」
弾かれたように倉庫を飛び出すと、ヘティスは全力でグラッドの下へと走った。
「……やはり、少々大きかったか。分解してから入れるべきだったな」
火に放り込んだ木箱は、なかなか燃え落ちない。
グラッドは火力を強めようと、焚火に薪を差し入れる。
そこに、ヘティスが絶叫しながら走り寄ってきた。
「その箱燃やしちゃ駄目ぇっ! 早く! 早く取り出してってば!」
突然の言葉に、グラッドは首を傾げた。
「しかし、価値のない物ではなかったのか……?」
「そういう話じゃないんだよ! お願いだから早く――」
その瞬間、木箱が轟音を立てて砕け散った。
ぞくりと、背中に悪寒が走る。
気付けば晴れていたはずの空は暗く濁り、雷鳴まで聞こえてきた。
『……千年ぶりに目覚めてみれば、まさか我が封印を解いたのが、あの十二宮とはな。どんな心変わりか……世界を滅ぼす気にでもなったか?』
天を衝く程の巨体が、二人の目の前に立っていた。
その圧倒的な威圧感に、グラッドがぼそりと呟く。
「……びっくり箱だったか」
「んな訳あるか!」
ヘティスが、彼の足を蹴り飛ばして叫んだ。
「ああ、今日は何て厄日だよ……まさか、まさか魔王の封印を解いちゃうなんて……」
身の毛がよだつ程の魔力量と、禍々しいその姿――まさしく彼等の前に屹立しているのは、千年前、先々代の十二宮がその半数を犠牲にしてようやく封じ込めたという、『常闇の魔王』ゲリュオーンだった。
「あの……実はこちらのちょっとした手違いでして……もうちょっと、あと百年ぐらいでいいんで、封印されといてもらえませんか……?」
『ははは、面白い冗談だ。しかし無論、答えは否である』
「ですよねー……」
ダメ元で言ってみたが、やはり無理だった。
「で、このびっくり箱はいつ終わるんだ」
「だから違うって言ってるだろ! 大体どうしてキミが魔王を封じた聖櫃を持ってたんだよ! あれを納めてた封魔の祠には、三重の結界が施されてたはずだぞ!? 常人が侵入できる場所じゃないだろ!?」
ヘティスの叫びに、グラッドは顎に手を当て「ああ」と首肯した。
「それで妙に動きが鈍かったんだな。これ見よがしに燃えていた燭台を片っ端から斬っていったら、最深部まで到達できたが」
「何て事してくれてんのキミ!?」
「いや、いかにも良さげな素材がありそうな気配がしてな。しかし魔物の一匹も見つからなかったので、せめてと思って箱を持ち帰った」
「最悪だよ……」
『礼を言うぞ、人間よ。褒美に、今は命を取らずにおいてやろう』
ゲリュオーンはそう言うと、天に向けて両手を高々と掲げた。
『いずれまた会おう。その時が楽しみだ――』
「あっ! ちょ、ちょっと待っ――!」
ヘティスの言葉を待たず、魔王の姿は消え去ってしまった。
荒れ狂っていた空は嘘のように、再び晴れ間を見せている。
「…………どうしよう」
呆然と佇むヘティスに、グラッドが声をかける。
「……なかなか面白いびっくり箱だったな」
「だからびっくり箱じゃないって! 何度言えば聞いてくれるの!? ていうか魔王を解き放っちゃったんだよボクたち! どうするんだよこれから!」
「魔王が復活すると、何か問題があるのか?」
「あるに決まってるだろ!? 千年前、アイツは人間を滅ぼそうとしたんだよ! それを二代前の十二宮が必死に封印したの! ああ、これが他の十二宮に知られたら、絶対に吊し上げを食うよ……それどころかボク、十二宮から除名されるかも……!」
髪をかきむしるヘティスに、グラッドは平然と言い放った。
「なら、魔王を倒すしかないな」
「それができれば苦労は――」
と、そこでヘティスは言葉を止める。
「――もしかして、一緒に魔王の討伐をしてくれるの?」
グラッドは、彼女に向けて微笑んだ。
常に無表情な彼が初めて見せた、優しげな表情だった。
そして彼は――
「断る。興味がない」
にべもなく断った。
「な、何だよそれ! 大体、魔王が復活したのはキミが聖櫃を燃やしたからだろ!? 責任取ってよ!!」
「お前が処分しろと言ったからそうしたまでだ」
「それはそうだけどさぁ……ねえお願い! お願いします! 一緒に魔王を倒しに行ってください! ねえってば!」
グラッドの袖に縋りついて哀願するヘティスだったが、彼は頑として首を縦には振らなかった。
「俺は忙しいんだ。何せ、200年も時間が与えられたのだからな。まだ見ぬ魔物を狩り、より素晴らしい家具を製作せねばならない」
「DIYと世界の平和とどっちが大事なのさ!? それにボク、キミと50ヤードまでしか離れられないんだよ! キミがついてきてくれないと、ここから動けないの!」
「さあ、次は何の家具を作ろうか……いや、その前に工具を手に入れて家と倉庫を建てねばならないか」
「お願いだから話を聞けぇぇっ!!!」
平和な世に突如として解き放たれた魔王は、じきに人間を滅ぼすべく活動を開始するだろう。しかし彼を解放してしまった剣士グラッドと、十二宮の『天秤』、大魔導士ヘティス・ブラヴァツキー。二人が魔王討伐の旅に出られるかさえ、今はまだ定かではない――
お読み頂き、ありがとうございます。
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