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「サヤック、大丈夫かしら……」
メリザンヌが心配そうな顔で近寄ろうとしたが、アルマが片腕を遮断機にして制止した。
「心配いらぬ。それよりも、あやつに近寄ると、汝も疑われることになるぞ。犯人は時折、名探偵の目の前で被害者に工作するものだからな」
「それは困るわ……!」
メリザンヌは再び腕時計を見る。シャイードはその仕草に片眉を上げた。
「早くこちらの事件を解決して、私の事件に取りかかって貰いたいもの。大人しくしてるわ」
アルマはそれを横目で見遣った後、他の者たちを順に見つめた。
「毒殺未遂である以上、アリバイは余り意味がない。密室かどうかに至っては、全く関係がない。サヤックが毒と知らずに、任意のタイミングで自ら口にした可能性があるからな。故にまず誰に動機があるか。それから、誰が手段を持ちうるかで考えてゆこう」
「すごーい! 本物の探偵みたい!」
アイシャが目をきらきらさせた。
「探偵ではない。名探偵だ」
アルマはいつもの無表情を崩さぬまま、彼女の発言を訂正した。そして指をさす。
「いっておくが、汝も容疑者だぞ。第一発見者は一番に疑うべき者であるからな」
「えっ!? 私も!?」
アイシャが驚き、自分の顔を指さした。アルマはうむ、と頷く。
「加えて汝は一番、犯人っぽくない。我が話を書くなら、汝を犯人にするであろう」
「がーん! そうなっちゃうんだ!? でも私、サヤックのことはよく知らないよ? クラスも違うし」
「動機はないと主張するのだな」
アイシャは頷く。
「それに青酸カリなんて、どうやって入手するのか全然わかんない」
「青酸カリですって!?」
メリザンヌがよろめく。ピアノの陰で相変わらず失神しているサヤックを指さした。
「ちょっと! ほんとに大丈夫なの、あの子! 何かあれば、私にも責任が!」
「汝にも動機はなさそうだな。安心せよ。命に別状はない。――しかしなぜ、被害者は音楽室で倒れていたのだ」
シャイードがこの言葉にはっとして、手を挙げた。
「思い出した。サヤックは音楽部員だ。部活に来たってことじゃねーの? セティアスはその音楽部の部長らしいんだけど、音楽準備室にいたことといい、逃げたことといい、何もかも怪しいぞ」
「ええっ? 僕かい?」
セティアスは胸の前に両手を寄せて縮こまった。
アルマはセティアスの方に上体を傾け、じろじろと観察する。
「ほう。そうなのか。あんまりにも怪しい人物は犯人ではないことが多いが……。汝はなぜ、逃げたのだ?」
「そこ、そんなに気になるかなぁ? わたくしめは気まぐれな風。扉が開けば、吹き抜けることもありましょう……」
芝居がかった言葉と態度で足を前後に、胸に手を当てたセティアスに、シャイードが「そういうのいいから」と冷たく突っ込んだ。
「うう……。僕が音楽室に入室したとき、すでにサヤックはあそこに倒れていたんだ。寝落ちしたんだろうなって思った。近くには楽譜が散らばっていたから、僕はピアノの譜面台に揃えておいたよ。……それだけだ」
「譜面台に?」
アルマはシャイードを見遣った。シャイードは頷き、ピアノへと走る。そして楽譜を次々にめくった。
「『花のワルツ』って楽譜みたいだ。フルート練習用……」
「裏を見るのだ、シャイード」
「裏……? 別に何も……あっ!!」
シャイードはその中の一枚を取り上げた。
「茶色で、4って書いてあるのがあるぞ」
「また数字?」
反応したのはアイシャだ。
「持ってきてくれ」
アルマが依頼し、シャイードは頷く。それを持ってアルマのそばへ行き、渡した。
4の字は、交差した部分から下がやや長く、左下に向けて擦れている。先ほどの3と並べてみると、4の方が少し大きい。
「またって、何のことだ。アイシャ」
「うん。床にはね、3って書いてあるやつが落ちてたの」
「3?」と、アイシャの言葉を聞いたメリザンヌが怪訝そうに呟いた。
「ああ、『花のワルツ』は4分の3拍子だ。それをいいたかったんじゃないのかな?」
セティアスの推理に、シャイードは眉間に皺を寄せた。楽譜の表にもう一度視線を落とす。確かに、五線譜の先頭にはト音記号と3/4という数字が並んでいた。
「死の間際に? なんでそんなことをわざわざ?」
「死んでないよ! シャイード!」
アイシャが両腕をわたわたさせながら突っ込みを入れる。
「サヤックは部活に来て、フルートの楽曲を練習していたのか」
「どうなのだ?」
アルマがセティアスに確認する。セティアスは頷いた。
「そうだね。僕は放課後すぐに音楽準備室に来たんだけど、少しうたた寝していたんだ。いわれてみれば、夢うつつにフルートの音色を聞いた気がするな。起きたときには止んでたけど」
「……んんっ? でも今はフルートなんてどこにも落ちてない……よな? はっ! まさか、フルートに毒が仕込まれていたとか!? アイシャ、お前の撮った写真、もう一回見せてくれ」
「いいよ」
シャイードはアイシャが撮影したサヤックの写真を確認した。どれを見ても、フルートが写っているものはない。また、楽譜はサヤックの左手の下に一枚落ちているのが見えるだけだ。
「お前、フルートを見たか?」
「気にはしていなかったけど、……見なかったと思うなぁ……。落ちていたら流石に気になると思うし」
「決まりだな。フルートに毒が仕込まれていたんだ。犯人はそれを、現場から持ち去った。アイシャが掃除で訪れるまでに、鍵の掛かった音楽室からそれを持ち去ることが出来たのは……放課後からずっと隣室にいたアンタだけだーーー!!」
シャイードはセティアスを勢いよく指さした。
「まあ、待つのだシャイード。サヤックの身体の下に落ちている可能性もある」
「あ、そうか。そうだな!」
シャイードはサヤックの方を振り返った。すかさずセティアスが口を挟む。
「いやあのっ」
「どうした! このうえ、何か反論でもあるのかよ」
セティアスは勢いよく首を振る。
「違う、そうじゃなくて……。うう……。仕方がない。殺人未遂事件の犯人にされてはたまったものではないからね。白状するよ。確かに、フルートなら、僕が隠したんだ……」
「では、犯人であると認めるんだな?」
シャイードに詰め寄られ、セティアスが髪を掻く。それから渋い顔をして首を振り、深いため息をついた。
「でも、毒なんて仕込んじゃいないさ。そもそもやろうと思っても無理だと思うよ」
「なぜ、無理だと思うのだ? それに毒を仕込んでいないというなら、なぜフルートなんぞを隠す必要があった?」
アルマが当然の疑問を口にする。セティアスは、「順を追って話そう」と答え、先を続けた。
「――いいたかないけど、サヤックはフルートが上手なんだ。でも、次の音楽祭のテーマは合唱だからね!? フルートの練習ばかりしてないで、歌の練習もしてくれって前々からいってるのだけれど、ぜんっっっっぜん、聞いてくれなくて……」
シャイードは眉尻を下げ、髪をかいた。
「ああ……。アイツ、昔からそういうとこ、あるよな。自由っつーか」
「僕は思ったね。これはもう、サヤックの隙を見て、フルートを奪うしかないって。でもサヤックはお気に入りのフルートを肌身離さず持ち歩いていて、なかなかチャンスがなかった。――ところがついに今日、その好機が訪れたってわけさ」
「フルートって、日常的に持ち歩くには結構邪魔だよな!?」
こんくらい……? とシャイードは素人目線での大きさを、両手で示してみる。肩幅の1.5倍ほどの幅だ。
セティアスは首を振った。
「いや、それがサヤックのはフルートはフルートでも、一番短いピッコロなんだよ。長さは34cmしかない」
「!」
シャイードははっとした。セティアスはその反応に、遅れて気づく。
「おっと。3と4はこのことだったのかな?」
「そこに毒が……? でも、いつも持ち歩いているなら誰がいつ、そこに毒を仕込める?」
「そうだろ?」
「それ以前に、ピッコロって書けば良かったんじゃない?」
アイシャが唇に人差し指を添え、かくんと首を横に折った。
「四文字も書く時間がなかったのやも知れぬ」
これはアルマだ。その発言を最後に、三人はうーん、と首を傾げた。
そののち、シャイードは別のことに気づき、不意にセティアスを指さす。
「てことは? もしかして、俺が音楽準備室の扉を開いたときに逃げたのは!?」
「ご明察。サヤックが起きて、ピッコロを取り返しに来たと思ったんだ」
セティアスは両手の人差し指を立て、シャイードを指さした。
「今は汝が、ピッコロをもっておるのか?」
アルマの問いかけに、セティアスはそちらをむいて首を振った。
「いや。追い詰められたときに、咄嗟に玄関の植え込みに隠したんだ。まさか凶器と疑われるなんて、思いもよらなかったから」
シャイードは最後まで聞き終わる前に、玄関に走った。
回収してきたピッコロを、アルマが虫眼鏡をつかってつぶさに観察する。
「ふむ……。特に変わったところはないな。血もついてないし、生臭い匂いも、アーモンド臭もしない」
「マジか!? 絶対そいつが凶器だと思ったのに!」
シャイードが地団駄を踏んだ。
セティアスはくるりとその場でターンし、片手を大きく持ち上げた。
「ともあれ、僕の疑いは今日の青空のように、澄みやかに晴れ渡った、ってことでいいかい?」
「待てよ。アンタにだって動機がないわけじゃないだろ? いうことを聞かないサヤックに、苛立っていたかもしんねー」
「そ、そんな! でも僕を疑うなら、その前に、もっと動機がある子がいるじゃないか。そら、そこに」
セティアスの片手が振り下ろされる。ロロディは急に話を振られてびくっとした。
「彼は喧嘩をしていたのだろう? 被害者と」
「そういやそうだ。アンタが犯人か?」
「おおお、オイラ、毒なんてももも、持ってない。持ったこともない!!」
ロロディはぶんぶんと首を振る。
「ロロディよ。汝はなぜ、サヤックと喧嘩をしたのだ?」
「そ、それは……」
ロロディは胸の前で両手の指をもじもじと擦りあわせて視線を逸らした。アルマが詰め寄る。
「どうした。答えぬと、どんどん立場が悪くなるだけだぞ」
ロロディは視線を上げ、アルマを見た。それからその視線を隣に動かす。そしてすぐにまた下げた。
「お……、オイラのお菓子を、サヤックが取ったんだ……。それで、オイラ、返してって怒った……。逃げられちゃったんだけど。ほんとだよ! それからはここに連れてこられるまで、サヤックには会ってない」
「ほう、菓子を」
アルマの確認に、ロロディはこくこくと頷いた。
「菓子になら、毒を仕込めるな?」
アルマが身をかがめ、ロロディにささやくと、小柄な彼は飛び上がった。
「オイラそんなことしてない! 手に入れてすぐ、サヤックに取られちゃったんだから」
「手に入れた?」
アルマは片眉を微かに持ち上げた。それから目を瞑る。
「なるほど。……どうやらこれで全ての情報が揃ったようだ」
「なに!? 本当か? じゃあ、犯人が分かったんだな」
「………」
シャイードの問いかけに、アルマは目を閉じたまま沈黙を続ける。
「もしかして、分かってないのか……?」
「いや。事件の真相は全て理解できた」
首を振った後、アルマは瞼を開いた。シャイードを見つめる。
「で? 結局、犯人はこの中にいたのか?」
「……犯人は、この中に……」
アルマは、とある人物に目を向けた。