容疑者たち
音楽室には鍵が掛かっていた。それをアイシャが再び開き、三人は室内へとなだれ込む。
「サヤック!」
シャイードが駆け寄ろうとしたのを、アルマが片腕で静止した。
「汝には辛い光景であろう。音楽準備室の方を確認してくれ」
シャイードは心配そうにサヤックに視線を送ったが、名探偵の言葉には逆らわず、隣へ通じる部屋への入口を調べた。
アルマとアイシャはその間、サヤックの元へ行く。
「お、……アルマ! こっちの鍵は開いているみたいだ」
被害者の傍らにかがみ込んでいる彼に報告し、シャイードは音楽準備室の扉を開いた。
正面の壁に、大きく区切られた棚があり、アコーディオンや太鼓、シンバル、コントラバスなどの楽器が並んでいるのが目に入った。
直後、右手から大きな物音がして、廊下に通じる扉から何者かが慌てて出て行くのが見えた。男子学生服を着ている。
「あっ! 待てっ!!」
シャイードは走ってその背中を追いかける。
逃亡したということは、何か事情を知っているに違いない。走る背中は、廊下を折れて階段を下っていく。シャイードは目を丸くする生徒達を縫い、逃亡者を追った。
◇
アルマは制服のポケットから使い捨て手袋とペンライトを取り出し、サヤックの瞼を開いてライトで照らす。
それから口元に鼻を近づけてかいだ。
「うむ。血なまぐさい匂いがする。それに、微かにアーモンド臭が」
「あ! それ、知ってる。青酸カリだよね?」
「む。……これは?」
アルマはサヤックの左手の指先に、同じ焦げ茶色の物質が付着しているのを見つけた。
親指と、人差し指だ。
そしてその指の下に、「3」と書かれた紙が落ちている。デジタル表示のようにカクカクとした字体だ。
アルマは紙を手にして立ち上がる。
「興味深い」
「わあっ! ダイイングメッセージだね! 私、初めて見たかも!!」
アイシャが隣から覗き込み、興奮した声で言う。妙に嬉しそうだ。
「さきほどの写真には写っていなかったな。手の陰になっていたか」
「うん。気づかなかったよ。でも、何の数字?」
「ふむ」
アルマは顎に手を添えた。
そこに、廊下側の扉ががらりと開く音が響き、二人は振り返る。
◇
階段を下りきった右手は、体育館へと続く外廊下だ。外廊下の右側は校庭、左側は芝生の生えた裏庭になっている。
一方、階段下の左手は校舎の内廊下。1年生の教室とトイレが見える。その奥は校舎の正面玄関だ。放課後なので、生徒の姿はまばらだがゼロではない。
(やべ……。どっちに行った……?)
シャイードは、その場でくるくると回る。
内廊下側に、落ちたプリントを拾い集めている女子生徒がいた。
(………。そっちか!)
誰かが猛烈な勢いで傍を走り抜けたせいで、抱えていた紙が飛んだのだろう。
シャイードが走り抜けると、同じ事が再び起こり、女子生徒の憤慨が背を追いかけた。
やむを得ず無視する。
玄関へやってきて、視線をあちこちへ投げた。靴箱の前でなにやら雑談している男子生徒、靴を履いている女子生徒、そして。
シャイードは観葉植物へと向かうと、その影に隠れていた生徒の腕を捕まえて引きずり出した。
「わあっ!? 一体何事だい?」
「しらばっくれるな。アンタだけ、明らかに怪しかったろうが!」
「僕は何もしていないよ」
「俺の経験上、心当たりのない奴は、聞かれてもいないのに『何もしていない』なんて言わねえ」
「ぐう……」
ぐうの音はかろうじて出るようだ。
シャイードは引きずり出した生徒を改めて見上げた。胸元の校章バッジの地の色から、三年生だということは分かる。長い前髪を、幾つものカラフルな髪留めでとめていた。軽そうな雰囲気の優男だ。
「アンタ、何で音楽準備室なんかにいたんだ?」
「なんでって……愚問だね。それはこの僕、セティアスが、音楽部の部長だからだよ」
片手を額にあて、セティアスはジョジョ立ちした。
シャイードは瞬く。
「アンタが? じゃあ、何で逃げたんだよ」
「それは……」
セティアスと名乗った生徒は口ごもる。シャイードは半眼になった。
「サヤックを殺したのはお前だな」
「ころっ!? な、なんのことだい? 僕は」
「いいから、ちょっと顔貸せ」
「え、普通に嫌だ……って! 君、小さいのに凄い力だな!」
「小さいはよけいだ!」
ふりほどこうとした腕をますますがっちりと掴まれ、セティアスは観念してシャイードに従った。
音楽室に戻ってくる。
扉を開いてすぐの場所で、シャイードは見知らぬ背中にぶつかりそうになった。そこには新たに、大小二人の人物が立っていたのだ。
一人は白衣を着た妖艶な美女――養護教諭のメリザンヌだ。片腕に、底が正方形の白い紙袋を提げている。
そしてもう一人は、小柄な男子生徒だった。どことなく雰囲気がサヤックに似ている。彼は落ち着かなげに視線を泳がせていた。
アルマとアイシャは、その二人と向かい合って会話をしていたようだが、シャイードが現れると彼の方を見た。
「アルマ。犯人を捕まえてきたぞ」
シャイードは、振り返って脇に避けた二人の間から、セティアスを押し出す。
セティアスは反論せず、両掌をアルマに向け、肩の高さに掲げた。降参ポーズだ。鹿撃ち帽を被った名探偵は小さく首を傾げる。
「奇遇だな、シャイード。こちらも容疑者を一人、確保したところだ」
「お、オイラ、何も知らない……!」
小柄な生徒は青ざめた顔で大きく首を振り、目を合わせようとしない。
「一人? そっちのセンセーは?」
シャイードは容疑者たちに逃げられないように扉の前に立ったまま、養護教諭に向けて顎をしゃくる。彼女には、体育で突き指をした際に一度、世話になった憶えがある。
「メリザンヌは別の事件の被害者だ」
「そーよ! 大事な物を盗まれたから探偵部に相談に行ったら、空っぽだったから」
メリザンヌは腕時計をちらと見た。
「大事なものって?」
好奇心からシャイードが尋ねると、アルマが「時計の部品だそうだ」と代わりに答えた。
アイシャは小柄な生徒の肩に手を載せる。
「ロロディは放課後、サヤックと喧嘩しているところを複数人に目撃されているんだよ」
「サヤックとは、ちょっと口喧嘩しただけだい! 結局は逃げられちゃって。その後は知らないよ、ほんとだよ!」
「……ちょっといいかい?」
このタイミングで、セティアスがおずおずと片手を上げた。いや、下ろした。さきほどからずっと降参ポーズで固まっていたからだ。全員が口を噤み、そちらを見遣る。
「今さらなんだけど、いったい何の話だい?」
「何って、殺人事件に決まってるだろ! しらじらしい」
「「「殺人事件!?」」」
シャイードの返答に、アルマを除く全員がぎょっとした声を上げた。
「いや、アイシャ。何で第一発見者のお前まで驚いてるんだよ」
「え、だって。サヤック、いつの間にか死んじゃってたの!?」
アイシャは口元に手を当て、目をまん丸に見開いている。本気で驚いているようだ。
これにはシャイード方がぽかんとする。
「だって、お前……。いの一番に死んでるって……」
アイシャは両手を前に突き出して、首と一緒に振る。
「いいい、言ってないよ! 私、言ってない!」
「いや、言っただろうが! あれ、言ってなかったか……?」
シャイードは顎に手を添えて、思い出そうとした。
「そうだ。俺が『死んでる』って言ったら、『そうみたい』って」
「ええっ? シャイード、『失神してる』って言ったんじゃなかったっけ?」
「そんなこと言ってねーよ!?」
アイシャは瞬いた。
アルマがすっと前に出る。
「我が見たところ、サヤックは失神しているだけだ。しかし、血を吐いているのと、アーモンド臭が気にはなった。誰かに毒を飲まされた可能性は否定できぬ。つまり、……犯人はこの中にいる!」
ででーん!
アルマは一行を指さした。シャイードは目を丸くする。
「おおい! 言い切るほど、情報、固まってたか?」
「いいや全く。とりあえずそういうことにして話を進めるのだ。違ったらまた考え直せば良い。だがノックスの十戒・第一戒からして、犯人は最初の方で出そろってないと駄目だから、大抵この中にいるのだ」
「ガバガバじゃねーか、自称名探偵! ……お前、絶対『犯人はこの中にいる』って言いたかっただけだろ!」
アルマはシャイードの抗議をするっと無視した。