ナルディーン
※「ライラ」という小説の小話です。
シャハル(シェヘラザード)…耳飾りの精霊。生き別れの姉妹を探している。
ユースフ(イブン・ジュバイル)…駆け出しの若い旅商人。霊感持ち。
その市の場所は、遥か遠く、砂漠の砂煙の中からでさえもはっきりと分かった。
砂漠は周囲数キロメートルの範囲内に自分たちの他には動くものも話すものもほとんど皆無の場所だ。基本的に、騎乗している駱駝が砂を踏む音と風の音の他には何も聞こえない。
そんな場所だから、例え微かな物音でもかなり遠くまで響くのだ。
例えばうっかりくしゃみなどしようものなら半径数十メートル先にまで丸聞こえだ。
ましてや、音源が巨大な音を立てていたとすれば。
ユースフとシャハルは耳を澄まさずとも、自分たちの向かっている方向―十数キロ先の古都ナルディーンから聞こえてくる音を拾うことができた。
喧しいトランペットとチャルメラの音色。
リズミカルなベンディール。
それらに交じった低くうねる様な、無数の人間がさざめく声。
楽しげなそれらの音を聞く二人は、正反対の表情を浮かべている。
シャハルの方は久々のお祭り騒ぎに興奮が隠せず笑顔を浮かべているが、ユースフの方はというとどんよりと俯き、この世の終わりのような顔をしている。
「何だか大層賑やかにしておるな。何の祭りだろう?」
「聞こえてくる音楽の種類からすると富豪の結婚式とかだろうな。…あー、失敗だったな。」
ユースフは悔しそうに呟く。
「こんな祝い事があると知っていれば、商品をもっと仕入れておくべきだったな。」
シャハルはからかうようにユースフの方を見やった。
「ああ。…砂漠で手持ちの天幕で寝泊まりするよりも、他の商人たちが集まる商人宿を使った方が、商売のための情報が入っただろう。今回の祝い事も事前に知れたかも。宿代をケチったのが裏目に出た。」
彼は自分の商人としての経験不足を改めて実感していた。古物商で長い間働いて少しは商売の知識が身についていると思っていたのだが、情報収集を怠るとは我ながら間抜けなことだ。
「まああまり気にするな。手持ちの宝石だけでもそこそこの値段になるだろう?祭りという機会に遭遇できただけでも幸運ではないか。…しかし、金持ちというだけで結婚するときは町全体からあんなに祝ってもらえるものなのか。」
「金持ちは自分の家で祝い事がある時は、存分に周りに金をばら撒くものさ。周りの一般市民もそれにあやかってお祭り騒ぎする口実を得るわけだ。まあここまでの規模の結婚式というのは珍しいが。」
「こんなに遠くまで喧騒が聞こえるほどの祭りとは、一体どれほどの金がつぎ込まれているのだろうなあ。早く見てみたいものだ。」
シャハルは祭りが待ちきれない様子でそう言った。
「それはそうと、商品の準備の方は万全か?」
「まあ一応。あるだけの原石は磨いておいた。」
ユースフは懐に手を入れ、薄汚れた弁当箱を取り出す。箱の蓋を開けると中には布が敷いてあり、その上に赤や黄色の色とりどりの石が乗っていた。
彼は旅に出る時、予め仕入れておいた宝石や半貴石の原石を、駱駝の毛の中に隠し持って来ていたのだった。
土や母岩がこびりついた状態の原石は、一見するとただの小石にしか見えない。
専門の職人が鑢と砥石を使って原石を研磨することで初めて隠されていた輝きが露わになり、宝石として生まれ変わるのだ。
旅の道中では盗賊の恐れもある。宝石を持っているのが知られたら、全て持って行かれてしまうだろう。
だからユースフの出身一族の商人たちは、旅の最中は宝石をそこらの石ころと区別の付かない原石の状態で持ち歩き、途中で市に寄る直前に研磨して宝石に加工するという工夫を行っている。
シャハルはユースフの研磨した作品をしげしげと見つめた後、満足そうにうなずいた。
「うん。どの石も大きく、割れや傷が少ない。持ってきた原石は当たりだったな。流石は巫女の力を引き継ぐ者、目利きだなそなたは。」
「どうも。耳飾りの精霊殿に褒めて貰えるとは光栄だ。」
「ふふん。…しかし、そなたは肝心のものを磨き忘れているようだぞ?」
「?」
シャハルは人差し指をびしっと突きつける。
「そなた自身のことだ!」
ライラ本編の展開を考えている最中に浮かんできた小話です。(本編が煮詰まっているともいう)
まだまだお話が進んでいませんが、もし良かったら本編の方もよろしくお願いします。
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