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第8話『見習い騎士キアラ』

第8話です。

次回更新は3/2の午後9時を予定しています。

 セスが目を開けると、そこは見たことのない場所だった。


(ここは……どこだ)

 ぼんやりとする意識の中で思う。そこで自分の格好を見てみると、下は相変わらずの汚れたにび色のジーンズだったが、上はいつの間にか真っ白なシャツ姿になっていた。自分の身に何が起きたのだろう、と不思議に思いつつ、セスはベッドから身体を起こして辺りを見回す。どうやら誰かの家のようだった。


 床には本や書類が無造作に散乱しており、棚には小瓶が中に入っているものの種類も色もバラバラに、それもところ狭しと並んでいた。


「あ、目が覚めました?」

 こちらの様子に気づいたらしい一人の少女が、ぱたぱたとロングスカートを揺らしながら駆け寄ってくる。カーテンの開いた窓から、微かに侵入する日光が、彼女の滑らかな髪をブロンドに照らしていた。

 その容貌を一言で言うなら、紅顔可憐。美しくもありながら、表情の作り方は年相応に可愛らしい。そんな少女だった。


「初めまして。私、キアラ=ファルネーゼって言います。巡回中にあなたが血だらけで倒れていたので、とりあえず私の家まで運んできたんです」

 少女は柳のように細い腰を深々と折る。


「俺はセス。助けてありがとう、ファルネーゼ……と呼べばいいのかな」

「えっとーーセスさんのが歳上みたいですし、キアラでいいですよ。私もセスさんって呼びますから」


「それじゃあ、キアラ」

「はい」

 キアラは屈託のない笑顔をセスに向けた。彼女のあどけない表情を眺めていると、自分が生きているのだという実感がふつふつと湧き始めた。とことんツイていない人生だが、こういう時の悪運は強いと、セスは我ながら思うのだった。しかしその一方で、セスは忘れていた大切なことを思い出す。


「そうだ、ヘルシャ!」

 ここにはヘルシャが見当たらなかった。もしかしたら気絶しているうちにあの騎士に連れ去られたのかもしれない。


「ヘルシャ? はて」

 首を傾けるキアラ。嫌な予感が的中した、とセスは冷や汗をかきかける。


「あ、もしかして一緒にいた女の子のことですか? それなら向こうの部屋で眠っているところですよ」

 彼女の発言を聞いて、セスは安心した。なぜあの騎士がヘルシャを連れ帰らなかったのか彼には全く理解できなかったが、向こうにも何か事情があったのだろう。


「俺とその子以外に、人はいなかったか?」

「おやおや。変なことを言いますね、セスさん」

 キアラがクスクスと笑う。どうやらキアラはナイジェルの姿を見ていないようだった。となると彼女に鉢合わせることを嫌がって、ナイジェルが咄嗟に引いたのかもしれない。そう考えるとナイジェルの行動に色々と合点がいくが、真相はよく分からなかった。


「セスさんの周りにいたのはーー人ではなく魔物の群れでしたよ」

 魔物? とセスは首をかしげる。


「どうして驚いてるんですか? セスさんは、あの魔物たちに襲われたんでしょう?」

「あ、あぁ」

 新しい情報がいくつも出てくる。理解の追い付かない頭を抱えながら、セスは曖昧な言葉を返した。


(一体どういうことだろうか。なぜナイジェルではなく魔物が?)

「セスさん。あなたの勇敢な行いを私は騎士として、人として心から称賛します。身を呈して子供を魔物の手から救うなんて、私には到底できないことですし……」


 隣で嬉しそうに語るキアラの声は、まるで耳に入ってこない。彼の頭を占領していたのは、『なぜナイジェルがヘルシャを連れ帰らなかったのか』。そして『どこから、なぜ魔物たちが自分の元に集まってきていたのか』ということだった。前者については既にある程度の憶測がついていたが、後者はそうでない。


 魔物ーー魔族ではなくーーの多くは現在、リベルタの東方に位置する大きな森に生息している。日中、彼らが街へ入ろうとしたものなら、瞬く間に警告放送が鳴り響く。リベルタの平穏を守るためにも、これくらいの厳しい侵入管理は必要不可欠だった。


 警備の多少甘くなる夜ならば、監視の目を縫うことも可能であるだろうが、わざわざリスクを犯してまで街に侵入するメリットがあるとは到底思えない。ゆえに彼らが街中に現れることなど、あるはずがないのである。

 そこでキアラが思い出したように、「あ」と口を止めた。


「そういえばセスさん。あんな夜遅くに何をしていたんですか?」

 思わず、言葉に詰まった。

 彼女があくまで興味本意で尋ねてきたことは明らかだろう。しかしながら、自身の中に後ろめたさを抱えるセスとしては、死刑の宣告を下されたようなものだった。


「か、勘違いしないでくださいね? 純粋な好奇心で聞いていて、何かセスさんのことを疑っているとか、決してそういうことでは」

 口振りからして、彼女は昨日の出来事を本当に知らないようだった。ポルドー家側はセスらの盗みについてやはり公言していないらしい。


 それもそのはず。ポルドー家はランスとキースの2人を殺しているわけだし、実際に盗られたものといえば、虐待染みた監禁をしていた少女くらいのものである。わざわざ重い処罰を覚悟してまで取り返すに値しない、と彼らは判断したのだろう。


 結局、ランスとキースが死んだのも、セスが重傷を負わされたのも、完全なる自業自得だ。セスは今更ながら、自己の行いを後悔していた。

 もしここで、全てをキアラに打ち明けてしまえば、楽になるのかもしれない。


 どうせもう何もかも終わりで、お金を準備するための時間も、もはやろくに残されていない。牢屋に入るのが早いか、遅いか。ただそれだけのことだ。

 でもセスはーーキアラになぜか本当のことを言い出せなかった。


「別に、単なる散歩だよ。妹が星を見たいって言って聞かなくてね」

 あわあわと狼狽しながら失言を取り繕おうとするキアラの言葉を遮るように、セスは告げた。キアラは彼の嘘を信じたらしく「なーんだ」と胸を撫で下ろしていた。


「ヘルシャちゃんはセスさんの妹さんだったんですね。納得です。でもあんまり似てないんで、てっきり他人同士かと」

「……よく言われるよ」

 セスは苦笑しながら、何でもないように応えた。


 自分の命を救ってくれた少女を騙すことへの後ろめたさと、あまりにもこちらを簡単に信じてくれる純粋さにセスは胸が痛くなる。こんな身なりの整っていない男をよくも家にあげるのは、いささか危機意識に欠けるんじゃないか? と心配になってくるほどである。だが今のセスに彼女を咎めるほどの余裕はないということを、突如として背中に走った激痛によって知った。


 今しがた体を捻ったためか、傷口が開き欠けてしまったらしい。眉を歪めたセスの顔を、キアラが心配そうに覗き込む。

「背中、痛みますか?」

「少し、な……」

「治癒魔法が使える先輩がもうすぐ来るはずです。それまでは我慢してくださいね」

「いいよ。どうせ大した怪我でもないし」

「大した怪我じゃないわけがありませんよ! もう辺り一面血がドバァァァ!! って……こんな感じに広がってたんですからね!」

 擬音を口にしながら手や足を大きく広げ、キアラはその様子を再現しようとする。その様子があまりにもおかしくて、セスは堪えきれず吹き出してしまう。まぁ笑ってしまったことでさらに傷口が開き、背中からも血が吹き出してセスは再び悶絶したわけだが。




 セスが意識を取り戻した数十分後、ヘルシャもまた目を覚ました。すっかり腫れたまぶたを擦りながら、ドアノブに手を伸ばす。


 彼女は恐怖していた。せっかく自分をあの地獄のような場所から連れ出してくれたセスが、自分のせいで傷ついてしまったのだから。ろくに素性の分からない自分を庇ったせいで。


 もしかするとセスは、怒っているかもしれない。それどころか、もう死んでしまっているのかも……彼女は泣きそうになった。

 やがて意を決したように彼女がドアを開けると、部屋の外からは愉快そうな笑い声が響いてきていた。


「あはははは! セスさんも、セスさんのお友達もすっごく面白いですね!」

「そういうキアラこそ! こんな汚い部屋に住んでるだけあるよ」

「ちょっと、セスさん!」

「あたた。傷に響く」


「このー! 塩塗り込んでやりますよ!!」

「おいおい大丈夫か? 暗くて湿った場所でゴロゴロしてるのが大好きのナメクジ人間が、塩なんて手にとって。溶けるぞ?」

「ナメクジじゃありませんよーだ! セスさんと違って家持ちなので、せいぜいカタツムリですよーだ!」

「言ってくれたなこの!」

 仲睦まじげに喧嘩をする二人の姿が、そこにあった。ヘルシャは微妙な表情をしながら、パタンと扉を閉めた。


 自分がいないところで何があったのだろう、と首を傾げる。そして少し考えるような素振りをして、ポンッと手を打った。


「ヘルシャ。起きたのか」

 セスの言葉に、ヘルシャは頷いた。そして彼の膝の上にひょいと飛び乗る。少女の体が思いの外軽かったので、セスは拍子抜けした。


(そういえば台車で運んだ時も、騎士から逃げてた時もほとんど重さを感じなかった気がする)

 そんなことを考える彼の膝の上で、ヘルシャはどこか勝ち誇ったような表情を浮かべていた。


「ヘルシャちゃん。改めて自己紹介するね?私はキアラ。キアラお姉ちゃんって呼んでね」

「……」

 ヘルシャは何も答えない。


「無視されちゃいました……」

「そうがっかりするなよ。ヘルシャは人と話すのがあんまり得意じゃないんだ」

 セスの言葉に同調するように、ヘルシャがうんうんと首を縦に振る。


「シャイな子は自分でそう肯定しませんよね!? うわぁぁヘルシャちゃんに嫌われたー!!」

 おいおいと泣きながらソファに顔を擦り付けるキアラ。セスは苦笑した。


 このように、どうもキアラは感情の起伏が激しいタイプのようだった。

 例えばセスが友人の面白い話をすれば地面を転がり回る勢いで大笑いし、スラムの子供たちを養っていることを口にすれば立ち上がって感激して、目を輝かせながら「私にも協力させてください!」と彼の手を握り、有難いことにミスティの治療費の肩代わりまで申し出てくれた。とにかく純粋でありながら真っ直ぐな子だ、とセスは思った。


 すると突然キアラは、何とも不思議そうな表情を浮かべるヘルシャをよそに、「決めました!」と言って拳を天に掲げた。

「ヘルシャちゃんの好感度を上げるため、まず胃袋を掴みます! これからみんなで何か美味しいものを食べにに行きましょう!」

「お、おい。先輩が来るんじゃ無かったのか?」

 勿論セスは苦言を呈した。キアラの言う先輩が来るまでにはまだ少し時間があるようだったが、すれ違いにならないとも限らない。


「来る時間までには帰ってきますよ! ヘルシャちゃんもお腹空いてるよねー?」

 ヘルシャはキランと目を輝かせながら、懸命に頷く。

「決まりです! さあ行きましょう、セスさん! あ、もしかしてお金のこと心配してます? 大丈夫ですよ! 私意外ととお金持ちですから!」

「いや、流石にミスティの治療費を借りた挙げ句、ご飯まで奢ってもらうのは……」


「いえ、騎士の私には使う機会もないお金ですし……人のために使えるなら本望ですっ」

 でもなぁ、とセスが言いかけたところでセスの腹の虫がぐぅと鳴る。思えば昨日ポルドー家に入る前から何も食べていなかった。一応背中の怪我には追加の応急処置も行ったため、多少なら動いても問題ないだろうし、加えてヘルシャも乗り気のようだ。断る理由はない。


「よし、いくかヘルシャ」

「そうこなくっちゃ!」

 彼女が勢いよく玄関の扉を開けるーーと、ちょうどその目の前に一人の女性が驚いたような顔をして立っていた。


「あら、お出かけかしら。人を、ましてや上司を呼びだしておいて」

「えーっと、リザ先輩? これには底なし沼より深い理由がありまして」

「別に、いいわよ。あなたがどういう人間かはよーく知ってるから」

「ご、ごめんなさい…」

 シュンと肩をすくませるキアラ。リザ、と呼ばれた女性は呆れたように腕を組んだ。


 長く艶やかな黒髪に、凛々しい目をした、キアラとはまた違うタイプの美人であり、中でもとにかく目を引いたのは、抜群のプロポーションだった。身長はセスと変わらないか少し低いぐらいだが、すらりと伸びた手足のせいか、実際の数値以上に長身に見える。

 彼女の、あまりの美貌に驚いたのだろうか。セスは言葉を失って顔を引きつらせていた。


「こちらが、怪我をしていたという男性?」

 リザは訝しげに、セスの方をジロジロと眺める。


「はい! セスさんは魔物に襲われていたようです!」

 ピンっと背筋を伸ばすキアラ。その時だった。リザの顔色がガラリと変わったのは。


「セ…ス……?」

 カラン、と音を立ててリザの手から杖が滑り落ちた。

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