第7話『力の差』
第7話です。
魔導騎士を名乗る相手との戦いになっています。
「がッ……ぁ」
数メートルの高さまで宙を舞った後、セスの体は地面に叩きつけられる。幸い空中で街路樹に掠ったことが衝撃を多少和らげてくれたらしく、致命傷にはならなかった。しかしセスの体が確かなダメージを負ったことは事実だった。
「僕の興味は、既に貴方に移ったのですよ。同じ魔法術師同士、少し、手合わせをしてみたい。嗚呼、このマギアを使って、本気で殺し合える機会を与えられた幸福を、神に感謝せねばなりません」
「な……何を言って」
「僕の魔法を見たでしょう?」
ナイジェルは地面に伏したままのセスに、ゆっくりと歩み寄っていく。心から悦びを爆発させるような、満面の笑みだった。
「貴方はあの時……僕がマギアを発動させる時、僕を見た。絶望的な大きさに膨れ上がった、自分達の命を刈り取るやもしれない氷の塊ではなくて、この僕を! 僕の! 魔力を!」
髪を振り乱し、自分の胸を叩きつけながら彼は叫んでいた。体を襲う激痛に眉を歪めるセスまでの距離は、残り三メートルほど。そこでナイジェルが足を止めた。目を瞑り、昂った感情を抑えるように深呼吸を数度して、再び口を開く。
「貴方は僕が作り出した目の前の幻影に惑わされることなく、僕の魔法を破った」
お見事、と言わんばかりに彼は拍手をした。その音は閑散とした街の中に溶けるように、虚しく消えていく。
ナイジェルのマギアは極めて周到だった。それこそ並みの一般人は愚か、手練れの魔法術師も呑み込みかねないほどに、完璧なはずだったのだ。
そもそも布石は1番初めーー彼がランスとキースを殺した時から既に撒かれていた。あの時ナイジェルは氷魔法を使った。そして次に使ったのは見た目上初歩的な浮遊魔法であり、その次もまた氷魔法。この戦いにおいてナイジェルは氷魔法以外を殆ど使っていなかったのだ。少なくともそう見えるよう細工されていた。
これはフェイクとブラフを相手にインプットさせるためであり、全てはあの時瞬間的に生み出した偽物の氷塊のを絶対に見破れなくするための罠だったのだ。
もし魔法の知識がある者なら、まず彼の氷魔法の多用からナイジェルが特化遣いなのではないかという疑いを持つ。
特化遣いとは、ある領域の魔法において極めて秀でた能力を発揮する、いわゆる天才タイプの魔法術師のことである。そして一般的に特化遣いは他の魔法に対して自分が得意とする領域の魔法の力量だけが突出しており、術師本人の若さや経験値にも拘らず、あらゆる魔法的常識の外に達するとまで言われるのだ。だからもしナイジェルが特化遣いであると仮定するならば、生み出した氷塊が本物であることに何の疑いも持たない。そこで無闇に障壁を展開すれば極低温の風は壁の横をすり抜けて術師の体内に入り込み、呼吸器を余すことなく凍りつかせる。これがナイジェルの巧妙かつ狡猾な作戦だった。
始めに作り出した氷の塊を囮にもう1つのマギアを構築するという戦法自体がありふれたものであることは否めない。しかし彼のやり方はあまりにも完璧だった。ましてや身なりの汚い盗人ごときに見破られるはずもなかった。
ナイジェルの撒いた布石に気づく鋭さ。
巨大な氷の短期生成が理論的に不可能であると分析できるだけの魔法知識。
土壇場で対策を思いつくだけ判断力。
そして何より、強大な力を持った相手を正面から見る勇気。
これらが1つでも欠けていれば、ナイジェルの作戦によってセスたちは全滅していたのだ。
盗人の息の根を静かに、なるべく街を損壊させず、かつ確実に止める。既にその目的は達成できなくなってしまった。完璧な計画はセスによって全て看破されたてしまった。
それなのに何故かナイジェルは、心底喜んでいるようだった。
(なんて狂気だ…)
隠密や護衛などもうとっくにどうでも良くなっているのだろう。おそらく彼はずっと待っていたのだ。自分の力を思う存分発揮できる状況を。
魔法術師はその貴重さゆえ、その殆どが国に騎士として配属される。つまり魔法術師であることと騎士であることはほとんど同値であり、マギアを使える者同士の戦闘は訓練の中でのみでしか行われないのだ。もちろんそこに命のやり取りはない。
ナイジェルは悪党や弱い魔物を魔法で蹂躙するだけの日々に辟易しながら、いつか出会えるかもしれない命の奪い合いに胸を焦がしてきた。そしてそれは今目の前にある。彼にとってまさに行幸だろう。ナイジェルは兼ねてからずっと欲しがっていた新しいおもちゃをようやく手に入れた子供のようだった。
セスが持ってきた台車に、彼は嬉々として歩み寄る。兼ねてからずっと欲しがっていた新しいおもちゃを手に入れた子供のような無邪気さだった。
「さて。貴方はどんなものを盗んだのでしょうか」
台車に被された布に手をかける彼を止めるだけの力はセスには残されていない。バサリという乾いた音とともに、怯えた少女の姿が顕になった。ナイジェルは驚きの表情を隠そうともせず、ただ口に手を当てながら失笑した。
「これはこれは。とんでも無いものを盗み出しましたねぇ」
「その子から離れろ……」
セスはゆらりと立ち上がる。
あの時。ナイジェルが極低温の風を放った時、セスは6人と同じように、尻尾を巻いて逃げることもできた。しかし彼がそれをしなかったのは、逃げた仲間を庇うためでもあったが、もう1つは少女のためだった。
あそこで少女を置いて逃げていれば、セスは傷つかなくて済んだかもしれない。だがそれはセスの心が断じて許さなかった。いくら貧しさから悪党に身を落としかけても、心まで悪党に染まったつもりは無かった。
罪のない少女を、あの監獄のような場所に戻すわけにはいかないのだ。
「いいですねぇ。回復魔法は要りますか?不意討ちのダメージが残っていては興ざめですし」
相も変わらず余裕ぶるナイジェル。セスは何も応えずに飛んだ。距離を詰めるまでにかかった時間は僅か数秒ほど。
「突進とは芸がない」
しかし彼は何でもないように、セスを魔法で弾き返した。バランスを崩した隙を見て、追撃として氷の槍を手から放つ。セスは紙一重のところで横転してかわした。
このやり取りの間、ナイジェルは微動だにしていない。魔法の力だけで、セスは完全に圧倒されていた。
「さあ早く貴方も魔法を使いなさい」
(……そんなことが出来たらとっくにやってるさ)
セスは自分の右手をチラリと眺めながら、苦い表情を浮かべる。
一発逆転の切り札のようなものは、セスの手にない。あるのはただ勝手にセスが魔法術師であると思い込んで、ナイジェルが戦いを仕掛けてきたという事実だけだった。
確かにセスには魔法に関する知識がある。それこそ並大抵の魔法術師を遥かに凌ぐほど豊富に。だが彼には絶対に魔法を使うことが出来ない理由があった。今のセスは泥の中でもがきながら、何とか生きているにすぎない。魔法術師となる未来など、とっくの昔に失われていたのだから。
セスは苦し紛れに、台車を覆っていた布を放る。唐突に視界を奪われたナイジェルが、少し身を引いた。
「憎しみよ、形を為して全てを焦がせ! ヘートレド・ブレイズ!」
セスが魔法を詠唱する。魔力も何も篭っていないハリボテだった。しかしそれはナイジェルに意外な効果を示した。警戒した彼が、目の前にマギア緩衝の障壁を作ったのである。その隙を、セスは見逃さなかった。
「チッ……逃げられましたか」
ナイジェルが悔しそうに呟く。緩衝の障壁が生成する座標は、術師の座標に依存する。よって発動している間は、それが邪魔をしてマギアを撃つことが出来ない。
うまくしてやられたと、もはや遥か遠方にあるセスの背中を歯がゆそうに見つめながら爪を噛もうとして……彼はそれを止めた。
「なーんてね?」
カクンと首を傾げると、ナイジェルは両手に力を込めた。先程とは比較にならないほどの膨大な魔力が、彼の手を包む。それは十数メートル離れた場所にいるセスの肌にすら、ビリビリと響いてくるほどだった。
ヤバい! とセスは少女を抱いて走りながら思った。おそらく今のナイジェルは少女を巻き込んでしまうことなど考えていない。単にマギアを行使したいという自分の欲求に従っているだけだ。
「万物を貫く氷牙となれ。アイシィ・ファング」
先の何倍も大きく、密度も高い氷の竜巻が、ナイジェルの手から放たれた。それはセスを吹き飛ばすためではなく、彼の身を貫き、命を刈り取るための、マギア。
獣の牙のような形をした『それ』は、ナイジェル自身の作った緩衝壁を軽々と打ち破り、その威力を一切落とすことなくセスの体を蹂躙したのだった。
マギアを発動してからしばらくして、ナイジェルは自分の迂闊さに気づく。
「はぁ……これでは二人共々、肉塊ではないですか」
頭をかきながら、彼は吐き捨てるように言う。しかしその反面、心はスッキリとしていた。彼の中では任務を全うに遂行できなかったことに対する反省よりも、久しぶりに全力のマギアを使うことができたことへの愉悦の方が、勝っていたのである。
彼らが生きていることはまずあり得ないだろう。が、一応生死の確認をしなければならない。彼は闇の中へと足を進めていった。
セスの逃げていった道を歩いていると、ふと誰かの泣き声が聞こえてきた。まさか他にも人を巻き込んでしまったのか?という不安に教われ、ナイジェルは足を速めた。
そしてその光景を見た時、彼は笑いが止まらなくなってしまったのだった。
「おにぃ……ちゃ」
何と少女の方は生きていた。そしてセスと思われる、背中から血を噴き出す人影を揺さぶっているではないか。
いくら興奮していたとはいえ、力を使いすぎていたことは百も承知だった。街中でそれほどのマギアを放ったことが王国側に発覚すれば、騎士としての地位を剥奪されてしまうほどの超高威力魔法を確かに放ったはずだ。
なのになぜ一人は生きているのか。まさか全ての攻撃をセス一人が庇ったというのか。
目の前の情景は、完全にナイジェルの理解を超えていた。
「凄いですよ本当に。一体どんな手品を使ったのですか」
ナイジェルは哄笑しながら、ふと少女の方に目をやった。彼女は健気にも、瀕死の重傷で身動き一つ取れないセスに、必死に声をかけていたーーが、そこでナイジェルの顔が青ざめる。
「マズい」
彼の顔に初めて浮かんだ、動揺。ナイジェルは水をかけられたように、頭が、興奮が冷えていくのを感じた。
「この場を離れなければ」
彼はそれだけ言い残し、その場から全速力で逃走した。その様子は何かに怯えているようだった。
「おにぃちゃん……おにぃ……」
ピクリとも動かないセスの体を、少女の涙が濡らしていく。彼らの背後の真っ暗な道からは、一筋の手持ちライトの光が迫っていた。