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第5話『魔導騎士』

 少女は無言でただセスの顔をじっと見つめている。

「君は……」

 セスが少女に問いかけた。しかし少女は応えない。どこか不思議そうな顔をして、首を傾げているだけだった。


(本当に人形みたいだ)

 少女の姿を観察するように、目線を上から下に移していく。その流れで彼女の手元を見たところで、彼女の手首を、硬そうな紐がろくに指の入る隙間もないくらいに強く締め付けていることに気付いた。


「すぐ外すよ」

 セスは急いだ口調で告げる。ポケットから護身用のナイフを持ち出して、紐を切った。

 薄く鬱血した手が自由になると、少女は痛そうに手首を擦っていた。もしセスがここに来ていなければ、じきに彼女の手は腐り落ちていたかもしれない。


 何て悪趣味なことを……こんな小さな女の子を部屋に閉じ込めて、視界を暗闇で覆って、手首にあざまで作らせて。

 ポルドー家がした非道な行いに、セスは奥歯を噛んだ。彼女をこのままここに居させてはいけない、そう思った。


「君はここにいるべきじゃない」

 少女の手を握りながら、セスが告げる。それに対して少女はどこかきょとんとしていた。この人は何を言っているのだろうか? というような顔で首を傾げている。


 よく考えてみれば、見ず知らずの人間に急にそんなこと言われて、驚くなという方が無理な話だった。

「悪かったね、いきなり変なことを言って」

 少女がぶんぶんと首を横に振る。


「ここが、君の部屋なのかい?」

 セスは彼女の隣にゆっくりと腰を下ろす。彼の行動に少し驚いたのか、少女は軽く硬直する。まだ彼のことを警戒しているのだろう。


「そうか、自己紹介がまだだったね。俺の名前はセス。君は誰?」

 すると彼の問い掛けに、少女は口をもごつかせた。そして困ったように手をパタパタと動かしながら、周囲を見回したのだった。そこで彼女の目には近くに転がっていたぬいぐるみが目に入ったようだった。質問に答える代わりに、ヘルシャはそれをずいと差し出したのだった。


「これは?」

 セスはぬいぐるみを受け取る。彼女が何を意図しているのか分からないまま、ぬいぐるみを裏返すと、その背中には名前が刻まれていることが分かった。先ほど熊のぬいぐるみにも見た名前である。


「ヘルシャーーそれが君の名前ってこと?」

 すると途端、少女の顔がパァッと明るくなった。そしてぴょんぴょんと小さく跳ねながら、首を縦に振る。それはもうオーバーリアクションがすぎるくらいの必死の肯定だった。自分の気持ちがうまく伝わったのが、よほど嬉しかったのだろう。


 彼女の可愛らしさにセスが思わず吹き出す。すると少女はむっとしたような表情を作る。

「ごめんごめん。あんまりおかしかったからさ」

 彼はぽんぽんと少女の頭を優しく撫でた。

 少女と目が合う。じっと真っ直ぐと、少女はセスの方を見つめていた。


(うーん……何を考えてるのかよく分からないな)

 不思議な子だ、とセスは改めて思った。何より出会ってからまだ一言も喋っていない。よほどシャイなのか、何か理由があるのか。

 するとその時、突然彼女の頬を一筋の涙が滑り落ちた。セスはびっくりして、彼女の頭から手を離す。


「ど、どうした? 他にどこか痛いのか!?」

 なぜ少女が泣いたのか、セスには検討もつかなかった。少女は彼のその言葉に対しても声を発しようとはしなかったが、ゆっくりと首を振って否定していた。そして袖で涙を拭うと、セスの左手を握りしめた。


「……」

 少女から発せられる無言の圧力。同時にどこか覚悟を決めたような目をしていた。身振りの類は無かった、セスには何となく少女の言わんとしていることがわかった気がした。




 時刻は午前三時すぎ。計画で決めていた集合時間を、すでに過ぎている。外の警備にあたっていた二人の男は痺れを切らしたようにため息を吐いていた。


「リーダーおせぇな。暇でしょうがねぇよ」

「まあまあそう言うなって。これで大金を貰えるならいい話じゃねえか」

 そんなやり取りをしていると、他の五人が屋敷から出てくるのが見えた。


「待たせたな。悪い」

 ランスの言葉に「おせーよ」と悪態をつきながら、男は髪をかきあげた。


「ところで三番。お前が押してるそれは何だ」

「台車だよ。見て分からないか?」

「俺が聞いてるのはその中身だ」


「それが俺も聞いてみたんだけどよ。教えてくれねぇんだ。よほど良いものを盗んできたに違いないぜ」

「ウン、ソウダネー」

「帰ってからのお楽しみってやつか。なかなか分かってんじゃねぇか」


 セスは機械人形のようにギリギリと首を回しながら、額に浮かんだ冷や汗を拭う。まさかこんなことになるなんて。


 実を言えばあの後、そのまま部屋から立ち去ろうとしたセスを、少女が袖を引いて呼び止めたのだ。そしてあろうことか、廊下前に置いていた台車に座りこみを謀ったのである。


 確かにセスは少女に対して「一緒に行こう」のようなニュアンスのことを言った。しかしそれは彼が後先考えずについ勢いで言ってしまったことであり、彼自身も迂闊な発言だったと反省をしていたことだった。そもそも少女を連れ出したところで、満足な衣食住すら保証できない身なのだ。彼女のことをどうこうする余裕はどこにもなかった。


(まさか本当にこうなるなんて)

 彼は内心頭を抱えていた。セスを除いた六人はこの布の下に凄いお宝が隠れていると思っているようだが、実際のところは中で小さな女の子が膝を抱えて座っているのだ。こんな事実、口が裂けても言えようか。


 セスは猛烈に苦悩していた。この後報酬を貰う予定になっている手前彼らの前から逃げるわけにもいかないし、かといってバレてしまうのも非常にマズい。側から見ればただの誘拐にしか見えないのだーーいや、セス本人から見ても単なる誘拐だが。


 セスは完全に頭を抱えていたが、前を歩く六人は彼の胸の内を知る由もない。しばらくはこのまま隠せそうだが、やはり隙を見計らってどこかに少女を移さなければならないだろうかーー。


 だがこうして彼が思考の海に落ちてしまったことは、ある種の油断だった。ポルドー家の敷地からもうすぐ出るとはいえ、彼らはまだ逃亡の最中である。作戦は終了していない。無事にアジトへ戻るまで、セスには悠長に考え事をしている余裕などない、はずだった。


 あまりにも作戦が滞りなく上手くいったことで、全員の緊張感は著しく欠落していた。すっかり凱旋ムードで、屋敷の門を潜り抜けようとする。

 致命的なミス。それにより全てが瓦解した。彼らは自分たちを見下ろす不穏な気配に、全く気付いていなかったのだ。


「やれやれ。ここの護衛は困ったものですね。僕がいないとこうも簡単に屋敷への侵入を許してしまうとは」

 若い男の声が聞こえた。姿は無い。


「誰だ! 出てこい!」

 ランスは腰に提げた剣を抜きながら、辺りを見回した。

「せっかちな人だ。呼ばれずとも行きますよ」

 そう答えると、男は彼らの目の前に軽やかに着地した。大方壁の上あたりから飛び降りてきたのだろう。


 背格好を見るに、男は16、7歳くらいの青年だった。随所に金の刺繍が施された立派な服装をしており、身体に付いた土埃を払う姿も、青年の育ちの良さ、気品が感じられた。だがその一方で、鋭い、獣のような瞳をしている、とセスは思った。視線だけで相手を射殺してしまうような。あれは紛れもない、死の雰囲気を孕んだ眼である。セスの直感はそう告げていた。


「悪いことは言いません。盗んだものを返してください」

 青年は手を差し出して、七人に向かって迫ってくる。身体の線は細く、とても腕が達者なようには思えなかった。だからこそ、キースは嫌みを込めた口振りで、


「返せと言われて返す泥棒がいるか。坊やは帰ってねんねしてるんだな」

と、彼を挑発するセリフを口にしたのだった。それに合わせて、他の連中もその青年を嘲笑するように、わっと声を上げた。


 しかしセスだけは額に汗を浮かべながら、唇を噛み締める。青年から漂う色濃い死の匂いに、なぜ誰も気がつかないのか。

「なるほど。あくまで返すつもりは無いと」

「たりめーだろ。てかお前、もしかして一人でこれを取り返しに来たのか?」

 ランスは男に貴金属を見せびらかす。


「ええ、それが僕の仕事ですので」

「へぇ……」

 ランスはニヤリと野蛮に笑う。


「どうしても取り返したいって言うんなら、やってみろよ。実力でな」

 完全に相手を挑発するような口ぶりだった。おそらく相手が自分よりずっと弱いと思って、無駄に余裕をかましているのだろう。


「まあ逆らうって以上、少し痛い思いをしてもらうがなーーッ!」

 青年に肉薄するランスに、セスが「よせ!」と声をかける。しかしランスは聞こうとしなかった。それはセスの言葉を「不用意に人を傷付けるな」という制止だと彼なりに解釈したからだろう。セスが言いたかったのは、そんなことではなかったというのに。


 そして次の瞬間、

「あ?」

 ランスの顔に青年の手がそっと触れた。ランスの口から奇妙な声が漏れる。数秒間、時が止まったような沈黙が彼らを包む。


 そして六人がようやく我に返ったのはーーランスの身体が糸の切れた人形のように、その場に倒れ付してしまった時だった。


 何が起きたのか、一同はまるで理解できなかった。しかしセスは暗がりの中で倒れ行くランスの顔が、氷で覆われていることに気づく。


「てめぇぇ! 良くも兄貴を!!」

 キースが怒りに任せて突っ込んでいく。だが彼の動きは、青年まであと一メートルーーといったところで止まった。


「足が……動か…」

 キースは畏怖の染みた顔で自分の足元を見た。そこで初めて、自らの体が足首から少しずつ凍りつき始めていることを知る。


「つ、冷てぇ! やめろ! 止まれ!!」

 彼は手をバタバタと動かした。おそらく氷の侵食を止めようとしたのだろう。

 だが、無意味だった。抵抗の甲斐も虚しく、凍結はみるみる進んでいく。むしろ氷に触れたところから伝染するように凍りつき、間も無く彼は氷の彫像と化してしまったのだった。


(魔法術師だ。それもかなり上位の)

 唾液を飲み込みながら、セスは身構える。他の四人は男にすっかり恐れをなしたのだろう、セスの後ろに隠れるように、身を引いていた。

 魔法術師。それはマギアを使える者たちの通称である。しかもその中で彼がかなり熟達した使い手であることは、今の魔法を見ただけでも明らかだった。


 彼の魔法には無駄がなかった。魔力を練り上げる速度、発動箇所の正確さ、そして何より相手に魔法の使用を悟られないための話術。幼いながら、全てが完成されていたのだ。それはまるで人を殺すためだけに作られた兵器のようですらあった。もし正面から戦うことになってしまえば、全員が一斉にかかったとしても、付け入る隙すら無く殺されてしまうことだろう。


 セスたちの空気は文字通り凍り付いていた。すると青年は満足そうに口の端を吊り上げる。

「夜分遅くあまり声を出されると近所の迷惑になりますからね。一番良い手をとらせていただきました」

 切れ長の目を細めながら、残った5人に近づいていく。敢えてそうしているのか、と思うほどに緩慢に。そして、


「申し遅れました僕はーー魔導騎士、ナイジェルという者です」

と、さらに背筋が冷たくなるほどに仰々しく頭を下げてみせたのだった。

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