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第3話『誘惑』

第3話です。

次回更新は明日の9時頃を予定しています。

 セスの背後に居たのは、リベルタで少し有名な兄弟、ランスとキースだった。ボサボサな長髪を不衛生に肩まで伸ばしているのが兄のランス。スキンヘッドに無精髭を生やしているのが弟のキースだ。彼らは共にジャックの店の常連であり、セスとも多少面識があった。


 彼らは互いに軽く目配せをすると、不気味な薄笑いを浮かべながら項垂れたセスの方に近付いていく。


「よおセス。こんな路地裏でうずくまってよ。どうかしたのか?」

 先に声をかけたのはランスだった。


「ランス。それにキースも。お前らこそどうしたんだ」

 セスは相手の姿を見るなり、警戒の態勢を取りながら立ち上がる。それも無理はない。セスは知っていたのだ、ランスとキースが共に犯罪を繰り返す無法者であったことを。

 2人は前々から素行の悪さは筋金入りだったが、最近ではもっと悪質なことに手を染めているという噂もある。何を企んでいるのか分からない以上、信用する理由もなかった。


「おっと、そう怖い顔すんなってセス。なんたって今日はお前に最っっ高に美味しい話を持ってきてやったんだからな」

 ランスがそんな思わせぶりな台詞を、やけに上機嫌で口にする。セスとしては嫌な予感しかしなかった。


「知ってるぜ~。確かお前、金が無いんだよなぁ」

 隣からキースが煽るような調子で口を挟んできた。

「……どうしてそれを」

「弟が昨日たまたまお前のことを見かけてよ。ある程度事情を知っちまったんだ。……ああ安心しろ、このことはまだ誰にも言ってねぇからよ」

 誰にも言ってない。ランスはそう言っているが、この2人以上に昨日のことを知られたくない相手など、セスには思いつかなかった。随分厄介な奴に弱みを握られてしまったものだ、と彼は心の中で舌打ちをした。


「なに、1日だけお前に少し手伝ってほしい仕事があるのさ」

「仕事?」

「ああ、報酬は50万リベルタ・オーロ。借金返しても余裕でお釣がくるだろ?」

「そ……そんなバカげた話があるか!」

 思わずセスは周りを省みずに叫んでしまう。


 50万リベルタ・オーロと言えば、1日の仕事の報酬としてはあまりにも極端に破格であった。それだけあればミスティの治療費も軽く賄えることだろう。今のセスにとっては喉から手が出るような話ではあった。

 が、一方でそのような大金たった1日で貰えるなんてことは普通あり得ない。話が出来すぎている、と思った。


「……犯罪絡みか」


 セスの額には、油汗が浮かんでいた。迂闊なことを言うと何をされるか解ったものでないという恐怖もあり、セスは二人の顔色を窺うように視線を動かす。するとランスがニィッと口を大きく裂いた。


「話が早くて助かるねぇ」

「ーーッ!」


 誤魔化す素振りもないランスに、セスが言葉を詰まらせる。発言を先読みされても全く堪えた様子がなく、むしろセスの方が精神的に追い込まれる形となってしまった。

 この地獄から這い上がりたいなら、もう大きな罪を犯すしかない。漠然と理解していた事実を、改めて目の前で突きつけられた気分だった。セスの心拍が早くなる。額に滲んでいた汗は塊となって頰を伝っていく。

「悪いが、断らせてもらう。犯罪の片棒を担ぐつもりは無い」

 彼は意を決したように告げる。それは他でもないセスの本心だった。ここで犯罪に手を染めれば、もう2度と普通には戻れなくなったしまうのだ。これはセスなりの最後の抵抗だった。


 その剣幕に彼らは少したじろいだ。ここから立ち去るとしたら、今しかないだろう。セスは浮き足立つ彼らを尻目に歩き出した。だがその後の、キースの「いいのかぁ!?」という呼び掛けに、彼は再び足を止めてしまったのだった。


「金が払えないと、その子はどうなるだろうな。相手はお医者様だ。採算取るために奴隷にされるか? あ、医療用人体実験の道具になるって線もありそうだよなぁ?」


 セスは踵を返すと、彼の胸ぐらを掴んだ。そのまま憤りと力に任せて、キースの首元をギリギリと締め上げる。キースの脚が、僅かに地から浮いた。


「あんなガキの命、元から無いようなもんじゃねぇか。何をそんなに怒ってやがる」


 キースは苦しそうな顔で、なのにどこか愉快そうに嗤っていた。罪無き一人の少女の命をまるで野生動物のそれのように軽んじながら、笑っているのだ。


(よりによってこんな下衆にーーッ!)


 そしてセスが包帯で巻かれた方の拳を固く握りしめた、その時だった。


「そうすぐカッとなるなよ」

 ランスはあまりにも冷静な口調で二人の間に割って入る。


「まずはキースから手を離せ。何も俺たちはお前と喧嘩したいわけじゃないんだからよ。キースも煽りすぎだ」

 ランスの言葉にハッとして、セスは手の力を緩める。その隙にキースがセスの手を払いのけ、拘束から脱出した。


「けどよ、お前も本当は分かっているんじゃないのか?」

 ランスが一歩、セスの方に歩み寄った。ジャリ、と砂を踏む音が、セスの耳の中でやけに大きく響く。


「俺たちは悪くないぜ。悪いのは社会なんだからよ。正直に、真っ直ぐ生きたらバカを見る……そんな社会が悪い。違うか?」

 諭すような声色で、ランスが左手を差し出す。セスはハッとした。


(自分と、同じだ)


 彼の手はすり傷だらけで、爪には土が詰まり、歪に湾曲していた。それは自分の手とよく似ている。激しく過酷な労働の中で奴隷のように扱われた者の手である。ランスと地震の手をじっと見比べていると、胸の奥から段々と忸怩(じくじ)たる思いが沸き上がってきた。


 大きな雲が空を覆っていく。彼ら三人の元に届く日光はぐんと減り、周囲は影を落としたような明るさにまで落ちた。ついさっきまでずっと遠くで聞こえていた喧騒が遠ざかり、今この街では自分たちだけが違う空間にいるような、そんな気がした。


 自分たちがどんなに頑張っても、奴らはそれを認めない。上流階級の人間はセスやスラムの子供たちを、足元を飛び回る虫けら程度にしか、思っていないのだ。


 世界一幸福なリベルタですら人の命は平等ではない。なら他の街は? 何の罪もない子供達がミスティのように、いやその何倍も辛い思いをしているというのだろうか。


(そんなの絶対におかしいだろ……ッ)


 セスの掌はうっすらと血で滲み始めていた。

 もし、もし仮にだ。手に入れたお金からミスティの治療費を払い、残った分を元手に何か大きなことを始めるとどうなるだろう? この絶望的な現状は少しでも変わる?空っぽの腹を抱きながら、路上で寝るスラムの子供たちを、ひょっとすると救うことができる?

 セスの心の中も、日が傾き、ずっぷりと影に覆われていく。


「そう……かもしれないな」


 ランスの言う通りだ。悪いのは社会。一部の人だけが私腹を肥やし、ミスティのような子供が見捨てられていく現状が、正しい訳がない。彼らを救うためにーーこれは仕方ないことだ。


 セスは覚悟を決めたように息を吐くと、ランスの手を握り返す。

「仕事の内容を教えてくれ」

 こうしてセスは、まんまとランスの甘言(かんげん)に乗ってしまった。ランスは下卑た顔で「あいよ」とだけ答えた。




 ランスの言う仕事とは簡潔に言えば、強盗だった。ある貴族の屋敷を襲撃するというシンプルな計画である。そしてその屋敷というのは、リベルタ有数の名家として知られる貴族、ポルドー家の屋敷だった。


 ポルドー家は表向きでは国を跨いだ大規模な商業で財を築いてきた、ということになっている。しかし実際に彼らが扱っていた商品のほとんどは、生きた人間だった。魔族を使って子供を拐わせ、人身売買によって莫大な利益を出していたのである。


 最近では奴隷制度廃止の動きが大きくなったこともあり、ポルドー家も奴隷産業から手を引いたという噂だが、それが事実なのか。少なくともセスの知るところではなかった。


 ランスによると、計画のための既に人数集めや役割分担は済んでいるようだった。セスは2人と同じ、金目のものを物色する役に当てられていた。


『準備するものは全部用意してある。手ぶらで来てくれて構わない』


 そんなランスの言葉通り、セスは何も持たずに集合場所までやって来た。午前1時を示す時計塔の前で、彼は辺りを見渡す。夜の冷気が服のすき間をくぐり抜け、セスは軽く体を震わせた。


 少し早すぎたろうか。しかしセスの懸念は杞憂に終わった。共謀者と思われる男たちが、続々と集まってきたのである。集合時間の15分ほど前には、ランスとキースを除く5人が既に集まっていた。


(ガタイの良い男が全員か……魔族の血が混じってそうな奴もいるな)


 彼らは全員覆面をしており、実際の顔はあまりよく分からない。しかしその体つきは、もしかすると布切れ1枚下には鋭利な牙やツノが生えているのではないだろうか、と思わせるほど人間離れしたものだった。よくもこんな恐ろしい集団を集めたものだ、とセスは思った。


 彼らはみな今回の襲撃の共犯者なのだろう。こうしていると今までどこか覚悟の決まっていなかったセスの中にも「自分はこれから強盗をするのだ」という実感が、改めて芽生えてくる。


 自分していることは本当に正しいのか。いくら相手が非人道的な人身売買を繰り返す悪徳貴族だったとして、強盗は正当化出来ることなのかだろうか……。

 セスにはその答えが分からなかった。セスが何とかこの場に立っていられているのは、「ただそれでも何の罪も無い人間を傷つけてしまうよりはよっぽどマシだ」という意識があったからだった。

 心の中での問答が一区切りつくと、セスは辺りを見回す。よく見ると自分を除いた共犯者たちは、既に全員覆面を着けている。


(もしかして……俺も持参すべきだったんじゃ?)


 考えてみれば顔丸出しの強盗犯なんて見たことも聞いたこともない。セスは自嘲気味に笑った。こういうことに不慣れであることは実感していたが、まさかここまでとは、という自身への嘲けりだった。セスはキースの言葉通り何の装備もなしにやって来たわけだが、キースの発言には「最低限の準備くらいはしてこい」という隠れた意図があったのも知れない。


 善人になることも、悪人になることも出来ない、という中途半端な自分。その姿を、目の前にまざまざと突き付けられた気がした。

 ……それと何となく気まずかったので、セスはランスらがやって来るまで顔を両手で覆っておくことにした。


「よお。全員揃ってるか?」

「あぁ、こっちはとっくに揃ってるぜ」

 ランスの問いかけに対して、仲間内で1番ガタイの良い男が答える。


「そりゃ良かった。んでそこの奴は……」

「セスです」

 依然として顔を隠したままのポーズで、セスは答えた。


「おー、ちゃんと来たか。ビビって逃げ出すんじゃないかと思ってたぜ。ほらお前用のマスクだ」


 それを聞き、少しセスの肩の力が抜ける。セスが何となく曖昧な感謝を示すのに構わず、ランスはマスクを彼に手渡した。

 次の瞬間、マスクを顔に近付けたセスが思わず「うえっ」とのけぞる


「臭ッ! 何だこれ」


 マスクというより、腐った布のような異臭である。何の心構えもしていなかっただけに、破壊力は抜群だった。


「あー悪い。それ間違えて牛小屋に放置しちまってたやつでな」

 ランスは気まずそうに頭をかいていた。

「そんなやつを渡すなよ!」


 ランスに対してツッコミを入れながら、セスはマスクを投げつける。ランスはそれを難なくかわしたが、不幸にも同一直線上にいた弟のキースの顔面に、その激臭マスクがクリーンヒットしてしまったのだった。

 キースは「わっぷ」と反射的な声を上げた後で、


「あぎゃあくっせぇぇぇえええ!!」


 少し過剰なくらいに悶え苦しみ始めた。どうやら軽く口の中にも入ってしまったらしく、口を押さえて繰り返し嘔吐するような素振りを見せていた。


 勿論ランスは本気でセスに激臭を放つ覆面を着けるよう強いていたわけではなかった。あくまで場を和ませるための軽いイタズラのつもりで、わざとセスに臭い覆面を渡したのだ。ただその結果、自らの弟が地べたの上を無様に転げ回るのを見下ろすことになるとは夢にも思わなかっただろうが。


 とはいえこの一連のやり取りで殺伐としていた一同は笑いに包まれ、セスの緊張も幾分和らいだのだから、ランスの思惑はある意味うまくいったといっても良いのかもしれない。

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