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一、恋をしよう ⑧

 月曜日。

 校門を潜ると、いつも通り誰とも会話せず、いつも通り誰とも目を合わせないまま席に着く。


「おはよう」


 隣から、か細く、か弱く、聞くものを不安にさせる声。

 オレンジ女のものだ。


「……ああ、おはよう」


 ぼそり、と挨拶を返す。

 今僕はコミュニケーション能力の進化を感じている。僕にもこのくらいのことは出来るようになったのだ。

 それと、自分から挨拶などするあたり、オレンジ女もまた少し成長しているらしい。素晴らしい傾向だ。


「夕季燈華」


 挨拶だけかと思っていたら、一度顔を背けたはずのオレンジ女が不意に声を上げる。

 ユウキトウカ。

 何の話だろうか。


「えっと、何かな?」


「私の、名前。燈華って呼んで」


「あ、ああ」


 こいつの名前だったか。唐突にそれだけ言われても分かるわけがないだろう。

 何故だか知らないが、急にグイグイ迫ってくるようになっている。

 先週までは他に人の目があれば僕に話し掛けることすらできなかったはずなのに。


「連絡先、()()()、交換してくれない?」


 今度は連絡先か。なんだろう、最近随分こういう事が多かったせいであれだが、これも物凄く精神エネルギーを浪費する行動であるはずだ。オレンジ女は多少方向性こそ違えど僕と殆ど同類の人間だと思っていたのだが、一体全体何が彼女をここまで変えてしまったのだろう。この見た目も手伝ってそれなりの声量で僕に話しかけるという行為は人目をそこそこに集めてしまっている。

 スマートフォンを取り出し、こいつの連絡先を登録する。

 夕季燈華。この字面。

 なるほどこいつは母から受け取った普段読み慣れない小説を馬鹿正直に読んだあたりといい、名前から連想される色に髪を染めたことといい、もしかすると中々のマザコンであるのかもしれない。


 待て。


 私とも、だと?


 そこに累加の助詞が付くのはどう考えたって不自然だ。口頭でのやり取りである以上、意味もなく言葉が歪むこともまああり得るだろうが、こいつはあまりそういった、話し言葉を雑に扱うタイプでもない気がする。普段喋らない分、むしろ言葉の一つ一つを丁寧に扱うはずだ。発せないならともかく、意識と矛盾した言葉を発する可能性は低いと考えられる。


 とすると、この女、夕季燈華は知っていたのだ。


 僕が他の人間と連絡先を交換したことを。


 どうやって?


「オレン……いや、燈華。君はなぜ『私とも』と?」


 動揺から少し普段の思考が漏れ出て実際にオレンジ女などと呼んでしまいそうになった。もし口に出してしまえば、非常識なのはこいつの頭ではなく一転僕の方である。


「え?……ああ、言い間違えちゃった」


「……本当に?」


「本当だよ。ほら、君だって今、何か言い直してたよね。会話なんてそんなものなんだよ……どうかしたの?」


 その通りだ。

 その通りでは、あるのだが。


「いや……なんでもないよ。変なこと聞いて悪かったね」


「ううん、そんなことないよ。いっぱい喋れて、嬉しいんだ、私。なんでも聞いてよ」


 頰に紅が差し、屈託のない、心の底からの笑顔を見せる燈華。これが偽りだとはなかなか思えない。実際、この言葉自体は本物なのだろう。


 私とも、という言葉が言い間違いであるという、ただその一点だけにおいて嘘がある。


「それはよかった。ああ、もうホームルームが始まるみたいだね」


「うん、じゃあ、また後で話そうね」


 隣の席だというのに、そう言いながら笑顔で手を振る燈華。

 本当に、何が起こったというのか。


 考え得る原因。


 僕への恋慕。


 考えられないことではない、というかはっきり言って部分的にはそれが理由だと考えられる。自惚れとも取れる考えだが、客観的に見て多少なり燈華が僕に好意を抱いていることは少なくとも間違いない。

 しかしながら、それが全てでないのもきっと間違いないだろう。それが全てであるというのなら、少なくとも先週の燈華であれば、むしろ萎縮してしまってろくに話すことすらままならなかったはずだ。僕への好意、というのは、例えば思い詰めて告白をするような、そこまでのものでは決してないはずだ。多少なり、なのだ。


 別の原因。何がある。


 葦葉の言葉。確か奴は、僕の告白紛いの叫びが、いや当時は告白でしかなかったのだが、とにかくそれが学校中に噂として広まっていると言っていた。

 それか?

 噂がどこまで僕のことを詳細に伝えているのかというのを知らないのだが、まあ見知った人間なら僕の事を特定できる程度であるとして、唯一話せる、仄かな恋心を寄せる男が他の女に告白したとあれば、なるほど背中を押されるのも必然であるかもしれない。不自然に積極的なのも多少納得がいく。私とも、という言葉は、僕と相手、つまり糸森愛祇とが連絡先を交換したであろうという予測から。


 しかしながら、普通に考えれば、告白というのは成功するか失敗するかの二択のみを結果として孕んでいる。連絡先の交換という予測に行き着くには告白が成功したと考えるか、あるいは今回の顛末を正確に知っていなければならない。燈華の態度は、どちらかと言えば顛末を知っている人間のそれに見える。

 噂とやらがどの程度の精度で、そして結果までを織り込んでいるのかどうかというのを確かめる必要がある。


 もし噂が告白したという部分のみを語るものであった場合、浮かんでくる第三の可能性……いや、あまりこれについて考えるべきではないな。


 とにかく、噂を噂として認識している人間に話を聞きたい。

 僕が連絡先を持っている相手の中だと……燈華は論外、糸森は当事者、蒼山はあの様子だとこの件について知らなくてもおかしくなく、葦葉には告白ではなかったと話してしまっている。

 強いて言えば蒼山か葦葉……とりあえず蒼山に聞いてみるか。メッセージを送っておくことにする。考え事をしているうちに授業が始まっていたようなので、返ってくるのは早くて数十分後か。ルーズな授業スタイルであるとはいえ、授業中に携帯をいじるような人間はそう多くない。全体として意識が高いのもあるが、そういった雰囲気のもとで他人がそうしているのを見たクラスメイトが嫌な顔をするのが大きいだろうか。僕は後ろの角席なのでそういう嫌な視線を気にすることもないが、蒼山の席は最前列であり、なかなかそういったことはしにくいだろう。

 僕は大人しく読書でもしておくことにするか。

 尤も蒼山は別件に頭を悩ませている可能性もないではないのだが。


 そう考えて本を取り出した矢先、燈華からスマホにメッセージが届いた。『今誰とやり取りしてたの?』とある。


 この女、めんどくさい彼女みたいになってきていないだろうか。


『プライバシーだよ、黙秘させていただこう』


『ふうん?

 ああ、例の告白した相手とか?

 噂になってたよ』


 こいつからその話題に触れてきたか。そこまでおかしくはないが、こうなるとなんらかの作為を感じざるを得ないな。

 私はこの件に関して噂されている以上のことは知りませんよ、と釘を刺しにきているようにも捉えられる。


『違うね。

 まあプライバシーだのとのたまっておいてなんだけど、わざわざ隠し立てする必要もないし、言ってしまうと蒼山という子だよ。

 同じクラスだし燈華も知っているんじゃない?』


『うん、知ってるね。

 なんなら彼女のことを彼女の友達よりもよく知っているかも』


 よく知っている、か。

 さて、この女は一体どこまで蒼山、あるいは僕のことを知っているのだろうか、というのは少々邪推が過ぎるだろうか。


『こころ、面白かったよ。

 特に先生の遺書のところが良かったな。先生がKの気持ちを知った後でお嬢さんに言い寄ったのって、きっとお嬢さんへの愛というよりはKへの劣等感からだよね。

 こういう気持ちの動きを書いたのが純文学なんだなって思ったよ』


 そうなのか。完全に初耳だ。

 こゝろはさすがの僕も一度読んだことがあるが、そんなところにまで考えが至ったことはなく、単純に先生がお嬢さんを好きだったからだとかそんな程度の話だと思っていた。

 愛だ恋だとかいうものは、僕が考えるよりさらに複雑怪奇な感情であるらしい。


 さすがに燈華も偏差値相応の思考を持っているというか、文学を真に楽しめるのは読みながらこういうところまで考えられる人間なのだろうな。

 僕としてはそのあたり勉学において悩みの種であるので羨ましい限りである。古典にしろ小説にしろ、やたらめったら恋愛を題材にしたものを持ってくるのは勘弁していただきたい。


『いや、奇しくも僕と同じ考えだね。

 まさに文学といった感じだ、うん』


 全然わかっていないが、僕は自分をよく見せるための嘘を厭わない。

 時に情けない真実の吐露もまた厭わないが。


『それで、今度さ』


 メッセージが届くと共に、隣に座る燈華がこちらへ微笑と共に視線を送る。

 どこか昏い、今までのこの女からは感じ取れなかった雰囲気がある。



『私にも、君の歌、聴かせてくれないかな』



 蒼山からの返事を待つまでもなく自白しやがった。


 確定だ。

 第三の可能性。

 情報的優位によって生み出される精神的余裕。


 第三と言っても恋愛感情とも関連するものであるが、このオレンジ女、夕季燈華は、僕に対してのストーキングあるいは盗聴を敢行していた。

 そしてどうやら、それを隠し立てする気もないらしい。

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