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一、恋をしよう ⑤

  長かった一週間も終わり、本日は土曜日である。連休明けの通学であり、そして何よりこれまでほとんど他人と会話することがなかった僕がこの五日間あくまで以前の僕と比較してではあるが非常に積極的にコミュニケーションを取りにいっていたため、疲労も相当に溜まっている。この休日は一面の砂漠に咲くオアシスのようにさえ思えた。


 休日、と言っても我が校には実は任意参加の土曜授業があるのだが、当然僕は行かない。そもそも高校という遊びたい盛りの時期にわざわざ強制されていない授業に参加しようというほどに勉学に対して意欲的な人間がいるものであろうか。

 一度も行ったことがないので実際のところはわからないのだが、きっと教室では閑古鳥が鳴いていることだろう。


 しかしこうは言ったが僕は平日、授業日も決して嫌いというわけではない。授業を聞き流しながら読書やデッサンなどに勤しむというのもなかなか趣があるものである。

 あまり騒がしい授業だとさすがに苛立つこともあるが、この学校全体として私語にはそれなりに厳しいためそうそうあるものでもなく、特に日本史の授業などは念仏のような講義と生徒の寝息とが細流(せせらぎ)のような心地良さを与えてくれる素晴らしいものである。


 この文言だけ聞かれると僕が不真面目な生徒であるかのように思われるかもしれないが、実際にはむしろ一般的な生徒より余程勤勉である。授業を聞かない分、家で授業範囲その他を学習しているのだ。それを言えば今度はわざわざ家で勉強するくらいなら授業をしっかりと聞いていた方が効率がいいであろうと考えるかもしれないが、僕の場合は一人で勉強していた方が圧倒的に効率的だ。他人の声を聴くのがそもそも非常に苦手であること、散漫であり60分の授業の間到底集中が続かないことなどが主だった理由である。


 それで、僕が休日に行うことといえば結局のところ主に読書だとか勉強だとかになるわけだが、それらから少し逸れた趣味として、一人でカラオケに行くことがままある。


 つい最近まではカラオケなど僕のような日陰者には生まれてから死ぬまで縁のないものであると考えていたのだが、一人でやる分にはこれがなかなか性に合っていた。

 誰の視線に晒されることもない個室、というあたりが僕の琴線に触れたのだろうか。さしてお金がかからないのも良い。一時間程度なら200円から300円程度か。僕の場合あまり長く歌おうとしても体力が持たないので時間もそのくらいが丁度いい。


 そういうわけで今日も一人でカラオケに来ていたのだが、どうも今日は普段通りとはいかない様子だった。


「君、いっつも一人で来てるよね」


「失礼します」


 さっきからちらちらこちらに視線を送ってきていた茶髪ロングに青カラコンのヤンキー女に声を掛けられた。

 さっさと逃げることにする。なんだか知らないが、今後この店は使えないな。目を付けられていたようだ。


「待って待って!話くらい聞いてよ!」


「無理です」


 そう言って振り向かないまま早足で歩いたのだが、肩を強く掴まれる。

 カツアゲか何かだろうか。リフレッシュするつもりで来たのにこれだ、勘弁してほしい。

 僕の身長が現在171cmなのだが、この女も僕と変わらない程度の高さだ。女性として見たときには非常に高い部類だろう。その容姿と併せてかなり威圧感がある。


「いやあ、えっとね、あたしは普段ここでバイトしててね、それで君が結構頻繁に来てることを知ってて、今日声をかけてみたんだよ。怪しくなんかないでしょ? ね?」


 怪しいというより怖いから逃げていたのだが、その程度の釈明では怪しささえ全く払拭できていない。


「……何か用ですか?」


「相手がいないなら今日はあたしと一緒に入らない?」


「遠慮しておきます」


「いやいやいやそう言わずに!ね!頼むよ助けると思ってさ!」


「……助ける、とは」


 カラオケへの誘い文句としては少々違和感のある言葉だ。このヤンキーがしっかり考えて言葉を扱っているとも思えないので、僕一人勝手に引っかかっているだけかもしれないが。


「そう、そうなんだ。あのね、あたしにはその、好きな人がいてね、その人と今度カラオケに行くことになったんだけど、今までその人みたいなタイプの男の子との付き合いがなかったからさ、どういう曲が好きなのかとかわからなくて、それで知っておきたいんだよね。その人が君みたいなタイプだからさ、参考にしようと思って」


 君みたいなタイプ、とはつまりまあ所謂隠キャだと言いたいのだろう。

 だとするなら僕を利用してのリサーチなど的外れもいいところである。

 隠キャも千差万別であるのだ。

 洋楽しか聴かないような奴からアニメの主題歌しか知らないような奴まで何でもいる。別に隠キャという括りに限った話ではないだろうが、雰囲気が似ているというだけで曲の好みまで似ているなんて普通に考えて有り得ない。

 それ以前にそもそも好きな人のためだからといって、ほとんど知らない相手をいきなりカラオケに誘うなどという逆ナン紛いのことまでできる神経が理解できない。

 しかしそのあたり説明するというのも面倒なので、適当な事を言って逃げたいところだ。


「僕はそういうタイプではありません。それでは」


「どう見てもそういうタイプだよ」


「……僕はこう見えて女の子の友達がいます。それでは」


「そのくらい誰にだっているでしょ!いいから一緒に来てよ、ほら、同じクラスの誼でさ」


 想定の1.5倍ほど強引な女だ。突然人の足の甲を踏み抜いたりしないだけマシだろうか。

 いや、今、同じクラスだと言ったか?


「同じクラス、とはつまり、僕と同じ教室で授業を受けているという意味ですか?」


「……もしかして気付いてなかったの?」


「よく入学できましたね」


 つい悪態が口をついてしまった。

 僕の学校、思っていたよりあれなのかもしれないな。


「うるさいな!見た目で判断しないでよっ!」


 髪を染めるのは自分の意思によるものなので十分判断材料になるだろう。

 そもそもそれ以前にお前が見た目で僕を判断していただろうが。

 まあ同じクラスで僕のことを知っていたのだから普段の生活態度などから判断したのかもしれないが、いや、どうでもいいか。

 バイトをしていて見かけた、という以外にも接点があったというのなら急にこんなことを頼んできたことにも多少なり理解が追いつく。

 クラスメイト、というのは案外太い繋がりなのだ。例えば従兄弟だとかよりも余程。


「もう部屋取っちゃうよ、いつまでもエントランスで話してても迷惑でしょ」


 そちらが諦めれば済む話なのだが、まるで僕も共犯者であるかのような扱いだ。縋っているのもうるさいのもお前だぞ。


「まあ引き下がりそうにもないですし百万歩譲ってカラオケに付き合うのはいいですけど、奢ってくださいね」


「うん、最初からそのつもりだよ」


 ヤンキーは気前がいいな。


 受付とのやり取りもヤンキーに任せてしまう。僕はこういったことが非常に苦手であり、レジに買い物カゴを持っていくのにもやたらと緊張するほどだ。


「はい、とりあえず二時間で……え?カップル割引? い、いや、あたしたちそういうのじゃないんで!」


 適当な事言って割引を適用させるタイプかとみていたが、どうも結構初心であるらしい。

 いや、話を全て信用するのならヤンキーには恋焦がれる相手がおりここはヤンキーのバイト先でもあるそうなので、誤解を避けようと考えるのはごく自然な反応であり、初心だとかいうことでもないかもしれないな。


「はい、これ、ドリンクバーのグラス。部屋番号は307だって。先行ってるからあたしの分のコーラも注いできてね」


 カラオケでコーラか。どう考えたって喉に負担のかかるドリンクだ、カラオケ店でバイトしているにしては意識が低すぎるな。

 僕は水にしておこう。

 お茶のカフェインなどもこれから歌おうというときにはあまりいい効果を及ぼさない。水が最適解だ。


 まさかとは思うが、彼女らのような人間はカラオケ店に歌唱力の研鑽を目的として来ているわけではないのだろうか?

 きっとそうだ。そもそも彼女らのようなタイプは複数人でカラオケに行くイメージがあり、それは上達を見込むにしてはあまりにも非効率的だ。

 だとすると、この水という選択は失敗であり、今後複数人でカラオケに来る機会があった場合に同じことをすれば浮いてしまうかもしれない。既に孤立し人の輪から少々ならず浮いている身で何をと思われるかもしれないが、僕のような人間は周囲から浮いてしまうことを嫌うのだ。

 この場でこの結論に辿り着くことができたのは僥倖だった。


 既に注いでしまったコーラと水を抱え、エレベーターを利用して三階にある部屋へと向かった。着くとすぐに扉を開く。


「遅くない?」


「ちょっと考え事してたんですよ」


「考え事? ふうん? あたしでよかったら相談乗るよ?」


「遠慮しておきます」


 あなたに言っても理解していただけそうにないですからね。


「遠慮なんてしなくていいのに。あたし聞き上手って評判なんだよ?」


 聞き上手かどうかは知らないが、相談者からの評判が良いことは短いスカートを履いているにもかかわらず脚を組んでいることから容易に想像できる。理性の塊のような僕であるからどうとも思わないが、もし並の男がこの状況に置かれたらどうなってしまうかわかったものではない。彼女は僕の好みでこそないがなかなか整った容姿と男好きのしそうな豊満な体つきをしており、そういったサービスは最大限の効果を発揮するだろう。かくいう僕も彼女の少々開いた胸元にはほんの少しだけ視線が吸われないでもない。


 バレていないよな?


「ま、いいや。君の好きな曲入れてよ、参考にするからさ」


「そうですね……」


 今の僕には選択肢が無数に用意されている。

 僕は聴く曲をジャンルやアーティストなどで選り好みしないためだ。人気の有無も然程気にせず、近所のレンタルショップで片っ端から借りて聴いていた。

 中学時代の小遣いなどはほとんどそれに消えていた。高校に入って以降はあまりそういったこともしなくなったが、そういった下地があるため僕のレパートリーはなかなかに広い。


 彼女は僕の歌う曲を参考にすると言っていた。

 それはつまり、僕が今ここで歌う曲をその想い人の前でそのまま歌うとみて間違いないだろう。

 彼女の生殺与奪を握っているのは僕だと言って過言ではない。

 さて、どんな曲を入れてやろうか。


「そんなに悩まなくてもいいよ」


 お前のためを思って悩んでいるわけではない。


「そりゃあ好きな人の好きな曲をちゃんと知れた方が嬉しいけど、あたしはその手段として君に好きな曲を教えてくれるよう頼むということを選んだの。その私の好きな人がどんな曲を好きかなんて、君が深刻に考えることじゃないんだよ。君の好きなものを入れてくれればいいの。それに、無理矢理誘う形になっちゃった以上、できるだけ楽しんでもらいたいし」


 ここにいない人間を思うかのように逸れた目線と少々紅潮した頰、それに優しさをそのまま空気の震えとしたかのような暖かい声。

 内容にも、しっかりとした考えがあった。心根の素敵な人間であるということがありありと伝わってくる。


 なるほど、なかなかどうして、こいつはきっと、あらゆる男からモテるのだろう。


「……そのセリフ、用意してきました?」


 照れ隠しなどとは思いたくないが、また悪態をついてしまう。


「そんなんじゃないから!いいから早く入れて」


 なるほど、この女の心根がそのようであるのなら、僕が本当に彼女の見た目からその内面の認識を誤っていたというのなら、謝罪の意味も込め、僕は最大限の敬意をもって報いてやろう。


「……じゃあとりあえず一曲入れますけど、あなたもちゃんと歌ってくださいね。二時間なんて、僕の喉、到底持ちませんし」


 そう言って僕は、ある海外の女性歌手の曲を入れた。情熱的でありながらとても綺麗な曲であり、これはきっと、このヤンキー女が歌うのならば、恐ろしいほどに映えることだろう。


 マイクを手にし、イントロから少しして喉を開く。




 終了。僕自身なかなか満足している。


「……いやっ、君、ものすごい歌上手いんだね。びっくりしちゃった」


「まあ結構頻繁にカラオケ来てますしね」


 付け加えるなら上達するために、だ。これで音痴だなどと言われるような程度では報われないにもほどがある。


「じゃあ次……って、もう入ってますね。あなたの歌唱力も知っておきたいので、しっかり歌ってくださいね」


「まかせてよ!」


 表示された文字によれば、人気アイドルグループの最新の楽曲であるらしい。

 ヤンキー女が可愛らしくマイクを抱え、口を開く。



 そこから先のことは、あまり思い出したくない。



「────どうだったかな、私の歌!」


「……生まれ変わって出直してください」


「嘘っ!?そんなにひどかった!?」


 そもそもは恵まれた声をしているはずなのに、いざ歌となるとここまでの結果を残せてしまうのはひとつの才能と言って過言ではないのではなかろうか。


 選曲がどうとか、そういう問題ではない。

 僕が払った敬意は全て無駄だったようだ。


「この酷さに気付かないってことはないと思うんですけど……今まで友達とカラオケ行ったりしたことないんですか?」


「あ、あったけど……みんな上手いって言ってくれたのに……」


 イエスマンしか周りにいないのか、酷すぎて誰も言う気にさえならなかったのか。


「あの、お、教えてください!私に歌を!」


 僕の表情などから真実であると察したのか、切り替えの早さには感心する。歌唱力は本当に問題外だが。


「可能な限り頑張りますけど……これがどこまで改善されるのか……」


「この二時間で、できるだけ!お願い!」


「だから手伝いますって。とりあえず、さっきと同じ曲入れてください」


 趣旨が変わってしまった。



 その後二時間、彼女のレベルに合わせて僕が教えられることを全て教え、ぎりぎり聴ける程度までには改善された。

 やはり遊びながらこの学校に入れる程度には要領がいい、ということだろうか。遊んでいたというのは僕の推測だが。


「す、スパルタだね、結構……ちょっと声枯れちゃったよ」


「感謝してくださいよ、僕が他人のためにここまでするなんてまず有り得ないですからね」


 自分で言うのもなんだが。


「う、ありがとう、ございます……」


 あって当然の感謝である。ちょっとした災害レベルであったヤンキー女の歌唱力を一般的な小学生程度のレベルにまで一気に引き上げることに成功したのだ。僕には教える才能もあるのかもしれないな。


「じゃあ、部屋を出ましょうか。当日は頑張ってくださいね、僕がここまでしたんですから」


 少し前に、時間終了10分前ということを伝える電話が掛かってきた。そろそろ出なければまずい。


「当日……? ああ、そっか、うん、頑張るよ」


 当初の目的を忘れるほど消耗しているらしい。そこまでした覚えはないのだが。



 受付に行くと、ヤンキー女は宣言通りきっちりと僕の方の料金も払ってくれたようだった。今日の内容からすればなんなら僕はお金を貰って然るべきだと思うのだが、冗談でもあまりがめつくいける性格ではないので口には出さない。


「今日は本当にありがとうね。連絡先交換しとこっか」


 連絡先。さらっと言えるあたりヤンキーである。

 高校入学時に親に買っていただいたこのスマートフォンに入ったコミュニケーションアプリに登録された連絡先は現在家族と銀縁女、糸森愛祇のみであるので家族を除けば通算二人目の連絡先になる。


「はい、終わり!これからもよろしくね、ミツル」


 これからもよろしく、というのは、パシリが欲しくなったら呼び出すから待機しておけよ、ということだろうか。恐ろしい。

 というか下の名前をさらっと呼び捨てにしてくるあたりもすごい。僕の下の名前をそのまま呼んでくる相手など血縁を除けばこの地球上に存在しなかったというのに。


 そしてその言葉を最後に、ヤンキー女、もとい、蒼山(あおやま)ミリィは去ってしまった。

 蒼山ミリィ、というのはこのコミュニケーションアプリに設定されていた名前であり、ミリィなどという痛々しい名前はもしかしたら本名でないのかもしれない。純日本人の子にカタカナでミリィなどと名付ける親もそういないだろう。

 いや、もしかするとそもそも日本人ではないのか?

 ハーフであるとするなら、あの青い瞳や茶色い毛髪、高い身長にもしっかりと説明がつく。

 ヤンキーなどと認識するのは悪かったか、と少し考えたが、よくよく思い返せば服装その他も完全にヤンキーのそれであったので僕の認識に全く問題などなかった。


 遊びに来たはずが、結局人とコミュニケーションを取って疲れてしまったな、などと考えながらカラオケ店を出る。




「おーい、オタクくぅーん?」


 出てすぐに、ドスの効いた男の声がした。

 僕はこう見えてオタクというわけでもないのできっと僕のことではないだろう。

 構わずに歩く。


「てめえに言ってるに決まってるだろこら」


 強引に肩を掴まれる。デジャヴのようなものを感じないでもない。


「僕じゃないですよ、さようなら」


「いやだからてめえだって言ってんだろこら!あーもうこいつ面倒くせえな、くそっ」


 心外である。僕ほど分かりやすい人間もそういないはずだが。


 暗い茶髪をした上背のあるピアスヤンキー男は僕を睨み付けると、いや、僕にガンを飛ばすと、それなりにさわやかな見た目に反してねっとりと口を開いた。



「────単刀直入に聞くけどよ、お前ミリィと何してやがった?」


 どうも面倒事は面倒事を呼んでしまうらしい。

 今度からは一つ目を無理矢理に断ろう。

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