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一、恋をしよう ④

 銀縁眼鏡の女との接触機会を稼ぐため、ひたすら図書室に通う。当面はそれだけを意識して行動する。


 二日目。授業が終わってすぐに席を立つ。

 教室を出る時にオレンジ女が僕に声をかけようとしていたようにも見えたが無視する。彼女は他に人がいる状況では僕にさえまともに話しかけられないようだった。昼食時にも、僕達は隣に座っていながらお互いに一言も交わさずにいた。


 しかしながらすぐに図書室に行っても銀縁女がいない可能性が高いので、少々迂回して向かう。校舎内にはまだ立ち寄ったことのない場所も多く、童心に返って探検をしているような気分になる。


 図書室地下一階に下りあたりを見回すと、銀縁女は今日も同じ場所に座っていた。

 偶々昨日そこで本を読んでいただけだったとしてもおかしくはないと思っていたのだが、この分だと毎日ここに来て本を読んでいるのかもしれない。


 向かいの席に座り、鞄から昨日借りた本を取り出す。

 銀縁眼鏡は物音に気が付いたようで、顔を上げてこちらを見てきた。

 昨日のように、視線を合わせて微笑んでおく。今日は睨まれこそしなかったが、すぐに視線を本のほうに戻されてしまった。


 銀縁女は本当に綺麗な目をしている。


 二時間ほどすると銀縁女が立ち上がったので、少し遅れて僕も立ち上がり、図書室を後にする。

 ストーキングまでする気はさらさら無いのだが偶々帰り道で一緒になる程度なら一切問題ないだろう、などという少々気持ち悪い考えがあったのだが、校門を出るとすぐに僕と逆方向へと歩いていってしまったので、それが叶うことはなかった。


 駅から通っているわけではないんだろうか。



 三日目。オレンジ女を無視し、迂回して図書室へ。

 今日も銀縁女は同じ場所にいる。


 対面の席に座り、こちらをちらりと見た銀縁女に微笑む。上目遣いのような感じで見られているのだが、僕にはあまりその良さがわからない。

 恋を知らないからだろうか。


 昨日と同じように、二時間ほどで席を立つ。



 四日目。

 授業が終わるとラブレターでも渡すかのように赤面しながら『こゝろ』を差し出すオレンジ女の手からそれを奪い取り、何か喋られる前に教室を出ると迂回して図書室へと向かう。


 窓口にて『こゝろ』の返却手続きを済ませ、そのまま地下一階へ。今日も銀縁女は同じ場所に座っていたのでこちらを見たタイミングで微笑みかけると向こうも少し微笑んだような気がしたが定かではない。


 そして二時間が経ち、いや、そんな時間は経っていない、僕が本を開いてからまだ1分だ。

 1分しか経っていないはずであるのに、突然銀縁女が立ち上がった。


 昨日までとは明らかに異なる行動。


 本を抱え、しかしながら鞄は席に置いたままで歩き出す。僕はその動きを目で追ってしまう。

 僕の眼鏡に映る銀縁女の像が大きくなる。こちらへ近づいてきているのだ。

 顔が認識できなくなるほどにその像は肥大化し続け、そしてついに僕の隣にまで辿り着くと耳元で囁いた。


「隣、いいかな」


 こそばゆい感覚だ。


 僕は咄嗟のことでちょっとしたパニックになり、返事を口に出せず、しかし頷いた。

 銀縁女は僕の隣にある椅子を引き、座り込む。

 自然と触れあうような距離でもないが、女の子らしい香りが漂ってくるのを認識できる。


「声、出さないでね」


 どういうつもりか知らないが、取り敢えず黙っておくことにしようか────と悠長に考えていると、突然、足に激痛が走る。


「───────ッ!?」


 足の甲。足の甲をローファーの踵で思い切り踏み抜かれたのだ。実は足の甲というのは人体の急所であるなどと往々にして言われており、つまり踏まれれば滅茶苦茶痛い。


「そうだ。声を上げるなよ。お前、私のことを()け回していただろう。校門を超えて尾行はしなかったようだが、いや、そう見せかけた後で尾けてきていたか?まあいい」


 小声のまま囁いているが、その口調は最初と異なり高圧的だ。


「見ない顔だったから違うかとも考えたが、いややはりそうだ、お前はあいつらの仲間だろう。あれだけしてやったのに、また私を虐げようとしているのか」


「何の話っ、痛い痛いとりあえず足どかしてくれ頼むから」


 僕が声を発した瞬間彼女が足に乗せる体重がより大きくなり、茶化す感じで話しかけているが本当に痛い。何か折れているかもしれない。


「どかさない。ようやく静かになったと思った矢先にこれだ。本当に嫌になる」


 ギチ、という靴同士が擦れる嫌な音と共に痛みが増す。

 説明しなければ。何が何だかわからないが、彼女は絶対に、勘違いをしているのだ。


「違うんだ。君が何を言いたいのか知らないけど絶対に違う。ああ、痛い、説明するから少し緩めてくれ、なぜなら、なぜなら僕に、仲間だとかとか友達だとか呼べる相手なんて一人もいないからだっ!」


 図書室の静寂の中に、僕が張った声が木霊(こだま)する。


 驚きからか一瞬足が緩むが、その一瞬で抜け出せるほど僕の運動神経は素敵なものじゃない。

 再び体重がかけられる。

 銀縁女の視線は未だ冷たい。


 説明、しなければ。


「大声を出すな。お前、初日にはあの頭の悪そうな女と一緒にいたじゃないか。あれは仲間じゃあないのか? 仮に仲間がいないにしても、結局お前も私を虐げに────」



「僕は、お前にっ、一目惚れしたんだ!」



 木霊。静寂。


 図書室は静かでこそあるが、人目がないわけではない。余程の小声でなければ、会話は視線を集めてしまうし、ましてや僕は大声を上げてしまった。


 大声で、何を言った?


 痛みと緊張で頭が混乱して、赤白くふわふわとしたものに感覚を占められていたが、今は少し落ち着いてきた。


 気がつけば足も解放されてる。


 銀縁女の方を見ると、まるでオレンジ女みたいに口を開いて、目を泳がせ、少しだけ顔を紅潮させていた。


「へっ、いやっ、それなら確かに、行動の辻褄は合うけれど……そう、あの女の子、橙の髪の女の子は? 彼女じゃないの?」


 段々と理解していく。

 人目のある中で、自分がどんな発言をしたのか。

 否。してしまったのか。


「あのオレンジの子とは……あの日偶々喋っただけで、それ以来一度も会話がない。その程度の間柄だよ」


 まだ頭が回りきっていない。ただ事実を述べるばかりで、僕の有利になりそうな言い回しなど何も思い浮かばない。


「そう、そうなの……」


 銀縁女は俯き、しばらくぶつぶつと考え込んでいたが、ふと顔を上げると僕を見据えて紅い口を開く。


「明日。ここに、同じ時間に。今日これ以上話しても多分こじれるばかりだから」


 勘違いだとわかれば僕への謝罪が真っ先に出てきてもよさそうなものであるが、あくまでも強気な態度に只々敬服する。


 銀縁女はそのままさっさと去ってしまったので、僕も痛む足を引き摺りながら図書室を出て惨めに駅へと歩いて行った。


 どうにか家まで辿り着き風呂に入ると、僕の足は真っ赤に腫れていた。歩くのに使えなくはなかったので折れていることはなさそうだが、非常に痛々しく、実際痛い。



 五日目。


「ついてきて。上のカフェにはちょっとした個室があるから、そこで話しましょう。私が奢るわ」


 カフェに着くなり、銀縁女はコーヒー二つとマカロンを注文し、受け取るとすぐに個室へと入っていった。僕もそれについていく。


 個室、といっても上も下もスカスカで、おかしなことをしようものならすぐに察知されるだろう。おかしなこと、とはもちろんそういうことを指して言った。足を踏むくらいであれば別に外から咎められることもないだろうな。


「昨日は悪かったわね」


 そして、コーヒーカップに口をつけるより先に謝罪。


 どうやら理解して貰えたようだった。恐らく最悪の形で。


 銀縁女はコーヒーを一口飲むと、マカロンには触らずに語り出す。


「私、入学早々虐められてたのよ。見た目も性格もあまり穏やかな方じゃないから、多少反感を買うことには慣れているんだけど、ここまであからさまに虐められたのは初めてだった。陰険で陰湿で陰惨で、私の何が彼女らをここまでさせたのかは結局わからないのだけれど、とにかく彼女らは私を虐めたの。私の何が、というよりは問題は彼女らの中にあったのだろうけど、それはそれとして。先に言った通り私は精神的にもそんなにか弱い方じゃないから、やられた分きっちりとやり返した。腹を蹴られたら鳩尾(みぞおち)に膝を何度もぶち込んで、頭を殴られればそいつの頭に向かってバットを思い切り振り抜いて、机に落書きをされれば膣の中にペンを思い切り挿れてやったし教科書を捨てられれば彼女ら自身をゴミ箱の中に頭から放り込んでやった。ああ、か弱くはないと言ってももちろん多対一で勝てるほど強くもないから、報復する時には一人になったところを狙ったのだけれど」


 十分強い。強すぎる。あと『やられた分やり返した』とか言っていたが全然やられた分じゃない。話聞いてても虐めた相手がかわいそうになってくるレベルだぞ。

 特にバットで殴られた子とか、後遺症が残っていないといいのだが。


「それでその後、彼女らのうちの誰かが先生にチクったみたいでお互いに二週間の謹慎処分。虐めておいて先生に助けを求めるなんて情けないにもほどがあるし、それに私と彼女らで罰になんら違いがないっておかしいと思わない? 被害者が私でなければどうなってたのかしら」


 事情を聞いた上で判断すれば全くおかしくはない。むしろよく同じ程度で済んだものだ。

 というかお前もしばらく学校に来られていなかったのか。こんなのばっかりだな。


「そんな事があったから、急に彼女らみたいな女を連れて私に気持ち悪い笑いを向けてきたあなたのことを、また私を虐めにきた誰かだと勘違いしてしまうのは自然な事だと思わない?」


 気持ち悪かったのか。以後気をつけよう。

 まあ勘違いしてもおかしくはないのかもしれないが、せめて実害が出てから攻撃を決断してほしい。いや、あるいは既に何者かの手によって虐めと思しき被害が出ていて、それを僕によるものだと勘違いしたのだろうか。


「何か、虐めのようなことがまた起こったのか? それで僕のことを勘違いしたとか」


「いえ、何も起こってはいなかったけれど、また謹慎処分は御免だし、先手を打っておこうと思ったの。折角こんなに素敵な図書館、いや、図書室だったわね。図書室があるのに、学校に通えないなんて嫌だもの」


 何もなかったのかよ。

 まあ理解できない話でもないので、僕は本当にタイミングが悪かったのだろう。


「それで、その……あなたの言葉だけれど。あれは、告白と捉えてしまっていいのかしら?」


「あー……」


 当然その話になるだろうな。

 どう釈明すべきだろうか。


「いや、ほとんど一目惚れではあるのだろうけれど、後一歩、これは多分まだ恋ではないんだ。君の容姿は本当に好みで純文学を読み漁っているところもとても好感が持てるのだけれどきっとまだ恋をしているわけではないし、何より僕は君の内面をあまり知らず、君もきっと僕を知らない。あの時僕は突然の展開と痛みに錯乱していて、ぼんやりとした思考がそのまま声に出てしまったんだ。恥ずかしい話だが、告白ではなかった、という事にしてもらえないだろうか」


 ありのまま、僕の思考の流れるままに話させてもらった。

 さすがに初めて会話したその翌日に振られたくはない。

 僕は恋をしたいんだ。恋をするより早く振られてしまえば、僕の中の恋愛感情は凍結され、次なる芽を探さなければならなくなるだろう。

 告白は、なかったことにさせてもらう。


「そう、好み、好感。好みなんだ……」


 また俯き、手で口を隠してぶつぶつと呟いている。思考を纏める際のこの子の癖なのかもしれない。

 本来拾える大きさの声ではないだろうが、僕の耳は明瞭にそれを捉えている。音を拾う能力に秀でているのか言葉を認識する能力が優れているのか、いずれにせよ僕は地獄耳というやつなのだ。

 呟いている内容が内容であるのに表情が鋼のようなので、オレンジと違ってあまり顔に出るタイプではないらしい。


 とすると、あの時見せた紅潮した頰と間抜けな表情は、なかなか貴重なものであったのかもしれない。

 不幸な目にも遭ってみるものだ。


「まあ、分かったわ。それはそれとして、連絡先と名前、教えてもらっていいかしら。私は糸森(いともり)愛祇(あぎ)。私も恋人はまだ早いと思うのだけれど、友達に、なりましょう。お互いの、はじめての友達に」


 僅か、ほんの僅かだが、銀縁女、もとい糸森の頰がまた紅潮し、そして引き攣っている。相当に緊張しているのだ。


 そしてその言葉を聞くに、どうやら接触機会を稼ぎ、類似性をアピールした成果は多少なり出ているようだった。もっともそれらは僕が恋をするための行動であったのだが、僕が彼女と会った回数と彼女が僕と会った回数は完全に一致するのだから、それらが向こうにも影響を与えるのは当然と言えば当然の帰結だ。


「ああ、喜んで」


 気持ち悪いと評された、精一杯の笑顔で返す。



 苛烈なファーストコンタクトではあったが、中身は案外可愛らしい女の子であるようだった。


 足の甲はまだじんじんと痛む。

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