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一、恋をしよう ③

「それで、図書室に来た理由だったね。何のことはない、借りていた本を返して、次に読む本を借りようというだけだよ」


 そう、僕は図書室自体頻繁に利用してはいるのだ。その間女子生徒には一切意識を割いていなかったが。


「ミツル君、結構本とか読むんだ?」


「人並みにはね」


 嘘だ。友人の少なさと読書量は相関関係にある。全然人並みどころではない。

 勿論ゲームだとか他の娯楽も嗜むが、僕は学生の身の上であり月の小遣いは定期代昼食代を除けば3000円だ。コミュニケーション能力に難がある上プライドだけはやたらと肥大化した僕が小遣い稼ぎのためにバイトをしようなどと考えるはずもなく、趣味には金銭的な面で制約がかかることになる。それを鑑みれば読書ほど素晴らしい暇潰しもないだろう。学校の図書室を利用してしまえば一切懐から金を出す必要がない。

 学費を払っている以上積極的に利用した方がお得な感じもしてその点でも少し幸せな気分になるだろう。もっとも僕自身は一銭も払っていないが。


「私も入院中に色々読んだよ、お母さんからの差し入れで。退屈だろうからって」


「どうだった?」


「どうだった、って?」


「本を読むこと自体について」


「うーん、文学って感じの話を読むのは初めてだったんだけど、結構面白かったし、本を読む事は楽しかった、って感じかな? 転生、って話が特に読みやすくて好きだったかな」


 文学といった感じの話で、転生、か。


「作者の名前はわかる?」


「志賀直哉、だったかな」


 転生という言葉に引っ張られて一瞬こいつが文学というものの定義を盛大に怒られそうなところに設定してるものかと思ったが、なるほど志賀直哉の『転生』だったか。僕も一度全集か何かで読んだ事があり、確かにその中では比較的読み易い話であったように思う。

 ものすごく簡単に言えばツンデレ夫と献身的な妻からなる鴛鴦(おしどり)夫婦の話である。文字通り。詳細割愛。

 頭をオレンジに染める15の娘に志賀直哉全集を手渡すオレンジ母のセンス、中々のものだな。よく受け入れてもらえたものだ。


「あの、なんていうのかな、ライトノベル?みたいなのなら普段から結構読むんだけどね」


 オレンジ女の言葉はライトノベルが文学でないかのような物言いであり、それはそれで結構危険な気がするのだが、文学性とは何かという地雷原のような話をここで始めるわけにはいかないのでそこには触れずに会話を進める事としよう。


「ああ、僕も読むよ、ライトノベル。むしろ純文学だとかはそこまで読む方じゃないね」


 この図書室、ライトノベルくらいなら当然のように置いてあり、むしろ学術書などは地下深くの階層に追いやられている。どれだけ見た目が豪勢で膨大な数の書物を貯蔵していても結局高校の設備である以上需要からそのようになるといったところか。


「まあそれはそれとしてだ、僕はそろそろ本を物色して周りたいから、ここからは別行動を取ることにしようか」


「えっ」


 捨て犬のような表情。ああ。分かる。およそ言いたいことは分かるのだが、僕は目的が目的なのだ。異性の視線があっては非常にやりにくくなるだろう。


 この女、なんだろう、不安を感じやすい体質とでも言えばいいのだろうか。コミュニケーションがどうというより、そういった方向の不全である感じがする。

 それにしたって同じ建物内で少し別れて見て回るくらいなんでもないだろう。そんなところでまで(すが)ってくるんじゃない。


「あの……一緒に回らない?」


「そうしようか」


 本当に勘弁してもらいたい。そう言われてしまえば、僕は断れないんだ。



 一人で回るのは諦めたが、物色自体を諦めたわけではない。勿論女のだ。


 僕との類似性を求めるのならば、そうだな、純文学が置いてあるあたりのテーブルにでも行くことにしようか。

 いや、読まなくはないのだ。間違ってはいない。


 望む場所は地下一階にある。

 図書室中央に存在するやたらと男心を擽る巨大な螺旋階段へと向かい、ゆっくりと下っていく。


「読みたい本、下にありそうなの?」


「ああ、そうなるね。下に行けば行くほど高尚、いや高尚という言い方も随分と乱暴なんだけれど、まあとにかくそういった本が置いてある。勿論高尚さなんてもので分類されているわけではないけれど結果としては概ねそうなるんだ。もっとも僕はそこまでそういう要素を求めているわけではないからあまり深く下りはしない。今日は地下一階あたりにしておこうかな」


 普段の僕と比べればかなり下層へ赴いている。言わないが。


「私にも一冊、おすすめしてくれないかな」


「おすすめ、ね……」


 まあ、後で考えるとしよう。



 少し歩いて、僕の好みに合致しそうな女子生徒が円卓に座り込んでいるところを発見する。

 肩くらいの綺麗な黒髪、切り揃えられた前髪。知性的な印象を与える銀縁の眼鏡、切れ長の目尻に少し色素の薄い瞳、それを包む長い睫毛。あまり手入れのされていないであろう眉と、少々の雀斑(そばかす)。輪郭はすっきりとしており、通った鼻筋も美人といって差し支えない代物だ。白い肌に浮く紅い唇も魅力的である。


 本当に、この女の特徴は怖いくらいに僕の好みと一致する。


 僅か十数人目でここまでの傑物に辿り着くとは。この試みも随分と幸先が良い。

 多少の癖はあるとはいえ、勿論彼女は客観的に見ても相当な美少女だろう。既に恋人がいてもなんらおかしくはない。

 おかしくはないが、そんな事は問題にはならない。

 もう一度言うが、僕の目的は僕が恋をする事だ。横恋慕だろうがなんだろうが関係なく、それが恋であれば、僕の中の彼女への感情が育ちさえすればいいのである。


「あれ、どうしたの? 立ち止まって……もしかして、あの眼鏡の人のこと、見てる?」


 図書室内は眼鏡まみれなのだが、オレンジ女の指す眼鏡とは恐らく僕の視線の先にある銀縁眼鏡で間違いないだろう。


 話し声に気が付いたのか、気に障ったのか、彼女が少しこちらを見る。

 折角の機会なので目線を合わせて微笑みかけておく。


 睨まれた。声自体を疎ましく思ったと言うよりは、僕らの姿を見てから顔をしかめたというようなタイミングだ。

 なぜだろう。


「いや、ええと……ああ、そうだ、これなんてどうかな。漱石の『こゝろ』。まだ読んだことがないのなら、だけど」


 本を薦めろと言われていたはずなので、その勢いで誤魔化しておいた。


「題は知ってるんだけど、読んだ事はないんだよね……うん、これ借りるね。ミツル君のおすすめだもんね」


 僕のおすすめだからなんなのだろうと思ってしまうが、きっとオレンジ頭の中では既に僕は知的で情緒のある人物となっているのだろう。過去類を見ない速度で人が人に懐いている。


「さっき見てた眼鏡の人、隣のクラスの子だよね」


 話題はどうやら1mmも逸れなかったようだ。


 いや、あの雀斑銀縁眼鏡が隣のクラスの人間であるということ自体に関してはそうなのかと適当に反応する以外にどうしようもないのだが、それをなぜこのオレンジ女が知っているのだろうか。この女は始業式の日と今日の計二日しか登校していないはずだ。


「よく知っているね」


「やっぱり見てたんだ?」


 誘導尋問か。


「私、人の顔覚えるの、すごく得意なんだよね。隣のクラスをちょっと覗いた時に、座って本を読んでいたのを覚えてたの」


 非常に羨ましい特技である。僕の場合英単語などは比較的すっと頭に入ってくるのだが人の顔と名前がなかなか一致せず、常々苦労しているのだ。特に若い女を見分けるのは非常に難しい。

 とはいえさすがにオレンジ女くらいに特徴的なら識別も簡単ではあるが。


 オレンジ女は両手で本を抱えるとこちらを向き、また紅潮した笑顔を作った。


「この本、大切に読むね」


「ああ、図書室の備品だからね」


 少々返答に困る言葉だったがなかなかうまく返せたように思う。




「あー、これゲストカードじゃないですか。学生証がないと貸し出しは致しかねますね」


 そういえばそうだったな。


 突っぱねられたオレンジ女は今にも泣きそうな雰囲気だ。

 いたたまれない。助け舟を出してやるか。


「じゃあ僕が借ります。一度に三冊まで借りられましたよね」


「ええ、それなら問題ありませんが、返却時にもちゃんと当人の学生証が必要なので留意しておいてくださいね」


 ちゃんと僕が返しに来い、ということだ。

 僕が暇潰しのために選んだ二冊とあわせて『こころ』を借り、図書室を出た後でオレンジに手渡す。


「はい。又貸しみたいになってしまったね。要求されるのは図書室でだけではないしちゃんと学生証は直してもらっておきなよ。それとその本は読み終わったら僕に寄越してくれ、僕が返さなきゃならないようだから」


「じゃあ、その時になったら、また一緒に、ここに来ようね。約束」


 約束。なかなかに情緒を感じさせる言葉である。


「ああ、わかった」



 結局僕は、何一つとして断ることができないのだった。

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