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一、恋をしよう ②

 恋。


 特定の相手に特別な感情を持つ事だ。


 そこから生み出される精神的な原動力、エネルギーは尋常のものではなく、マネージャーを甲子園に連れて行くために常軌を逸するようなハードなトレーニングに打ち込んだりだとか、彼と同じ大学に行くために偏差値を20上げるなどといった怪しいサプリメントの広告顔負けな驚きの成功体験をもたらすことすらあるそうだ。

 下賎な言い方をすれば、いくつかの欲望と直結しているからこその効果だろう。


 かくも恋とは実益から見ても素晴らしいものなのである。


 が、これらは全て受け売りであり、僕の経験則は1%も含まれていない。


 恥ずかしながら、いや、恥ずかしながらなどと言ってしまうと同様の状態にある人達まで貶めることになりかねないので今の言葉は撤回するとして、とにかく僕は今まで15年間生きてきて恐らく一度も誰かに恋をしたことがない。

 かろうじて女友達と言えなくもない相手が存在したこともあったが所詮そこまでだ。席替えで隣の席になった人にも、修学旅行で一緒だった相手にも、帰り道でよく一緒になったあの子にも、特別な感情を抱くことはなかった。


 何故か。

 わかるはずもない。

 僕がいずれ恋をする事になればその時と今現在とを比較して、何故恋が出来なかったのか、その理由に辿り着くことも叶うかもしれないが、現状一度も恋をしたことがなく恋というのが如何様な感覚であるのか一切わからない状態なのである。


 先程実は顔を紅潮させたオレンジ女のことを中々可愛いななどと評価していたのだが、あの感情は野良猫に対して可愛いと感じる時のそれとなんら変わりなく、つまり恋愛だとかあるいは性的な感情では一切なく小動物を愛でる時のような感覚に支配されていたにすぎない。言葉を並び立てた結果言い訳がましく見えてしまっているかもしれないが、紛う事なき事実である。

 地味な感じの女の子が好みだと言ったのも性的な趣味趣向の話ではなくて、あくまで黒猫が好きだという程度の好みの問題に過ぎない。


 僕の場合、そもそも性欲が比較的薄そうだというのもある。皆無というわけではないし、実際に同年代の人間達と具体的な性欲の程度を話し合ったりそういった資料などに目を通したりしたわけではないので相対的な濃さは確かではないが、それでもやはり希薄だと思う。

 ああ、先程から性欲を否定してばかりいるような気がするが、別に僕としては否定したいわけじゃない。そのあたり潔癖な人間でもなく、単に実感がないために理解しにくいという話なのだ。


 勿論、いや、これも勿論などと言ってしまうと問題がありそうなので撤回するが、僕はホモフォビア的な感情も持ち合わせており、つまり女の子への興味が乏しいからといって男に興味があるというわけでは断じてないということはきっちりと述べておこう。


 まあそんな事情があった上で、比較的好ましい見た目をした猫、もとい女の子に恋愛感情を抱くために、僕はこうして遥々図書室までやってきたというわけだ。

 ヒトの女の子を猫などと例えると気障野朗みたいに聞こえるかもしれないな。以後控えよう。



 図書室は別棟の二階以下全てだ。ここまでの規模であると図書室というより図書館といった言葉の方が相応しそうな気がするが、図書室とされているから図書室なのだ。


 そういえば下駄箱で土足に履き替える時にオレンジ頭は中々苦労していたようだが、人を助けるにもかなりの勇気が要るので今回は見捨てさせて貰った。別の機会に何か手伝ってやるから許してくれ。

 というか履き替えるのを待っていた以上そこで僕は時間というリソースをオレンジ女のために使っているわけであって既にチャラと言って差し支えないのではないだろうか。そんな気がしてきたな。

 などと考えてみてはいるが、この手のやらなかった後悔というのはかなり尾を引く。こうなる度にいっそ初めから協力しておくべきなのだと考えるのだが、その時になったら僕はまた臆してしまうのだ。


 別棟一階入り口前まで来ると扉が一人でに開く。自動ドアだ。どういう意図があってか知らないがこの別棟はなかなか近代的な造りになっている。

 そのまま二階に上がり、駅の改札のようなゲートを通ると、ようやく図書室に入場できる。四階にある僕らの教室からここまで来ようとすると中々手間であるので、休み時間に気軽に利用するといったことは少々難しくなっている。


 ふとオレンジ女のほうを見ると、ゲートを通過できずにあたふたとしていた。

 あれは恐らく初めて利用する人間の反応であり、これだけ豪華な図書室がありながら今まで一度も来たことがなかったのだろうかなどと疑問に思ってしまったが、よくよく考えればこの女は入学してから今までおそらくずっと入院していたのだから図書室に来る時間などあろうはずもなかったな。

 いや、頭の色からすればやはり仮に時間があったとしてもこんな場所に来ることはなかったかもしれないが。


「学生証を通すんだよ」


 小声で教えてやる。

 オレンジ女はまるで暗い谷底から掬い上げられたかのような希望に満ちた表情を浮かべたが、しかしそれはすぐに縋っていた蜘蛛の糸が千切れたかのような絶望の表情へとすり替わった。

 ピーッ、という警告音と共にゲートがエラーを吐き、オレンジ女を通してくれないのだ。

 ころころ表情を変える様は見ていて中々愉快である。


「学生証の磁気が飛んでるのかもしれないね。君から見て左のほうに少し歩くとカウンターがあるから、そこで相談してくるといい」


「……多分、話せない」


「…………」


 僕のはそこまで酷くはないが、まあ気持ちは分からなくはないので代わりに話してやる事にしよう。ここで置いていくのも寝覚めが悪くなりそうだしな。

 僕もやはりそういったことは苦手であるのだが、『他人に助けを請われて』という明確な理由があるので今回は多少やりやすいだろう。



 出口用のゲートを通りオレンジ頭と共に受付で事情を説明すると、今回に限りゲスト用のカードを貸し出してくれることになった。なかなか対応がいい。

 今後IC乗車券などと一緒にしないようにと注意する際に受付の人の視線がオレンジ頭の方へ向いたのだが、その容貌が目に入った瞬間に幾分か顔が引き攣っていたように感じた。まあ当然の反応だろう、むしろそう反応されたくてそういう格好してるのかもしれないしな。いや包帯に関しては実際に怪我をしているので何も言えないのだが、それにしたってオレンジはないだろう。形振り構わず目立ちたいといったもの以外の理由で染める色ではないと思う。そのくせ中身がこんな事になっているのでギャップで頭がおかしくなってきそうだ。


 改めて図書室内部へ入ると、オレンジ頭は阿呆みたいに口を開けながら図書室内部を舐めるように観察した。


「うわぁ……すごい広いねえ。なんだろう、近代的な大聖堂?みたいな感じ」


「何を考えてか知らないけど、有名な建築家に依頼して設計図を画いていただいたそうだよ」


 そう。オレンジ頭がアホ面を晒すのも無理はなく、この図書室は実際非常に視覚的な魅力に溢れている。解放的かつアーティスティックでありながら機能美をも感じさせる素敵建物。ここからは見えないが、三階に上がればカフェまである。

 こういった見栄えのいい場所は今時の女子高生にとっては特に魅力的だろう。僕自身がその今時の女子高生の感性をどこまで理解しているのかと問われれば少々苦しいところではあるのだが。

 高校の別棟としては必要以上に豪華である感じで、この私立高校はどうも結構金が余っているらしい。


「それで、図書館に用って、何?」


 この女、喋り方の割に声量だけはやたらと大きい。この場では問題だ。


「会話してる人も少なくはないけど、声は小さくね。一応図書室だからさ」


「あっ、うん、ごめん……」


 素直である。関われば関わる程、こいつが何故頭をこんな色に染めたのかという謎が深まっていく。

 謎ではあるが、別に僕は推理をしたいわけではない。相手がその場にいるのだ。直接聞いてしまえばいい。

 こいつ相手とはいえ自分から喋る事にエネルギーが要るのは変わりないのだが、知的好奇心を抑えることに必要なエネルギーとを天秤にかけた時にどちらに傾くのかという話だ。オレンジの質問に答えるのは後にして、先に聞いてしまうことにする。


「その髪、なんでその色に染めたの?」


「……私、高校生活すごく楽しみにしてたんだ。中学時代はすごい地味で、ひっそり生きてる感じだったから……それで……楽しく過ごしたかったら、目立つ方がいいかなって思って……」


「うん。なるほどね。うん」


 健気というかなんというか、それにしたってその色はやりすぎていて逆効果だ。目立つを通り越して浮き過ぎている。

 あるいは彼女が入学したのがここでなければまた話も違ったのかもしれないが、この高校はそれなりの進学校である。校則で縛られてこそいないが、一年の一学期から髪を染めてくる人間などそうそうおらず、そんな中にそんな奴がいれば間違いなく悪目立ちするし避けられる。

 例えば僕などが金髪にして登校すれば『インテリヤクザ』みたいなあだ名をつけられた上で敬遠されひそひそと声を立てられるだろう。人は得体の知れないものが怖いのだ。関わろうなんて思わない。


 逆に言えばクラスの人気者が急に金髪にしてきたら話題性があり諸々上手く進むかもしれないが、これは僕らには全く関係のない話なので今は考えないことにする。


 つまりこいつは、わからなくて、間違えたんだ。

 みんなと話したい。みんなと笑っていたい。そういう願いがあって、それに向かって努力したのだろうが、その方向を間違えた。

 努力は買おう。その性格だ、髪を染めるのにも相当の勇気が必要だったことだろう。

 恐らく入学式の日も、頭を空にして騒いでいたという話でもなくて、無理に明るく振舞おうとしてパニックになったとか、きっとそういうことなのだ。

 それで、更に悪化した。


 いいだろう。協力してやる。

 こいつの状況は僕と重ね合わせると諸々思うところがある。

 僕達のいる場所を、お前が笑って過ごせるような教室にしてやろうじゃないか。

 こういうのも一つ、立派な青春であるだろう。

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