二、勉強をしよう ②
七峰ちゃんの指示に従い、机を移動させた後に移動する。
僕を含む六人がグループ毎に指定された椅子に座る。
誰も喋り出さず、微妙な空気が流れるが、少しして一番こういう場の仕切りが上手そうな、まあ明るそうなポニーテールの女が口を開いた。
「自己紹介、だったね。えっと、和泉巳果です。部活はバスケをやってて、趣味は、んー、お菓子作りかな? よろしくね!」
和泉は笑顔でそう言うと、隣の大人しそうなお団子頭の女に目配せをした。
時計回りに自己紹介を進めろ、という意図の込められたものだろう。
「遠敷丹子」
変な音だが、まあ流れからして名前だろう。
何もなしにオニュウニコ、とだけ呟かれても普通何のことだか分からない。どうもこの子は社交性に欠けていそうだ。
どこからが名前だろうか。まあウニ子なんていう名前はそうそう付けられることがないだろうし、オニュウが苗字でニコが名前だろうか。
そういえばくじ引きの際に黒板に名前が書かれていたはずなので、そちらに目をやる。
それらしいのは遠敷丹子というものだろうか。絶対読めないだろこれ。
丹子は口をすっかり閉じると、私の順番は終わった、とばかりに隣に目配せをする。
それ受けた優男は少し困ったような笑顔を作ったが、すぐに自己紹介を始めた。
「えっと、俺は三国翔。部活には所属してないけど、週に一回くらいのペースでサッカーをやってて、趣味はそれかな」
サッカー部があるのになぜ入らないのかとお思いになるかもしれないが、しかしこの教室では部活動に所属していないのが普通である。
学力偏重の生徒を集めたA組の方針として部活に入らないことが推奨され、特待生に至ってはそもそも入ることを禁止されるためだ。
合理的ではあるが、青春真っ盛りの高校生達にとってはなかなか厳しい縛りであるだろう。
それではさすがにフラストレーションが溜まるかもしれないと考えたのか、救済措置のようなものとして同好会制度が学校側から用意されている。
この学園における同好会とは、活動に大幅に制限があるが、設立の敷居が比較的低く、何より特待生が参加可能であるコミュニティだ。
活動制限から必然かなりゆるい雰囲気になり、参加、継続が容易なのも手伝って、特待生のほとんどはこれに参加しており、他の生徒も半分程度は同好会の所属らしい。
一部運動部のきつい練習に耐えかねた生徒が同好会の方に流れることも多いとか何とか。
そのあたりの受け皿にもなり、学生のあらゆるコミュニティからの孤立を防ぐ手立てとしても機能しているあたり、なかなか良いシステムなのではないだろうか。
まあ僕は参加していないが。
「……轍充です」
僕の自己紹介もこれでいいだろう。
特に語ることもない。
左隣の大柄の男に視線を送る。
「足羽修一だ。ロードバイク同好会に所属してて、趣味も自転車。仲良くやろう」
僕としては爽やかな感じのする男共の事など心底どうでもいいのだが、仲良くやろう、などとは随分ポジティブな発言だ。
僕と丹子の積極性の無さによって既に空気は半分死んでいる。
最後に残ったのは長い黒髪の女だ。
「永平寺冴織です。そこの遠敷さんと同じ文芸同好会に所属していて、趣味も読書。どうぞよろしく」
名前だけ見た時にはさおりだろうと思ったが、こおり、か。
娘に氷なんて音を付ける親の心境が知りたいところではあるが、まあ充などという名前を付けられたところで社交性皆無の怪物が出来上がってしまうので名前は所詮名前でしかないといったところだろうか。
字面で見るならなかなか聡明な感じもする。
同好会は遠敷さんと同じ、と言ったか。あの丹子という女、どうやら最低限の人間関係は構築済みであったらしい。このグループにおいては僕と大分差が開いてしまった。
というか同好会に所属しているなら自分からそれを言ってはどうだろう。考えるような事でもないはずだ。
しかしこの冴織という女、喋る時に一々手振りを交えるのだが、それが中々どうして様になっている。手足が人並みよりもすらりと長く、その指も、白魚とまで形容するには少々細すぎるようにも思えるが、まあとにかく白く長く、非常に綺麗な形をしている。
永平寺なんていう相当に仰々しい苗字をしているが、どこかいいところのお嬢様だったりするのだろうか。
ふと大男がこちらを向く。
「轍、お前趣味はないのか」
僕に振るな。
それを聞くなら丹子でもいいだろう。
「まあ……強いて言うなら読書……っスかね……」
こうなる。
輪をかけて僕のコミュニケーション能力が酷くなっている。それもそのはず、僕が相手できるのは基本的に一人までなのだ。
そうでなければもう少し会話してやってもよかったが、グループで集まっているなんて状況でまともに舌を回すなんてことはほぼほぼ不可能なのである。
「読書か。なかなか立派な趣味じゃないか。もっと胸を張って言えばいい」
「……っス……」
どういう立場から物を言っているつもりなんだお前は。
「あら、轍君も読書が好きなの? 良かったら文芸同好会に入らない? 今男子が少なくてね、彼ら結構居心地悪そうなのよ。一人増えれば大分違うと思うんだけれど」
「遠慮しときます……僕小説は読むだけですし」
なんなら漫研の方が性に合っていそうだ。
「無理に誘うな。ワダチは勉強に忙しい」
丹子が突然会話に加わる。
「へ?」
一体どこから得た情報だ。
「へ、じゃない。お前、中学の時模試でずっと上位にいただろう。当然知ってる」
「は、はあ、なるほど……」
そういえばあれは成績上位者の名前が公開されるんだったな。
だとしても当時では顔も知らなかったはずの相手の名前を把握しているのは当然ではないと思う。少々気持ち悪い領域だ。
別に一位を取った事も無かったはずだ。つまり極端に目立っていたわけでもない。
「ああ、どこかで見覚えのある名前だと思ったらそれだったのね。丹子、よく覚えていたわね」
「珍しい苗字かつ全体で二文字だから目立つ、その上やたらと私のすぐ上にいたからイラついて覚えた」
苛立ちを僕に向けないでくれ。理不尽だ。
「お前は私のこと覚えてなかったのか?」
「いや、僕そういうの見ないし……」
「チッ」
丹子が顔を顰め、露骨な舌打ちが聞こえる。
なんで何もしてないのに嫌われなくちゃならないんだ。ただでさえ辛い状況であるのに余計に胃が痛くなってきた。
自分の鳩尾の下あたりを手でさすっていると、今度はポニーテール、和泉が話題を繋げようとしていた。
この、会話の途切れない空間というのが、僕はどうしても苦手だ。
「あー、そういうの結構あるよね。私も永平寺さんの名前は見覚えあったよ、かっこよかったから」
「冴織、って呼んでくれるかしら。永平寺って苗字、あまり好きじゃないのよ」
やはり実家で色々悶着があるらしい。
生まれに恵まれるのもいい事ばかりではないようだ。いや、そうなると本当に恵まれているのかという話にもなってくるし、そもそも実家の太さも僕の推測でしかないのだが。
「親と仲悪いの?」
優男、三国だったかが尋ねる。
デリカシーゼロかお前。
「あなたには関係のない事よ」
まあこうなる。家の問題なんてのは大抵が根深くて、他人にどうこうできるものでもなければおおっぴらにするようなものでもないのだ。
「そう」
冷たくあしらわれたが、三国のほうには特に応えた様子もない。
「あーっと、そうだ、旅行先、沖縄なんでしょ? 私行ったことないんだよね、すごい楽しみ」
僅かに剣呑になった空気を入れ替えようと和泉が無理に発言する。
沖縄まで行くのか。それも初耳だ。
結構金がかかりそうだが、その辺特待生だとどうなるのだろうか。さすがに免除されることはないか?
「俺も行ったことは無いな。轍はどうだ?」
足羽、だったか。
君毎回僕に振るね。勘弁してくれ。
もしかしてその図体しながら女の子に話しかけられないとかいうシャイな一面があるのだろうか?まだ一度もこいつと女子が話しているのを見ていない気がする。
「あーまあ、僕も行ったことがないね。というかそもそも旅行した記憶っていうのがほとんどない、せいぜい中学の時の修学旅行くらいだ」
「おっ、じゃあ私と一緒だ。楽しもうね」
にっ、と白い歯を見せ目を細めて僕に微笑みかける和泉。
籠絡されそうだ。
「私もない。一緒」
この丹子という女、自己紹介の時に名前しか言っていなかった割に中々会話に入ってくる。
こいつに関しては何を考えているのか全然わからない。
「私は何度かあるわね。まあ遊びに行った、という感じでもなかったのだけれど」
「俺もあるね、こっちは遊びだけど」
「あなたには聞いていないわ」
「俺としても永平寺に話しかけたつもりは無かったんだけどな?」
冴織はまだ怒っているようで、三国も三国でそれに呼応するように喧嘩腰だ。
先程苗字が好きでないと言っていた冴織のことをわざわざ永平寺と呼ぶあたりその攻撃性がうかがえる。
とても不安だ。
「大体終わりましたかね。談笑するのはそのくらいにしてきましょう。今後グループで決めていくことなどについて私から話します」
またしばらく他愛もない会話が続いた後、七峰ちゃんによってそれが打ち切られる。
そのままつらつらと説明されるが、要するにあらかじめ班単位での行動予定を決めておいてねということだった。
その後も鐘が鳴るまで細かい説明や注意事項が続いた。
「はい、今日は以上です。課外でも班員と親睦を深めておくように」
七峰ちゃんも面白いことを言う。それは無理難題というものだ。
「ねえ、今日ってどこでやるの?」
ホームルームが終わるなり、燈華が話しかけてきた。
どこで、というと勉強会の場所のことか。
「図書室地下二階のディスカッションルーム。申請すれば僕ら生徒でも使えるらしいからね」
「そんなところがあったんだ。楽しみ、勉強会……」
「その勉強会、私も混ぜてもらっていい?」
声の主は丹子だった。
燈華は呆気に取られているといった様子だ。僕も当然驚いている。
「え、いや」
「ダメ?」
「ダメ、ということはないけど────」
「けど?」
「えー、あの、ほら、僕の友達しかいないからさ、君が気まずいと思うんだよね」
「大丈夫」
「いや────」
「大丈夫」
「そ、そうですか」
押し負けた。
前にもこんなことがあったような気がする。
「じゃあ、ついていくから」
まだ僕は若干混乱しているのだが、状況を整理すればつまり、僕が待ち望んだ百合イチャラブ観察会もとい勉強会にこのよくわからない女子が割って入ることになってしまったらしい。
何故だ。