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一、恋をしよう ⑩

 机を燈華のものと向かい合わせ、行きがけに買ってきたメロンパンとコーヒー牛乳を鞄から取り出す。


 購買に行くのか食堂に行くのか、あるいは他のクラスの友人のところへでも行っているのか、教室で昼食を摂る人間はそれなりに少ないようで、人影が疎らだ。


 メロンパンとコーヒー牛乳。

 質素で食べ合わせも悪そうに見えるかもしれないが、これは一ヶ月かけて僕が編み出した最高のメニューである。


 メロンパンというのは中々ボリュームのある食べ物であり、食べ盛りの高校生と言えど僕ほどのインドア派であればまず量に不満を抱くことはない。

 そしてコーヒー牛乳の微妙な苦味がメロンパンの甘みを更に引き立てる。牛乳とパンの相性が良いのも言わずもがなだ。シンプルなコーヒーではなくコーヒー牛乳なのがミソなのである。


 まあだからと言ってそのままこれと同じものを食べればさすがに甘ったるく感じる人もいるかもしれない。あくまで甘党である僕の好みを前提とした組み合わせだ。


 そして何より素晴らしいのはその価格である。しめて240円。僕が母から支給されている昼食代が日に500円。その差額であるところの実に260円を僕の自由にしてしまえるのだ。

 素晴らしきかな不労所得。

 更に食費を削りたい日にはドリンクを水道水にする。最悪メロンパンも抜く。昼を水道水で済ませるだけで500円丸々僕の小遣いになってしまうのだ。

 まあそこまでしてましうと流石に僕のパフォーマンスが落ちるので、メロンパンまで抜くことはそうそうない。この一ヶ月に二度ほど試したが、午後の授業を受けるにあたってなかなか厳しいものがあった。


 燈華の方を見ると、桃色の可愛らしい風呂敷に包まれたこれまた可愛らしい桃色の弁当箱を机に置いていた。


 さて、この感想を口に出すべきなのか否か。


 いや、言うべきだ。

 こと燈華に対しては僕は積極的にコミュニケーションを取っていくべきである。

 前に一度、この内気な少女が笑って過ごせるような関係を作ると決意したはずだ。今でもその時に時に抱いた気持ちは残っている。多少。


「可愛いお弁当箱だね」


「そ、そうかな」


 お互いに何の言葉も続かない。

 会話終了。


 いや、ここからどう続ければいいというのか。

 このたった一言を発するためだけに僕はかなり懊悩した。


 取り敢えず燈華が弁当の蓋を開けるまで待つことにする。


 ゆっくりと弁当の蓋が開くと、その中身が露わになる。

 女の子らしいというか、ボリュームはあまり多くないが、彩りが非常に豊かだ。野菜。野菜が入っている。僕は一ヶ月ほど昼食で野菜を摂取していない。


「随分綺麗だね」


「えっ……ああ、うんお弁当ね、そうだよね……」


 顔を赤くする燈華。

 その言葉からして僕が燈華の容姿を褒めたとでも捉えたのだろうか。その後冷静に考え直したと。

 この流れで急に口説きだすなんてことは考えるまでもなく有り得ないだろう。こちらまで恥ずかしくなるような事を言わないでほしい。


 燈華はこれまた桃色の箸を器用に使って、弁当箱の中からポテトサラダを少量摘むと、口に含み、ゆっくりと咀嚼する。

 赤面した少女が口に手を当て含んだものを咀嚼する光景というのは、なぜだろう、僕の目にはとても性的に見えて仕方がない。

 肉親以外の女の子と二人で食事をする機会がなかったせいか今まで自覚はなかったが、これが性的嗜好だとか、フェチだとか言われるようなものなのだろうか?

 そもそもポテトサラダというのはそこまで噛み砕く必要のある食べ物ではないはずだが、燈華は十分に顎を動かした後にそれを吞み下すと、小さく口を開いた。


「毎朝お母さんが作ってくれてるんだ。ちょっと食べてみる?」


 毎朝母が、このクオリティの弁当を、か。

 母親らしい母親というか、娘への無償の愛というものを感じるところだな。

 僕のところのようにお金だけ渡してくれるのもまあ僕としては有り難いのだが、やはり素っ気なく感じる部分はある。何と言っても手間が一切かかっていない。


「じゃあお言葉に甘えて、少しだけ頂こうかな」


 それを聞くと燈華は箸で弁当箱の中からポテトサラダを少しつまみ、僕の口の前に差し出した。



「……はい」


 はい、じゃない。

 こいつは僕達の関係をどう捉えているのだ。今の僕らは傍から見れば視界に入るだけで僕のような人間の不快感を掻き立ててくるタイプのカップルさながらである。


 いや、僕は箸などを持ってきていないので実際食べようと思ったらあまり他の方法はない気もするが、それにしても、だ。

 見るに、燈華の側にも躊躇や羞恥がないわけではなさそうだ。更に顔の朱が深くなっている。こいつは頻繁に赤面するのであれだが、それでも感情が激しく揺れ動いていることに間違いはないだろう。


 どうする。

 このまま食べるべきなのか?

 視線は少ない。少ないが、昼休みの教室である以上、ゼロではない。最悪僕と燈華二人きりなのであればさっと食べてしまっても構わなかったのだが、こうなっているとどうしても厳しい。


 いや、もたついてる時間もない。この状況が続くというのはすっと食べてしまうことより余程苦しい。

 僕の共感能力の高さから、燈華の精神状態に呼応するように僕の心拍数も上がっていく。


 あるいはそもそも僕が、この少女の唾液の塗られた箸で餌付けのような真似をされていることに興奮しているのか。


 わからない。今までにこんな経験はなかった。

 この騒がしい僕の心臓は、高鳴っていると表現されるべき状態にあるのか。


 燈華は何も言わず、箸を突きつけたまま僕のことを見つめてくる。


 食べるしかないのか。


 否。僕はこれを口にするべきなのだ。

 覚悟を決めろ。



 小さく口を開き、箸の先のポテトサラダを啄む。


 この、間違いなく燈華の唾液が付着しているであろうポテトサラダを舌で押し潰してから咀嚼する。

 目を瞑る。燈華に倣い、あるいはもしかすると僕の深層の欲望のままに、咀嚼はゆっくりと行われた。


 不思議な感覚がある。味じゃない。精神に直接作用するような何か。

 心が炙られているかのようだ。


 口の中で離乳食のように柔らかくなったポテトサラダを飲み下す。



「────おいしい?」


 燈華の言葉によって現実に引き戻される。


 現実に引き戻されるだなんて感覚に襲われたということは、僕は今ので少々トリップしていたのだろうか。非常に情けない話である。


 味などわかるはずがない。


「……ああ、とても美味しいよ」


「そう、よかった。お母さん、すごい料理上手なんだよね」


 他に言うことがあるだろうとも思うが、目は逸らされ、声色は少し強張っており、それらは今起きたことが燈華にとっても非常に気恥ずかしいものであることを如実に語っていた。


 もはや周りを確認する気にもなれないが、教室も心なしかざわついている。

 次の話題が必要だ。早急に。


「そうだ、約束」


「約束?」


「そう、僕らは一緒に図書館に本を返しに行くって約束をしてたよね。先週は色々急いでいたのもあって、僕が勝手に返しに行っちゃったけど」


「うん。泣きそうだった……」


 やめろ。そんな目で僕を見るな。

 あの時は気が急いていたんだ。


 燈華の所業に関してはあまり周りに聞かれるべきではない内容なので、顔を近づけて小声で伝える。


「それで盗聴の件はチャラにしよう。お互い様、ってことでさ」


「……」


 一度にわだかまりを解消する良案だと思ったのだが、燈華は不満気だ。

 どこが気に入らないのだろう。盗聴を重く捉えているのか、その逆か。


「……また、一緒に図書室に行ってくれる?」


 約束の方が重いと捉えていたらしい。

 そのあたりの裁量には疑問を抱かないでもないのだが、その件に関しては確かに僕に非があるし、それだけ燈華の中で優先順位の高いことだったということでもあるだろう。

 僕が譲歩すべき場面か。


 それと、あのポテトサラダを口にしてから本当に変な気分が続いている。

 高揚しているような緊張しているような、不思議な感覚だ。これが僕の思考を妨げているように思えてならない。


「ああ、勿論だ。図書室と言わず、君の好きなところでいい」


「ほんと?それじゃあ────」


「食事中失礼する」


 燈華が少し言い淀んだところに男の声が割って入る。

 声のする方を見れば、先程僕に声を掛けてきたあの男だった。男女二人の食事中の会話に割って入るとは恐るべき胆力である。


「……何?」


 燈華が露骨に不機嫌そうに顔を顰め、男の方を睨んでいる。

 この少女のこのような表情を観察するのは初めてかもしれない。正直怖い。今後あまり怒らせることのないようにしよう。


「ああ、邪魔してしまったかな、申し訳ない。いや何、この場で長々話そうという気は無いんだ。夕季さん、君に話がある。そうだ、これはきっと出来るだけ早く夕季さんに伝えるべきことだ。放課後に別棟のカフェに来てくれ」


 夕季さん、か。そういえば燈華はそんな苗字だったな。

 これは、燈華への愛の告白でもするつもりだろうか。

 そうだとすると、この男はどうやらゲイではなかったようだ。雰囲気がそれっぽかったので絶対にそうだなどと考えてしまっていたのだが。

 そしてゲイでないのであればこの男の行動原理は僕を直接巻き込むものではなさそうなのでギリギリ許せる。いや、今現在は巻き込まれているのだが。


「嫌だけど」


 即答だ。1秒と待たずに振られている光景はさすがに少し面白い。燈華がここまではっきり拒否の姿勢を示すのも初めて見る。僕の認識していた人物像を少々修正すべきか。

 この態度の差は、僕への感情が偏執と呼べるほどのものになってしまっているということかもしれない。普通の女の子は友達のスマートフォンに盗聴機を仕掛けないのである。


 そういう想いが心地よくないわけではないが、しかし燈華のことを思うなら、そういうある種異常な状態は修正してあげるべきなのかもしれない。


 それに有効なのは、やはり感情の分散ではないだろうか。偏執、というのはその名の通り感情の偏りなのだ。


「……この場では話せないことなのかな?」


 少しでも燈華の気持ちが揺れれば幸いであると考え、助け舟を出した……つもりだったが、あまり効果はないかもしれない。

 いや、大丈夫。みんなが見てる中でも告白くらい出来るさ。なんなら僕が足を踏んでやってもいい。

 しかしあまり燈華に簡単に靡かれてもそれはそれで僕が悲しくなると思うのでほどほどに惹きつけてほしい。


「話せなくはない、が、きっとここで話すべきではない」


「なんで?」


 追及するように燈華の言葉のナイフが投じられる。

 刃物と形容するに相応しい程度には敵意のこもった声音である。


「何故、と言われるとこれも答えにくいのだが────」


「ここで言えないのなら、聞かない。今すぐ言うのなら、聞いてあげる。それ以上は譲らない」


 多少舌の回りがたどたどしいのは変わらないが、燈華の発言からはかなりの積極性が感じられる。

 今回の件がどう転ぶのであれ、今後の対人能力に良く作用するといいのだが。


「────いや、わかった。君がそこまで言うのなら、気は進まないのだが言ってしまおう」


 この場で告白する気になったか。本当に肝の太い男だ。尊敬する。


 一つ深呼吸を挟むと男は口を開く。



「夕季さん。君は轍君のスマートフォンに細工をしていただろう」


「ごめん、その話さっき終わったんだ」


 そっちかよ。

 しかしなるほど、それならば割って入るに足る使命感を与える秘密ではありそうだ。


「……そう。そうか。解決していたか。……完全に余計な世話だったようだな……いや、申し訳ない。失礼する」


「ああ、はい、どうも……」


 なんだったんだ。


「変な人、だったね……」


 まあどちらかと言うと君の方が変だとは思うけどね。


「正義漢、って感じかな。今時生きにくそうなタイプだ」


 僕らほどではないにしても。


「ええと、それで、何の話だったっけ?」


「私が行きたい場所の話。……遊園地に、連れて行ってほしいな」


 控えめな笑顔でそう伝える燈華。


「……善処するよ」


 遊園地か。

 大きいところに連れて行こうものなら、僕が昼飯を削ってせこせこ稼いだ小銭など吹き飛んでしまいそうだな。


 次の週末に行く、なんて流れにならなかったあたりはあの闖入者に感謝すべきだろうか。

 まあしかし、燈華としては僕に話すだけ話してとりあえず落ち着いたようなので、遊園地は次回不安定になった時のための手段とでも考えておくか。

 そうならないことを願うばかりだ。

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