3. 【回答】「真音の夜涼にお任せっす!」
何時迄経っても想像したような衝撃が……とは言え、アスファルトさえ抉る衝撃を生身に受けるというのがどれほどの衝撃かなんて想像も出来ないのだが……訪れない事に安堵よりは不審と恐怖を感じ、真音はおそるおそる目を開いた。
痛みを感じていないだけでどんな恐ろしい光景が広がっていても不思議はない。
けれど目に入ったのは見慣れた、真音自身も身に纏っている制服だった。それを着ているのは、この1日ですっかり見慣れてしまった、そして今、真音がこんな目に遭っている元凶。
「夜涼!?」
「そうっす。真音の夜涼っす。怪我はない? 見失った時は焦ったっすよ」
ニカッと整った顔で笑われる。今ばかりは夜涼の軽口に反論する元気も気力もない。
今恐怖に晒されたのは間違いなく夜涼の所為なのだろうが、其処について怒る気力もなかった。純粋な恐怖に晒され続けた所為か、少なくとも先程よりは安全圏に居るらしい事実が真音から力を奪い、思わず糸が切れた様に其の場にへたり込んだ。
「怪我はなさそうだけど、大丈夫でもなさそうっすね。……で? オレの片割れにこんな事してくれた以上、覚悟は出来てるんすよね?」
真音から準達に向き合うなり、声のトーンが1つも2つも下がる。真音に向けられてはいないのに、真音は自分の体が震えるのが分かった。怖い。
それは或る程度の力を持っている事は明らかな準達とて同じだった様だ。もっとも彼等は真音と違い直接夜涼の怒りを向けられたのだから、その恐怖も比ではないのだろうが。
先程一切の容赦も躊躇もなく無防備な人間に刃を向けていた姿は、其処にない。維織は反射的に数歩後ずさり、そんな維織を意識的にか無意識にか準が背中に庇う。とは言え、戦意は消失していないらしい。維織は震える手で大鎌をしっかり握り直しているし、準もまた虚空から取り出した剣を構える姿が、夜涼の背中越しにも窺えた。
……これは、巻き込まれるパターンなんじゃないだろうか。
そんな真音の内心を読み取ったか、夜涼はちらと後ろを振り返り、此の場にそぐわない明るい笑顔を浮かべた。
「大丈夫っす。オレが来たからには真音に怪我はさせないよ。契約……は、コイツ等を追い出してからでいっか」
ここで契約を持ち出さなければ、多少は格好良いと思ったかもしれないし、迷惑ばかり掛けられているという不満も解消されたかもしれないのに。思いつつ、今は反論しても仕方ないと、かと言って肯定もせずに夜涼の言葉をやり過ごす。
悔しいが此処で自分に出来る事は何もない事を受け入れられない程、真音は愚かではなかった。
「そんなワケで、アンタ等には早急にお引き取り願うっすよ?」
夜涼はすぐに前を、準達の方を見据えてしまったから、其の時どんな顔をしていたか真音には分からない。ただ、この数分ですっかり感覚がマヒしてしまったのか夜涼が当たり前の様に虚空から槍を取り出した時。
剣を大鎌を持っても太刀打ち出来ないと判断したのか、何かその槍が特別なのか。彼等の雰囲気は目に見えて変わった。
「テメェ、やっぱり……」
「凍月は、凍月本人がなんて言っても悪い人だよね」
怒りと動揺。きっとそれらは顔にもありありと出ているだろう事が、夜涼の背中に阻まれよく見えない真音にもよく分かった。
夜涼に庇われている今、夜涼が押されるというのは自分にも関わる事態である為よろしくないが、真音というお荷物を背負った上で槍1本、身1つの夜涼。対して大鎌と剣を構えたどちらも戦える人間2人の維織と準では、一見して準達の方が有利に見えると言うのに。
明らかに、槍を構えただけで、夜涼が其の場を圧倒していた。
「……維織、今は帰ろう」
「う、うん……」
悔しくてたまらないと言う様に、苦し気に吐き捨てる準と、今迄準の言葉には一瞬の躊躇いもなく即答していたにも関わらず言い淀んだ維織。
何かありそうだが、今はわざわざ追求する事もない。何処かに帰ってくれるというのなら、そうしてくれた方が真音としてはありがたい。しかし、帰ってくれた方がありがたかったのは真音の方だけだったのか。
「ねえ、1つ質問に答えてくれないっすか?」
槍は構えたまま、しかし先程とは違い友好的にも聞こえる声音で、夜涼は2人を呼び止めた。
無視しても良いだろうに、維織は勿論、準さえも大人しく動きを止め、何だと言わんばかりに夜涼を睨む。帰ろうと言ったにも拘わらず2人の手にはまだ武器が握られており、真音から安息を確実に奪っていた。
「何でオレの片割れに手を出したんすかね? 見ての通りオレの片割れは丸腰で、戦い方も知らないような子っすよ」
「凍月! 自分の事を棚に上げて何言ってるの!?」
「落ち着け、維織。確かにコイツはとんでもない事をしやがったけど、確かに丸腰の片割れを襲っちゃいねぇよ。でもな、凍月。戦いに於けるセオリーはあるだろ。弱い片割れに付け入るのも、効果のある復讐手段を取るのも自然な事だ。違うか?」
「成る程! よく分かったっす」
ぽん、と。
槍を脇に抱えて、コミカルな動作で手を打った夜涼はにこりと笑う。場違いな程に明るく。
まるで相手を煽るかの様に。
「つまりオレがアンタ達の仲を裂くなり、1人で居るところを狙うなりして、東雲を袋叩きにしちゃってもオッケーなんすね! 西風はソレをされても当然で、戦いのセオリーだって受け入れるんだ」
「ふざけんな! お前の場合はやってる事が」
東雲。おそらくは維織のファミリーネームだろう、彼を狙うという夜涼の宣言は、準の頭に血を登らせるのに抜群の効果を見せた。
先の躊躇いも何もかも気にしていないと言う様に、剣を構えたまま、切っ先は夜涼……或いは真音に定めて電線から飛び降りようとする。そんな準の服の裾を掴んで、維織がふるふると首を横に振った。
「うん。それだけ聞ければ満足っすよ。東雲が割と冷静で良かったね。じゃ、早く帰って欲しいっす」
「……凍月。今度こそキミの事滅ぼすから」
「相棒の方も覚悟しとけよ」
ちょっと待て何でオレまた巻き込まれた!?と思いつつも、反論出来よう筈もない。
ただ言葉を呑みこみ、2人の姿が現れた時と同じく唐突に消えて漸く、真音は正常な呼吸を取り戻した。
こ、怖かった……。それを口に出すのは、なんとか、辛うじて堪えた。