1. 転校生のセオリー
時季外れの転校生は、超能力者か中二病でないといけない、という決まりでもあるのだろうか。
真音は自分の手を両手で大切そうに包み込み、まるで忠誠を誓う騎士かと言う様に膝を着いて自分を見つめる男、ほんの数分前、にこりとも笑わずに名前だけ告げるという素っ気ない自己紹介を果たした時季外れの転校生、凍月 夜涼から目線を逸らし、ついでに現実からの逃避も図ってそんな事をぼんやりと考える。
時季外れの転校生。確かに珍しく、朝から教室中がこの話題で持ち切りだったのは分かる。でもその転校生が“おかしい”なんて、小説や漫画だけの話だ。実際はそんなとんでもないスペックを持っていないし、転校の理由も多くは両親の仕事の都合といったところだろう。
だから真音はこんな事になるなんて、微塵も思ってはいなかった。
興味なさそうに自己紹介を終えた夜涼が、突然教室の1点、真音を見て、目を輝かせた。
かと思えば、瞬きの間と言って過言ではない速度で真音の席まで近付き、手を取って、膝を着き、熱っぽい声音で言い放ったのだ。
「やっと、やっと見付けたっす! オレの運命の相棒!」
この事態を事前に予測出来なかった真音が悪いと誰が言えるだろう。
幸いだったのは……或いは不幸だったのは、相手が同性の真音だった事か。
夜涼の顔は整っており、彼が入ってくるなり教室は女子の黄色い悲鳴で揺れた。そんな夜涼が女子相手に“此れ”をすれば、やられた相手は嫉妬を買っていじめのターゲットになっていただろう。
とは言え真音からすれば、そんな女子同士の小競り合いよりも現状をどうするかの方が、遥かに重要なのだが。
「……勘違いじゃねぇの?」
さて、漸く思考が事態に追いついたか、吐き出せた言葉はそんな有り触れたもの。
そして往々にこういう事態に直面した場合、それが勘違いである事は少ない。少なくとも行動を起こした側、此の場合で言えば夜涼側にとっては勘違いではないのだから厄介だ。
夜涼にとってもそうであったらしい。どうにかこうにか発した真音の言葉を、夜涼はぶんぶんと首を横に振る事であっさり否定した。弾みで彼が手を握る力が少しだけ増す。
まるで「それを言い訳に逃げようとしているなら許さない」とでも言われている気分だ。
「勘違いじゃねぇっす! オレはアンタの事を探してたんだよ。さ、契約しよ? 今すぐ! ……あ、アンタ名前は何て言うの?」
ぐいぐいぐい、という勢いで迫られ、真音はたじろぐ。顔が近い。
同性の目にもイケメンだと思う顔立ちだ。真音が女であったら卒倒していたかもしれない。いや、女であったら先にクラスメイトからの大クレームに晒されるか。
とは言え、こうも顔を近付けられるのは落ち着かない。手を握られている時点で驚き、一瞬硬直したというのに。
まだ教卓の前で茫然としている教師に、真音は救いを求めて視線を投げ掛ける。それで漸く教師も冷静さを取り戻したのか、「あー……」そんな風に、頼りない控えめな声ながらも、夜涼に対して呼び掛けた。
「凍月? 知り合い……? に会えて嬉しいのは分かるが、少し離れような? そろそろ授業も始まるし、霧谷も困ってるから」
「アンタ、霧谷っていうの? 下の名前は?」
教師の言葉を聞いているのかいないのか。
教師が口にした真音のファミリーネームは正確に拾い上げた様だから、聞いているけれど不要な情報は無視した、というのが適当だろう。真音から離れる事はせず、それどころか更に距離を詰めて真音の名前を求める。
ちらりと再度教師の方を窺えば、困り顔だ。生徒を怒鳴り、威張り散らすタイプではないものの、生徒の予想外の行動に慌てふためき何も出来ないタイプでもなかった筈。その担任が此れとは、つまりそれだけ夜涼が規格外という事だろうか。
此れは授業が始まろうと真音が名乗るまで離れてくれないかもしれない。真音は諦めて溜息を吐き出すと、目線を夜涼へと戻した。
両目ともワクワクと遠足を控えた子供の様に輝いている。
「真音」
「真音、ね! オレは夜涼。アンタの、真音の事をずっと探してたんすよ!!」
しかし名前を教えても離れてくれる気はないらしい。それどころか更に距離を詰めようとして顔を寄せ、弾んだ声でまくしたてる。
そう言えば目が合った瞬間にも言ってたな。運命の相棒とかなんとか。
だが真音を探していて、真音に対して運命の相棒とまで言い放って。しかし真音の名前さえ知らないとはどういう事か。
此の手の転校生は何故か相手の名前をとっくに知っていて、「アンタが霧谷真音なんすか?」とかなる方がお約束な気がする。
違う。今はそうじゃない。
混乱の所為か脱線しそうになる思考を戻し、現実逃避は諦めて夜涼を見据える。手は離さないと言わんばかりに強く握られたまま。教師はどうやら夜涼にはお手上げらしい。しかし此の儘で困るのは、教師だけじゃない。真音も同じだ。
もし、夜涼が真音を探していたと言うのなら。そして先程の教師の言葉。全部を無視しつつ、霧谷という真音に纏わる情報だけは聞き留めた事から。真音は1つの仮説を立てる。
オレの言う事なら、多少は聞く……かも、しれない。
外れていたら、いや、外れていなくても自惚れ甚だしい仮説ではあるが、此の儘手を握られ顔を近付けられ続けるよりマシだろう。
終いには椅子を倒して床と衝突してしまいそうであるし。
覚悟を決める様に1度深呼吸して、
「凍月」
「夜涼」
……いきなり出鼻を挫かれた。名前で呼べ、という事だろう。先程も数分前に自己紹介をしたにも拘わらず改めて夜涼と名乗ったくらいだし。
「夜涼」
「なんすか? 真音! 早速契約する? うん、しよ!」
どうやら正解だったらしい。話題がまた飛躍していきそうになるが、「ちょっと待て」と制すれば、先程の暴走振りが嘘の様にぴたっと大人しくなった。
此れはもしかしたら、先の仮説通りかもしれない。
期待を込めつつ、真音は今、早急に夜涼に行ってもらいたい事を口にする。
「と、取り敢えず離れてもらっていいかな? ちょっと近い……。それにそろそろ授業も始まるし」
「えー」
「は、話なら後で聞いてやるから!」
「分かったっす!」
とんでもない約束をしてしまった気もするが、笑顔を浮かべ、明るく言い放つと、夜涼は名残惜しそうに、ではあったが真音の手を離し、立ち上がった。
転校生用の空席は用意されていたのだが、或る意味自然と言えば自然な事か。夜涼は其処には向かわず、先ず教師の方へと顔だけ向けた。
「オレ、真音の隣がいいんだけど」
そのあと、教師の答えも待たず、真音の隣の席に座るクラスメイト……間近でこの事態を見て、真音並みに放心状態だった男子に視線を移す。
「いいっすよね?」
此の時の夜涼の顔は真音からは見えなかったのだが、後に彼は「今迄に見たどんな顔よりも恐ろしかった」と震えながら語ったという。
果たして季節外れの転校生、凍月夜涼は、にこにこ笑顔で真音の隣に落ち着く事になった。
大きく息を吐き出した真音を、夜涼に見惚れていた女子を含めても、誰も責められはしないだろう。