毒林檎
二度あることは三度あると云うことわざがある。一度ならず二度までも、と、人は立て続けに起こる『予想外』に弱い。一度はあり得るのだ。万が一という言葉は殆ど有り得ないことを指すが、可能性がゼロというわけではない。
問題は、『予想外がある』と認識して尚起こる不確定事象にある。対抗策を講じて尚巻き起こる『万が一』。それを最も怖れるべき所以は、『次も失敗するかもしれない」という邪推にあるのだ。
『前回、対策を講じたが駄目だった。ならば次も同じく失敗するかもしれない。見落としがあるかもしれない』という懸念が心に浮かべば、平静を保つのは極めて困難だ。要らぬ不安は手元を狂わせ、本来見落とす筈のない事象ですらすり抜けさせる。
こうなれば、負の連鎖に嵌ったのも同義だ。
だからこそ、これで______三回目で終わらせなければならない。三度目の正直______故事からの引用は是非ともこちらからにしたい所だ。
私は時計の針を睨む。その針は短長共に上を向いており、夜明けまで時間はたっぷりとあるよう。次の策を練るには十分過ぎる時間だ。
扼殺は駄目だった。彼女の血液は酸素を運ばなくなったというのに、次の日のは健康そのものの姿に戻っていた。
毒殺も駄目だった。神経性の蛇毒は彼女の身体を蝕んだが、その魔性を剥ぎ取るまで奥深くには辿り着かなかった。
ならばどうする。どの殺し方が正しい。
矢張り毒か。
物理的なものに不安を感じている……一面もある。 呪術に慣れ親しんだ人生であった以上、不可視なるものへの安心感というものが存在するのだ。なればこそ、毒は丁度良いのだ。
呪い殺すのは得意ではない。呪いは国単位や家単位でかけることが多く、個人への呪いは私怨が混ざって失敗しやすいのだ。特に対象が白雪姫ともなれば、最後の最後に私情を挟まずにはいられなくなるかもしれない。
さて、どの毒を用いるか。今から取り寄せるのは遅過ぎる。手元にある毒から選ばなければならないだろう。蠱毒は前回使ってから作り直して無いし、即席で作れる代物でもない。あれは扱いやすいというのに、自らの準備不足を悔やむ。
フグ毒、トリカブト、蛙毒。今手元にある他の毒はどれも強力だが、不安が無いといえば嘘になる。蛇毒が効かなかった理由がわからないままだからだ。最恐の毒ですら効かないかもしれない______その憶測が脳裏を駆け巡る。
数十分ほど熟慮に熟慮を重ねていると、一つ思い当たる節があった。
私が彼女を殺める決断をした浅からぬ要因の一つ。鏡に問いかけ、全てが始まった数日前に、私はある毒に出会っているのだ。
曰く、『国家に危機が訪れる時、毒を孕む林檎』。その果実。
この果実が毒を持つからこそ彼女はこの国にとって悪であり、彼女がこの国にとっての悪と為ったからこそ果実は毒を孕む結果に至ったのだ。
白雪姫と毒林檎。互いに互いの存在を証明し合う歪な関係にあるこの果実ならばもしや、と。
毒は薬と変わらない。その量の程度が過剰か否かによってのみ、呼び名の変化は依存する。元は彼女を正しく導く薬だったのかもしれないが、今は毒を名乗っている以上、林檎は毒として効果を発揮する。
『毒』という特性はその点に関しては流動的で、ヒトに対しての薬も小動物______例えば鼠なんかには毒だろう。毒という名称は、対応する相手に応じて名付けられるものだ、とも言える。
つまるところ、毒と名乗るからには、服用される相手に効力を発揮せなばならないのだ。
彼女が悪である限りこの林檎は毒を持たねばならず、
彼女に対応して発生する毒である以上、この毒は彼女に効力を持つ。
_______この仕組みに誤りが無ければ、この林檎こそ最も適した暗殺器具だろう。
生命の象徴とも言える林檎の樹。その樹の果実は主神や雷神らアース神族の長寿の源であり、異国の雷神の結婚記念にも贈られた。祝いの言葉や櫛と同じく、林檎の果実だって呪いに転用することができる筈だ。
ヒトはエデンの園で果実を齧ったからこそ知性を得、不死性を失ったと異国の文献で読んだ記憶もある。
なれば、
なれば、もう一度林檎を食べさせて、
その不死性、剥ぎ取ってくれよう。
**
______The 3rd turn.
This is the last chance , if you failed to kill me........HA!
二度あることは三度ある。彼女の方も、そう身構えていたのだろう。扉を開けてくれと声を上げても、彼女は断固とした口調で断った。
「そうは言っても、おかみさん。わたしはね、ここをあけてはいけないと言われているの」
そう。私は今回は、百姓の家のおかみさんの姿に化けているのだ。流石に3回連続行商人は怪しまれると思ったし、それにこの姿である必要もあった。
「いいえ、入らなくても良いんですよ。出荷出来ずに余った、可哀想な林檎たちを捨てようと思ってね。よければ一つどうぞ、と思ってね」
私は右手に下げたバスケットをひょいと持ち上げる。もちろん扉は閉まっており、白雪姫は未だ姿を現さない。
「いいえ、わたしはどんな人からも、物をもらってはいけないと言われているの。だからごめんなさい」
「……そうかい。そりゃあ残念。此処に捨ててしまうしか無いかねェ」
私は溜息をつき、家の側面へ回った。閉め切られた扉は視界から消え、代わりに小屋の窓が見えてきた。中で白雪姫が警戒の眼差しを向けているのも眼に映る。
「……もしかしてお嬢さん。あンた、もしかしてこの林檎に毒が入ってるとお思いかい?」
白雪姫が肩をビクッと震わせる。心中を言い当てられた幼い少女は、躊躇いがちに呟く。
「入ってるかもしれないし、入ってないかもしれないと思うわ。だけど、入ってるかどうかは食べてみないとわからないし、もし毒が入っていたらわたしは死んでしまうから」
「そうだ、あンたは賢い子だねェ」
私はそう彼女に微笑む。これは本心だ。この子は本当に聡い。だがその賢さは、一周回って私を怯えさせてもいるのだ。
「では、これならどうだい?」
私は籠から真っ赤に熟れた林檎を一つ取り出し、同じく取り出したナイフで半分に切り、片方を齧った。
しゃりしゃりと音を立てて、さも美味しそうに林檎を咀嚼する。実際美味しい。この辺りは林檎の名産地でもあり、我が国の輸出資源でもあるのだ。みずみずしくて甘い。
昨夜、私は毒林檎に細工をした。その果実を半分に切り、別に半分に切っておいた普通の林檎をくっつけたのだ。毒が反対側に侵食するのを防ぐコーティングに少し時間がかかったが、兎も角これは半分は普通の林檎で、もう片方が猛毒を持つのだ。
あらかじめつけておいた目印から、毒の有無を区別した。だって、間違えて毒の方を私が齧ってしまったら良い笑い者だろう。間抜けにも程がある。
美味しそうに林檎を頬張る私を見た白雪姫は、耐えきれず手を伸ばした。私はにっこり笑って、林檎の反対側を差し出す。
彼女の手にリンゴが渡った時、しめたと思った。
百姓の姿に化けたのはこの理由がある。商人の姿ならば林檎はあくまで商品であり、白雪姫は林檎を購入する決断をしなければならない。警戒心の強い彼女はそれを拒むことは予期していた。
だが百姓が林檎をお裾分けするこの状況なら、林檎を受け取る事は善意からの行動と為る。
そして子供は、『良いこと』に弱い。そこに裏があるなど考えもしない。
私の思惑通り彼女は林檎に口をつけ、歯を立てるか立てないかのうちにばたりと倒れた。
私はひょいと窓の中を覗き込んだ。白雪姫が大の字で倒れ、その側では林檎がまだ落下の衝撃を殺しきれずに揺れている。
「これで駄目だったら、もう打つ手は無いな……」
私はもう一度目を閉じる。
一度殺し、二度目も殺し、そして今三度殺した彼女に、ささやかな黙祷を。
…………
「女王さま、あなたが一番美しい」
鏡は自信満々にそう告げた。
「おい鏡。それは少々誇張では無いか? 美しさなどという曖昧な基準をもとに『一番』を設定することは、例え叡智でも不可能だろう」
お世辞ですよ、と鏡は言う。
「別に女王さまが一番美しいとは私も思っておりません」
「その言い草は逆に少しイラっとするな。やっぱりお世辞でも良いから美しいって言っておけ」
「嫌です。叡智の鏡はまた一つ学んだのです。『女王さまにはお世辞を言う必要は無い』と」
なんてものを学んだんだ、と私は苦笑いする。
どうやら白雪姫はほんとうに死んだらしい。あれから1ヶ月が経とうとしているが、鏡が彼女の姿を映すことは最早無いし、傾いていた経済状況も安定してきた。原因不明の病気で倒れていた敏腕の宰相も快方に向かい始めたとの情報も受けたし、この国は、まるで毒を抜かれたかのように回復しつつある。
本当に、彼女が元凶だったのだろうか。
今となっては、それはもう判らないことだ。
私だって間違いを犯すかもしれないし、失敗することもある。
だが、それを全てひっくるめて私の決断なのだ。上手く行こうが行くまいが、その全てを私は受け入れ、呑み込まなければならない。
彼女を忘れてはならない。全て忘れずに、罪悪感に苛まれ続ける。それが責務。それが償い。
そうして、私は歴史の表舞台から身を引くのだ。
「……女王さま女王さま」
「なんだ鏡よ」
おもむろに声を放つ鏡に、私は首をかしげる。
「目を通さなければならない書類が山ほどありますよ。隠居はこの紙の山を消化してからにしてください」
「……ふふ、そうだな」
私はにやりと笑い、机にうず高く積まれた書類の、その一番上の紙を手に取る。
「ん……これは……?」
その紙に______正確にはその手紙の表紙には、その用件が書かれていた。
「……結婚式の招待状?」
私が偶然手に取ったのは______隣国の王子の結婚式の招待状だった。王子が山中で出会った少女に一目惚れをし、妻として娶った旨が書かれている。
山中で娘を拾うなど、珍しいこともあったものだ。どんな事情があったのか気になったが……
「……それはそれとして、結婚式とは目出度い。些か面倒だが、着飾って行くか」
私は押入れの奥に仕舞ってあった着物の存在を思い出し、
昨日の夢を、思い出した。