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蛇毒の櫛

 

 Of cause Yes, this is dream.

 ————-But it cannot be the reason that the nightmare will become true.


 これは夢だ。


 私はすぐにそう直感した。昨夜、疲れの取れぬままベッドに入った記憶もあるし、寝間着に着替えた覚えもあるからだ。目覚めた記憶はまだ無い。だからこれは夢だろう。


 果てさて、夢の中の私は鏡の前に立っている。朗らかな陽光に照らされながら、私は綺麗な着物を身につけている。この服は確か、極東の島国より土産として貰ったものだが、随分と上物だが着る機会を見失ってクローゼットの隅で埃をかぶっているはずだ。成る程、眼を見張るような鮮やかな赤が美しい。服は着るためにあるのだ。矢張りお洒落は良いものだろう。


 夢の中の私は随分と上機嫌だ。お気に入りの歌をハミングしながら、着付けを確認したりしている。


「さて、準備完了だな」


 誰に聞かせるのでもなく、私は独りでに口から言葉を紡いだ。夢の中の(・・)私と夢を見ている(・・・・)私は乖離しているようだ。

 私の意に反して動く『私』。まるで『私』という着ぐるみの中に、もう一人私が入っているかのよう。視点はいつものままなのに。自らの意思に反して体は動かず、私の姿をした着ぐるみは続いて言い放つ。


「この時期に結婚式とは。これが恐らく最後の公務になるけど、外交も楽では無いね」


『私』は寂しそうに窓の外を見つめる。自分の感情を自分が推測するとは何とも奇妙な話だが、どことなくそう感じたのだ。その眼に映るのは白銀(しろ)の城下町。陽射しが当たって表面の雪が溶け、まるで祝福するようにきらきらと眩く輝いている。


 _____誰と誰の結婚式だろうか。外交などと言っているからには、恐らく隣国の王族の結婚式だろうか。兎にも角にも結婚はめでたい。


 祝いと呪いは紙一重だ。どちらも言葉に思いを乗せて他人に届ける。祝福は呪詛になり得るし、逆もまた然り。元より水晶を覗き、言の葉を繰ることを生業としてきた私が祝いの席(・・・・)に赴くのだ。重々気をつけなければならない。



 夢は______ぞっとするほど明晰な夢は、唐突に場面が切り替わる。


 いつの間にか、私は、隣国の王宮の大広間に独りぽつんと立っている。目の覚める程鮮やかな赤を身に纏い、私は恐怖からか目を見開いている。視界には来賓の皇族、貴族たちの姿。豪華な料理や楽隊の姿も見える。


 私の目の前に置かれているのは赤黒い靴。ただそれは、ただの靴では無い。鉄製の、真っ赤に熱せられた(・・・・・・・・・)靴だ。気温の低い会場の中で、それは(・・・)異様な熱気を放っている。

 会場の奇妙な沈黙は私にその靴を履くように促し、来賓らの視線は真っ直ぐ、立ち尽くす私に注がれている。










「______さあお母様。その靴をお履きになって?」


 そこで目が覚めた。



 すぐに時計を確認する。午前2時、草木も眠る丑三つ時に、私はぐっしょりと汗をかいて目を覚ました。これはただ単に恐怖から来たる悪寒では無い。気温の向上による体温の上昇でも無い。これは、これは______



 これは、既視感(デジャ・ヴュー)からの戦慄だ。


 あの時も同じ経験をした。


 あの子(・・・)が産まれて少し経ったあの日。第一皇后が原因不明に亡くなる少し前、私は夢を見た。一人の少女がその美と智略でこの国を破滅させる夢。王族の死去、貴族達の内乱、重なる飢饉と隣国との関係悪化。少しづつ衰退し滅亡していく我が国の姿を、今でも鮮明に覚えている。静かに雪の降り行く夜。私は同じように夢を見、驚愕のまま目を覚ましたのだ。



 そして私の悪い予感は的中した。かの白雪姫は魔性のモノとなり、この国を脅かしかねない危険性を孕んでいる。彼女は幼い。______その幼さから来る無邪気さこそが、最大の脅威と成り得るのだ。



 ゆっくり話せば、彼女を正しく導けるのだろうか。和解の道はあったのだろうか。否、彼女に既存の概念は通用しない。叡智の累積すら覆した彼女は、既存の枠からはみ出した新時代(・・・)の人間であり、相対的に見て旧世代である私たちは淘汰されるか若しくは______新時代の到来を押し潰すかだ。言わばこれは生存競争。

 絶対的な価値基準は神の領域なのだ。かのバベルの塔______挑戦は神の怒りを買うに値する愚行だった。ならば私が彼女に挑戦(・・)するのは彼女の怒りを買って然るべきだし、それらは当然のことなのだろう。


 私があの日、狩人に命を下した黄昏から既に、争いは始まっていたのだ。




 却説(さて)、明朝此処を発つ。次は(くし)を使い、その歯には毒を塗ろう。櫛はダニやノミを取り除く衛生器具としても使う。なればこそ、人を不浄に堕とす事だって出来るに違いない______丁度祝いの言葉が呪いに変わる様に。

 この国を腐らせる毒には、毒を持って制す。


 それに。



 ______それに、髪は女の命と云うでは無いか。



 私は自分の髪にそっと手を当てる。





 **


 The 2nd game.

 ———kill my hair? My fortunate will pretend you from doing that.



 既に毒は回ったはずだ。



 私は床に倒れ臥す白雪姫をぼうっと眺めていた。その四肢はだらしなく床に打ち付けられ、動く気配はない。前回とは違い毒殺だからか、白雪姫の表情も柔らかで、眠っている時と何ら変わらない。

 前回殺されかけた経験が、彼女を慎重にさせたのだろう。若しくは小人達の入知恵もあってか、今回訪ねた時、彼女はがんとして扉を開けようとはしなかった。その首筋に扼跡は無く、彼女は健康そのものに見え、その光景はさらに私を困惑させた。

 以前と同じく『姿変の衣』を羽織っていたのが幸いして、先日の老婆と今の私は別の商人だと思われていただろう。その場に最も適した姿となるのだ。同じ『小間物屋』の姿だからといって、同じ服、同じ顔とは限らない。


 それに私はもう一つ仕掛け(・・・)を用意しておいた。櫛そのものに、魅了の呪いを付与しておいたのだ。彼女がたとえ魔性の美であろうとも、私の呪いにかからないという保証はない。

 毒には毒をもって処すのだ。案の定白雪姫は櫛に夢中になり、結果として固く閉ざされた扉を開けた。



 油断は身を滅ぼす。




 私は長いローブの裾を気にしながら座り込み、彼女の首筋に手を当てる。脈は無い。即効性の毒とやらは効いたようだ。遥か遠く、砂漠の国に住まう生き物、蛇______とやらの毒らしい。それを煮詰めたものは、彼女の頭皮を通して、全身に牙を剥いた。


 同じ人間を二度殺す羽目になろうとは、小物の商人、もとい死の商人も楽では無いな。



 私は目を瞑り、彼女の冥福を祈る。来世では、彼女がもう少しマシな役回りであることを願おう。普通の、幸せな一家庭に生まれてくれればそれで良い。




 さて。



 もう此処には来たくない。否、来るようなことはあってはならない。そう決意し、私は来た道を引き返した。



 **

 ...........fm...

 ______I was surprised at that you could not kill me.

 白雪姫が、前回どのように蘇ったかは私は知らない。鏡に尋ねれば教えてくれるかもしれないが、その問いへの答えが怖かった。答えがあるならまだマシで、もし叡智の鏡が『わからない』などと答えようものなら、私は重い責務の重圧と、彼女への恐怖で理性を失ってしまうだろう。








 部屋に戻ると、其処には先客が居た。紛いなりにも一国の皇后の部屋に易々と入れる者など限られている。


「あら、お義母さま(・・・・・)。如何なさいました?」


 先客とは、義理の母______つまり夫、現在の国王の母親の事だった。位を譲ってからは、自室に篭り長い隠居生活に入っていた。喘息を患っており、医者の話ではそう長くはないとのことだ。


「部屋にお戻りにならなくて良いのですか?」


 優しい口調で問うた私に、気難しそうに白髪老婆は眉をしかめる。かつては絶世の美女だったと聞く。その名残である白銀の髪は未だ美しく、威厳も健在だ。


「心配は要らぬ。それより、ほれ。其処らに居った()()は如何した?」


 白雪姫のことだ______そう一瞬で悟った私の脳裏に、地面で絶命する彼女の姿が浮かぶ。


「そ、それは……」

 言い淀む私を訝しげに見つめた後、彼女はふんと鼻を鳴らす。


「まあ、色々あるさね。私も昔は悩んだものよ」


 そこで、はたと思い出した。この国は男系王族で、呪術師を妻として娶ってきた。彼女は第一皇后か、或いは……



 そこまで考えたところで、意味ありげな老婆の笑みに気がついた。

「お主の考えている通りよ。私はこの国に嫁いだ呪術師。お主の一代前に王族に入内し、我が子の即位と同時に隠居した老いぼれよ」


 初耳だった。私は引きこもりがちだったし、王族のややこしい家族関係や親戚対応のあたりは全て第一皇后に任せていたからだ。私は今目の前にいる老婆を『夫の母』という記号でしか認識しておらず、形式的な会話しか交わしてこなかった。


「そうじゃ。そこがお主の弱みじゃった。第二皇后であることに責任と義務感だけ感じ、『第一皇后では無い』ということに引け目を感じて()ったじゃろ? だから衛兵や家政婦達とは親近感を持って交友を持ち、王族たちとは距離を置いていた。無意識のうちにな」


「…………」


 返す言葉もなかった。図星だったからだ。ぐっと心臓を掴まれるような動悸を感じた。


「責務だけ背負って、華やかな王宮とは距離を置き。そこまで一人で抱え込むべきでは無かったのでは無いか? 責任感が強いのは良い事だが、時に欠点となる。たった一言でも私に相談すればよかったでは無いか? 『我が子のように可愛がっている義理の娘が、蛇蝎磨羯(だかつまかつ)かもしれない』と」



 は、と目を上げる。彼女は全て知っているのだ。私が考えている事も、私がした事も、私がしようとしている事も。


「お主のした事が正解だった保証はない」


 唇を噛む。

 自然に視線が下がる。

 嗚呼、矢張り全て判っているのだ。今の私は、いたずらがバレた子供か______それ以上の間抜けだ。



「……だが、間違いだったという保証もまた、ない。そこの叡智の鏡だって、同じことを言うだろう」


 突然義母(はは)の話の矛先が切り替わる。鏡は申し訳なさそうに、


「……叡智の鏡だというのに、私は断定することすら出来ない」


 とだけ呟いた。



「人生とはそんなものよ。何が正しく、何が間違っているかなど誰にも判らぬ。叡智はあくまで過去の集合体。その上に現在が成り立っているとはいえ、過去に縛られる必要は無い」



 この老婆は、全てを見通しているのだろうか。太古の代から永劫の彼方まで少しづつ人類が積み上げていく叡智を、彼女はその目で見定めているのだろうか。


「そんな大それたことでは無いよ。ただ、人より少し読心術が得意と、ただそれだけサ」



 彼女は、それだけ言い直して去って行った。



 途端に広くなった部屋で、はぁと深くため息をつく。


 私は今までずっと、本質的には孤独なのだと思っていた。同じ小説の話をできる者がいても、趣味が合う者が居ても、私の苦労は誰にもわからないと決めつけて居た。




 だが、如何やらそれは間違いだったようだ。



「…………今日はもう寝るとしよう」



 連日の外出の疲れが出たのだろう。眠気と倦怠感が一気に襲ってくる。私は早々と着替えを済ませ、逃げるように床に就く。









 ここで終わればよかったのだ。










 床に着くや否や、その眠りを妨げる、一つの甲高い、悲鳴にも近い声。


「女王さま。此処では、貴女が一番美しい。けれども、幾つも山を越した、7人の小人の住む家にいる白雪姫は、まだ千倍も美しい」




 恐怖で目が覚めた。






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