七色の締め紐
Tight, tight, tight.
__________Can the strap hold me?
よもや、私が皇后その人であるとは思うまい。私は自らの変装に満足していた。城下町を抜ける際も声を掛けられなかったし、すれ違う人は奇怪な目で私を見る。どこからどう見ても、私は小間物屋を営む老婆だ。
却説、予想通りだが、なんの支障もなく山を越すことが出来た。七つ山を越えたところにも小屋があった筈だが、四つ山を越えたところ____つまり此処にも小人たちの住む小屋がある。今私の目の前にあるこの小屋のことだ。木造の、今にも吹き飛びそうな粗末な造りだが、昔の私はここを好んで訪れていた。
窓から様子を伺ってみた。なるほど、記憶の中となんら変わらない光景だ。小さな丸いテーブルに、さらに一回り小さな椅子が七つ。私のようなヒトには小さ過ぎるが、彼ら小人にとっては丁度良いサイズ。ひとつひとつが上品で、清らかな印象を受ける空間。
持ち主は昼間は鉱山に出かけている筈だ。姿を見られても私と気づかれることは無いだろうが、見られないに越したことは無い。中には白雪姫が居るはずだ。
私は玄関へまわり、扉をノックする。行商のフリをして近付き、この手で締め殺す。わざわざ手に死の感触が残る方法をとったのは、これから冥土へ発つであろう彼女への、せめてもの償いだ。
______だが、扉の向こうから返事はない。
用心して居留守を決め込んでいるのだろうか。そう思い、そぉっとドアノブを回してみたが、予想に反してかちゃりと音を立てて回る。
ぎぃ、と軋みながら口を開けたドアを、私は注意しながらくぐった。狭い家だし、一見して誰もいないようだが、油断は禁物だ。
ふと、壁際に並んだ七つのベッドのうち、一番端っこのものが乱れていることに気がついた。綺麗好きの彼らにしては珍しい。そう思って、私は側に近寄る。
「これは………髪の毛?」
ベッドには、黒く長い髪の毛が一本だけ落ちていた。此処に白雪姫がいたのは間違いないようだ。
小屋の中を隅から隅まで調べたが、白雪姫が居た形跡はあれど本人は居ない。
私の心に一抹の不安がよぎりはじめる。鏡は確かに『幾つも山を越した、7人の小人の住む家にいる白雪姫』と言った。そして、映し出されていたのは間違いなくこの小屋だ。何故なら、『七つ山を越した先の家は木造ではなく煉瓦造りだから』だ。
というわけで、鏡が叡智を施した昨日の夜、彼女は間違いなく此処に居たことになる。
だが、現に彼女は此処に居ない。それが意味するものはひとつ。
「移動したか。どこにそんな体力が残っている……」
森で野宿したわけではないだろう。危険が多いし、何より家から離れる意味が無い。考えうる答えとしては、『より丈夫な家に逃げた』ということのみ。
そしてそれはつまり、私がここに辿り着くまでの数時間の間に、彼女は更にもう三つの山を越したことを意味する。あり得ない話だが、事実がそう述べている以上間違い無い。
「さて、辿り着くのは夕方になりそうだ。彼らと鉢合わせにならなければよいが」
これで___________漸くハッキリした。
彼女は魔性だ。しかも飛び切りの。
**
…………This is first time.
__________Killing me ,OK?
陽はすでに落ちかけている。
煉瓦造りの、先ほどの小屋より豪華で瀟洒な家。私が即位した時、彼らに感謝の印として贈ったものだ。
窓の奥では灯りが見える。誰かがいるのは、間違いない。
「………すみません、小間物屋です。良い品がありますが、お買いになりませんか?」
私は声を出す。変装の術は声にまで影響する。私の喉から捻り出たのは、しわがれた老婆の声そのものだった。
「はぁい、今行きますわ」
可愛らしい、鈴の音のような声がした。そのすぐ後、鍵が外れる音、扉が音もなく開く。
……嗚呼、間違いない。彼女は今此処に居る。私の目の前に居る___。何かの間違いであって欲しかった。だがその希望は虚しく潰える。
「あらこんにちは、おかみさん。何があるの?」
物珍しそうにこちらを見やる。そういえば小間物屋に合わせたことなど無かったな。この娘は部屋に篭りっきりで、外の商売についてあまり知識がない筈だ。
あとで色々教えてあげなければ___ふと考え、すぐさま訂正する。あとでは無いのだ。
「上等な、綺麗な品を幾つか持ってきました。ほら、締め紐などありますよ」
私が取り出したのは、色とりどりの絹糸で編まれたカラフルな締め紐。純白と対極をなす黒___黒は全ての色を足し合わせて成立するのだ。この締め紐は、いわば黒の暗示。
「……ここでは少しさむいでしょう。さあ、中へお入りになって? ここはわたしの家じゃないけれど、訳あっていそうろうさせてもらっているの」
手招きされ、私は締め紐を握りしめたまま家の中に足を踏み入れた。
「そうね……そのしめひも、とってもステキね。ぜひおひとつ、いただけるかしら?」
白雪姫はうっとりとした目で私から締め紐を受け取る。その動作の流れで指先を紐の上で滑らせると、なぞった跡が順に白く、凍りついていく。薄い霜の様なものが締め紐を覆い始め、吐息が凍りついていくのを見た私は、驚きのあまり小さな声をあげた。
「……どうかしました?」
白雪姫の声で我に返る。視線を戻せば締め紐に異常は無く、気温も下がって居るわけではない。___幻覚か。そう判断した私は、軽く頭を押さえる。魔術を繰る者が術中に嵌るなど、申し分が立たない。
「いえ、何でもないですよ。この歳になるとぼうっとすることが多くてね」
私は気を取り直し、白雪姫から代金を受け取る。彼女は城を出た時は無一文だった筈だから、このお金は小人たちのものだろうか。
今は、それを気にして居る時ではない。
「さあいらっしゃい、私が結んであげましょう。きっとよく似合いますよ」
白雪姫は頷き、わたしに背を向ける。この機を逃すか___
私は素早く締め紐を持ち直し、彼女の首に巻きつけた。力強く締め付けると、彼女は驚く間も無く動かなくなる。その柔肌に紐が食い込み気道を蝕むまで、もがく余裕すら与えなかった。
少し後、私が紐から手を離すと彼女は力なく膝から崩れ落ちる。息をしている様子は無い。例え今かろうじて生きているとしても、この紐を結んでおけば窒息死は免れないだろう。
私は首にきつく紐を巻きつけ、二重に結ぶ。動く様子のない彼女の身体は、時間が経つにつれて少しづつ冷たくなっていった。
今私は、この手で人を殺めたのだ。
他人の手を介した殺人なら幾度かある。王政の政治とは得てしてそういうもので、反勢力は早いうちに潰しておくに限る。だが私自身が手を汚したことはなかった。あくまで私の命での暗殺だった。
それに、扼殺死体は醜いものが多い_____血流を首筋で止めるのだから、頭部に血が流れ込んで膨らみ、色も紫色に変色すると聞く。だから、私はうつ伏せに倒れる彼女を裏返し、脈を測る度胸は無い。
突如頭痛が私を襲う。最後の彼女の言葉は何だったのだろうか。そんなことがぐるぐると頭を巡る。
早く___
早く、帰ろう。
白雪姫の死体をどうしておくかで少し悩んだ。今埋葬している時間はない。小人たちはいつ帰って来てもおかしくはない。山に捨て置くのは気がひけるし、このままにしておこう。
小人たちには悪いが、彼らに埋葬してもらうとする。彼らなら立派な棺を用意してくれるだろう。
私は手に残った紐の感触を拭えないまま、ひっそりと帰路に着いた。
これで全て終わりだ。厄災の芽は潰えた。
そう、彼女は芽だったのだ。まだ何も成していなくても、この先大樹となり禍いの種を撒き散らすだろう。そうなる前に摘み取っただけだ。私はそう自分に言い聞かせる。
**
On the moon, there is a elixir of life.
——-However, I am immortal without it.
部屋に戻って頭痛薬を飲んだが、未だにズキズキと頭が疼く。割れそうなほどの痛みは憂鬱を誘う。
「鏡よ鏡___白雪姫は如何なった?」
あれから半日が経った。小人たちは白雪姫が床に倒れているのを見つけただろうし、彼女が息をしていないことにも気づいた筈だ。心優しい彼らなら棺を用意してくれただろう。
彼らには、日を改めて訪れて事情を説明するつもりだ。然るべき罰も甘んじて受けよう。この国の暖かな未来が確約されたなら、だ。
「……どうした鏡よ、黙り込んで」
鏡は無言を貫いている。声が届いていないわけでは無いなら___。
「鏡よ、映し給え。何が見える?」
見せたくないものがあるのだ。そして私は、その正体に心当たりがある。
「女王さま、私が映すは真なる叡智。私が統べるは真なる叡智。私は知る、死は覆らぬと。死は不可逆、かつ一方的」
「前置きが___長い。簡潔に示せ」
「白雪姫は7人の小人の家に居る。その美しさは健在だ。死は可塑性を持つ反例が___ここに今示された」
私の心臓が、早鐘のように鳴り始めた。
「人智を超えた魔術は死を凌駕する___女王さま。白雪姫はあなたより強大です。その自覚がなくとも、彼女はこの国を壊しかねない。だがそれに我々が抵抗すべきかどうかは、わたしは判りかねます」
鏡は躊躇いがちに、小さな声でそう言った。